渡(わたり)地区は、熊本県球磨郡球磨村のひとつの地区で、1954年(昭和29年)まで「渡村」として、ひとつの自治体として存在しました。
渡は、熊本県人吉市から球磨川をくだった北側の岸にあり、小川・馬氷川(まごおりがわ)といった球磨川の支流が形成している谷に、集落が点在している地域です。
渡地区の北側は、同村の神瀬(こうのせ)地区から、北から東にかけては、万江=まえ(熊本県球磨郡山江村)と接し、東側は、下原田町=しもはらだまち(熊本県人吉市)、南側は球磨川をへだてて三ケ浦(さんがうら)地区に面し、西側は大瀬(おおせ)地区とつながっています。
このページの内容
渡(わたり)の地図
熊本県球磨郡球磨村にある「渡」は、
の集落があり、中心部には渡小学校があります。
渡の変遷
渡(わたり)地区の集落
渡地区 | 浦野(うらの) 境目(さかいめ) 立野(たつの) 舟戸(ふなと) 峯(みね) 板崎(いたざき) 島田(しまだ) 中園(なかぞの) 山口(やまぐち) 糸原(いとはら) 地下(じげ) 馬場(ばば) 水篠(みずじの) 今村(いまむら) 小川(おがわ) 茶屋(ちゃや) |
※上記の、地区区分は農業集落境界によるものです。現在の地区区分には中園・田頭・板崎・浦野・岡・馬場は、一勝地に含まれていますが、住所の小字は渡(わたり)になっています。
渡(わたり)地区の集落名の由来
地下(じげ)集落は、大和朝廷に仕えて、付近一帯を治めていた官僚が館を構えていたことから、つけられた名前です。
渡(わたり)の飲食店・青果店・菓子屋・パン屋・お弁当屋・スーパーマーケット・道の駅・産地直売所
ローソン球磨渡店 | コンビニエンスストア | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙357 |
もとやまだんご店 | 和菓子屋 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡丙365−2 |
温泉くま湯の駅 | 閉業 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙2206 |
渡(わたり)の温泉・銭湯・大衆浴場・宿泊施設
温泉くま湯の駅 | 閉業 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙2206 |
球磨川ラフティング ハッピーサプライズ | 簡易宿泊 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙1611−2 |
渡(わたり)の神社・仏閣・史跡・名所
舟戸地藏堂 | 聖堂 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙 |
茶屋の子安観音堂 | 仏教寺院 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡 |
中園阿弥陀堂 | 聖堂 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡丙 |
渡(わたり)の公共施設・教育・医療・スポーツ
渡駅 | 駅 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙 |
渡小学校 | 閉校 | 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙123 |
球磨村役場 | 村役場 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡丙1730 |
渡保育園 | 保育園 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙763 |
渡郵便局 | 郵便局 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙880−1 |
球磨村総合運動公園 | 公園 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙 880番地1 |
JAくま 球磨村店 | 農協 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙661 |
球磨消防団第3分断 | 消防署 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡丙 |
渡(わたり)の生活サービス
山口学習センター | コミュニティカレッジ | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡甲1247 |
読売新聞 球磨川 | 新聞・雑誌販売 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡甲1411 |
熊本南部森林管理署 一勝地森林事務所 | 政府機関 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙400−22 |
ノーティーボーイズ Naughtyboys 【球磨川ラフティング】 | ボートツアー代理店 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙 |
球磨川ラフティング ハッピーサプライズ | ボートツアー代理店 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙1611−2 |
