上原(うわばる)地区【熊本県葦北郡芦北町】旧吉尾村

上原(うわばる)地区【熊本県葦北郡芦北町】旧吉尾村

上原の地名の由来

熊本県芦北町の上原(うわばる)の地名の由来の詳細は不明ですが、地形的に標高40mの球磨川の海路から一気に標高500mの山を越え、平谷川を5㎞ほど上った先に開けた原(平地)が川沿いにあるので、ここを集落とした時の地名と考えられます。

上原(うわばる)賛歌

上原賛歌は、昭和39年に完成した「芦北町上原地区の集落」の人たちの団結を唄った歌です。

1.山は緑に水清く 村の住居(すまい)は三十戸
ここ上原は芦北の 山の東の別天地2.幾百年のその昔 遥か南のこの地まで
都を后(あと)にうつりきて 住みし祖先もなつかしや

3.権現の滝、紅ヵ岩 赤児ヵ渕や狸岩
由緒(いわれ)も深き山谷に 響絶えぬば水の音

4.春は不動の丘に咲く 桜かざして花の宴
夏は氷の水わきて 泉のほとり川祭り

5.競いて立てる岩山を 削り碎きて林道は
遂に来れりこの里に 八年の辛苦知るか君

6.萠ゆるわかばの〇田茶園 植ゆる五月の早期田
山に畑に養蚕に 上原人の腕は鳴る

上原(うわばる)集落 [芦北町] のデータ

住所・沿革
名称 上原地区
住所 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原
標高 404.3m
沿革 1603年~(江戸時代)- 上原村
1889年(明治22年)- 町内制の施行で、大岩村、黒岩村、海路村、吉尾村、箙瀬村と合併し「吉尾村上原」に。
1955年(昭和30年)- 吉尾村が佐敷町・大野村と合併し、「葦北町上原」に。
2005年(平成17年)- 葦北町が田浦町と合併し、あらためて「芦北町上原」に。

上原地区の地理

上原地区の地理

上原集落の地図 [出典:地理院地図]

上原(うわばる)地区は、球磨川の支流「平谷川」の上流に位置し、標高500m級の山々に囲まれた山間部の集落で、源平の戦いで敗れた平家の落人が都からこの地に逃げて「上原の地」を築いた言い伝えがあります。北部は、熊本県八代市坂本の「百済来(くだらぎ)」に隣接し、東部は「瀬戸石(せといし)」南部は、高田辺(こうたべ)・海路(かいじ)・内木場(うちこば)・黒岩(くろいわ)の集落と接しています。

上原地区の中心部は、標高400mにあり積雪は年に1回あるかないかということです。

古代から近世にかけて上原の支配者の変遷

 【平安時代】熊襲(くまそ)
 【鎌倉時代~室町時代】相良氏
 【安土桃山時代】相良氏
 【江戸時代】相良氏

上原集落 [芦北町] とは?

上原集落 [芦北町] とは?

上原集落の中心部 [出典:グーグルストリートビュー]

上原集落とは、江戸時代より「上原村(うわばるむら)」として存在していた、熊本県葦北郡芦北町の山合の集落で地理的には、球磨川の支流である「平谷川」の上流付近に民家が集まっています。

かつては、久多良木越(標高526m)を越えて、坂本町百済来(現・八代市)まで学校に通ったりしていた時期もあったそうですが、近年は芦北町に属され1955年(昭和30年)までは、吉尾村のなかで、学校は海路小学校の上原分校として、低学年は上原集落で学び、高学年は平谷川の下流の「海路小学校」へ通っていました。

町の中心部

集落の中心部は、名水「上原の井川」・お堂・上原公民館がある場所です。芦北町第9分団消防ポンプ格納庫もあります。

裏山にも山火事を防ぐために祈願していた不動尊を祀る神社があるそうですが、近年では祭事は行われていないようです。

集落の産業

上原集落は、山間部の場所にありかなり限定された耕地での営みとなっているため、大量生産ではない平谷川沿いでの稲作とその他、食べていくための野菜を自給自足されていたようです。

標高400mを越える地域と、上流の綺麗なお水を活用して近年までは「養蚕業」が盛んに行われていました。

隣接の集落との関係性

昔はいまのように車が通れる道が少なく、ほとんどが歩道で山を越えて旧百済木村(現・八代市坂本)に行くこともあったそうですが、現在、車道が完成してからは西部の山を越えると黒岩地区(小木場・脇ノ迫)、南部の平谷川をくだれば下流に海路・高田辺の集落がありそこから球磨川沿いに国道219号線という大きな道路に出ますので、そこから北に上がれば八代市中心部、南に下れば熊本県人吉市の中心部に出れます。

南部の内木場地区(大迫・桑川内の集落)も、上原から近いですが、500m級の山々が二つの集落を隔てていて容易には到達できず、いったん海路まで出てからの交通となります。