鵜口工務店 | 建築会社 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙2583 |
(有)日當産業 | 自動車整備工場 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村大字渡乙2016 |
(有)球磨川商事 | 製造元 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙3031 |
下球磨自動車 | 自動車整備工場 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡1293 |
農事組合法人球米 | 組織 | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡乙1614−1 |
(有)丸房 | オフィス | 〒869-6401 熊本県球磨郡球磨村渡丙1559 |
渡(わたり)の歴史
熊本県球磨郡球磨村の、渡の地区の歴史を、さかのぼってみてみることにしましょう。
古代から近世にかけて渡の支配者の変遷
平安時代の渡
平安時代までの、渡があった球磨村地域は、まだ文書としては登場していません。
平安時代中期には、熊襲=くまそと呼ばれる南九州の有力な部族が住んでいたといわれています。
898年~921年(平安時代・昌泰元年~延喜21年)醍醐天皇の時代に、和名抄=わみょうしょう(平安時代中期に作られた辞書)のなかに、球磨郡として球玖・久米・人吉・東村・西村・千脱の六つの郷が紹介されています。
鎌倉時代の渡
1191年(鎌倉時代・建久2年)平川(河)文書=ひらかわぶんしょ(平川家に伝わる中世文書11通。球磨の荘園形成の歴史が書かれています。)の中の「良峯師高譲状案」によりますと、
永吉庄(ながよししょう)という球磨地方一帯の土地(荘園)20ヵ村を、嫡子=ちゃくし(正室の産んだ年長の子)に譲与=じょうよ(相続のために譲ること)したとあり、その中で、
渡之村(わたりのむら)という地名が、登場します。
鎌倉時代の同時期に、当時の鎌倉幕府からの命令を受け、地頭=じとう(任務された土地で在地管理をおこなう役職)として、遠州相良荘=えんしゅうさがらのしょう(現在の静岡県牧之原市辺り)から、相良頼景(さがらよりかげ)が、人吉球磨地方にやってきます。
以後、渡村は相良氏の支配下(統治)のもと、村民は生活していきます。
戦国時代の渡
1584年(安土桃山時代・天正12年)人吉市の毘沙門堂の鰐口=わにぐち(神社仏閣の軒先にかけられている金属製の道具)に、紀年銘=きねんめい(銘文中に製作年号が入れられたもの)とともに、渡邑(わたり)彦兵衛と書かれています。
また、戦国時代に肥後国の上相良氏の家臣である、井口氏によって「渡利城(わたりじょう)」が、渡地区に築かれました。
江戸時代の渡
1634年(江戸時代・寛永11年)の郷村高辻帳=ごうそんたかつじちょう(江戸幕府の命令で藩に書かせた村ごとの収穫高の合計の帳面)にも、渡村の石高が記されています。
明治時代の渡
1870年(明治3年)まで、渡村は庄屋によって、おさめられてきましたが、里正=りせい(郷里制の里の長)にかわりました。
1871年(明治4年)、廃藩置県により、渡村は人吉県に入りました。
1874年(明治7年)、大小区政の改正で、万江・林・薩摩瀬・原田・中神の5ヶ村で、1つの地域となりました。
1879年(明治12年)、郡区町村編成法の施行により、渡村は単独で一行政区域となりました。
1884年(明治17年)、原田村・中神村とともに、同一行政区域として、同一戸長役場のしたにおかれました。
1889年(明治22年)町村制施行によって、単独で「渡村」という自治体になりました。
球磨村渡
町村合併促進法が、1953年(昭和28年)に制定されてから、渡村・一勝地村・神瀬村の3つの村の合併会議が、たびたびおこなわれてきました。
翌、1954年(昭和29年)には、3つの村が「もともと相良藩に属し、地縁的に住民の人情・風俗・習慣等生活環境を全くひとつにしている」ということで、
新しく、球磨村としてスタートを切ることになりました。
渡の伝統文化
熊本県球磨郡球磨村の、渡地区では以下の伝統文化が、継承されています。
渡の郷土工芸
小川(おがわ)集落の「かじむき・しゅんなめじょ」
熊本県球磨郡球磨村の渡地区の小川集落では、1月の農閑期に「和紙」の原料となる楮(カジ)の皮むきがおこなわれています。
本州中部と九州の山間部に生息する「楮(カジ)」は、中国原産のクワ科の落葉高木で、樹皮は和紙の原料として使われてきました。
1966年(昭和41年に)一度は途絶えた「渡地区の伝統文化」として、木を蒸して樹皮を採取する共同の釜が1999年(平成11年)に復活しました。
むいたカジの木を使って、小正月に飾る人形「しゅんなめじょ」も作られます。
渡の伝統芸能・お祭り
渡小学校の御神楽
人吉の青井阿蘇神社で、「御神楽」として奉納された球磨神楽(くまかぐら)を、学校の行事用にアレンジした民舞が、渡小学校の御神楽です。
岡集落の棒踊り
岡棒踊りと呼ばれる、球磨村渡字岡で披露された踊りで、6人1組の3組が、六尺棒と鎌をもって、踊ります。芦北の湯浦より伝承されました。
小川集落の建築踊り
小川建築踊りと呼ばれる、三味線と太鼓に合わせて10~15人の踊り手が大工・左官道具を持って踊ります。人吉市の西間町から伝承されました。
くまむら復興祭
村民コミュニティの再生と地域の活性化を目的に、開催されたお祭りです。旧渡小学校グラウンド(球磨村大字渡乙1836番地)で開催されました。
球磨村復興灯籠流し
令和2年7月豪雨災害の追悼と、球磨川観光資源の復興を祈って、球磨村渡の茶屋(ちゃや)地区にて、開催される灯籠流しです。