集落の人に聞きましたが、お買い物などは人吉市の方にはいかず、八代市坂本側へ出かけるということです。

上原集落までの道のり

上原集落までは、球磨川沿いから海路に至りそこから平谷川沿いに小さな車道があるので、そこから標高が高い場所までグネグネ道をのぼっていきます。

途中、名所である「権現の滝」などを通過しますが、もともとあった平谷川沿いの道ではなくなったため、滝の近くへは徒歩でしか訪れることができなくなっています。

途中、岩の谷間を流れる川のしぶきを目にしながら、10分ほど車を走らせると上流部に上場地区が現れます。

近年の上原集落

地域住民の高齢化が進み70歳以上の方が多いようです。

かつてやっていた上原井川から順番に岩山の上の複数の社(祠)へと参っていく年末・年始の行事も各自足腰が弱くなったため、上原のお堂や上原公民館での集会に留めているようです。

上原では、国選択無形民俗文化財である「芦北の七夕網」というお祭りが旧暦7月16日に開催されていましたが、近年のコロナ禍と高齢化で後継者不足のため滞っていますが、他にも岩屋川内・下白木・祝坂と八代市の木々子でも続けられている伝統文化です。

令和2年の豪雨災害

2020年(令和2年)の7月から線状降水帯が発生し長時間の豪雨の影響で、球磨川流域に甚大な被害を及ぼしました。

上原地区の被害状況は、支流である平谷川の流れが変わり川沿いでは増水による被害があったものの、高地であったため集落への影響はなかったようです。

ただ平谷川下流の球磨川との合流地点にある「海路地区」にいたっては、瀬戸石ダムのダム湖集落になっていたため、水かさが増して集落が飲み込まれてしまいました。

これは、九州新幹線のトンネルが平谷川の中流を交差しているため、今までなら山が吸収する降雨をコンクリートのトンネルが塞ぎ、その外側へと雨がまとまって流れ、平谷川と内木場川などの流れを大きく変えてしまった可能性もあります。

よって、下流では瀬戸石ダムによる川の流れの操作・九州新幹線トンネル建設による山の水流の操作に、異常気象による線状降水帯の発生からの集中豪雨が重なり、この付近は壊滅的な打撃を受けました。

上原集落周辺の史跡・名所・施設の一覧

海路小学校上原分校跡 閉校 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原258−1
名水 上原の井川 名水 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原
上原のお堂 神社仏閣 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原
上原公民館 集会所 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原
権現の滝 〒869-6216 熊本県葦北郡芦北町海路
嬰児淵 景勝地 〒869-6216 熊本県葦北郡芦北町海路

上原集落 [芦北町] の史跡・名所・施設の解説

名水 上原の井川

上原集落の史跡の詳細

熊本県葦北郡芦北町の上原(うわばる)集落にある「上原の井川」は、2010年(平成22年)に『熊本県平成の名水百選』に選ばれました。

⇒「名水 上原の井川」を見る

上原のお堂

上原のお堂

名水「上原の井川」の隣にあるお堂です。観音様が祀られています。

⇒「上原のお堂」を見る

上原分校 [海路小学校] 跡

上原分校 [海路小学校] 跡

1991年に休校となり、2022年に廃校となった海路小学校の上原分校跡です。

⇒「上原分校跡」を見る

上原公民館

上原公民館

お堂の裏に建てられた「上原公民館(うえはらこうみんかん)」です。入口まで階段なしでのぼっていけるようにバリアフリーとなっています。

権現の滝

権現の滝

権現の滝(ごんげんのたき)は、数十メートルの落差を持つ渓流瀑で、2段の構造をもっています。

平谷川の上流にある奇岩から激流が躍り落ちる瀑布(ばくふ)で、滝の上に「権現」と名のつく祠があるので、この名がついたといいます。

現在は、車道ができて滝はそこからは見えず旧道沿いにありましたが、かずかずの豪雨災害などで岩が崩落し旧道が通れなくなっているようです(写真は権現の滝ではなく車道からみえる平谷川の滝のひとつ)。

⇒「権現の滝」を見る

嬰児淵

嬰児淵(あかごぶち)は、権現の滝の上流にある淵です。

平家の落人(戦争に負けて逃げてきた人)がこの上原の山深い幽谷の洞窟に身をひそめて暮らしていた。その家族に子どもができたため、身を隠れて暮らしているのに「赤ちゃんが泣く」と身の上がばれてしまうということで、心を鬼にして可愛い我が子を淵に投げたことから、この名前がついています。

雨が降る日には赤子の泣き声が聞こえるという伝説が残っています。

この場所も、昭和初期あたりまでは有名景勝地として知られていましたが、現在は道がなく行けません。

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