黒岩(くろいわ)地区は、熊本県葦北郡芦北町の旧:吉尾銅山で有名な大岩銅山(かなやま)地区より吉尾川を上流(支流の小平川)にあがっていった先、500m級の山に囲まれた高地集落です。
大字黒岩を利用している地区は、大きく分けて「黒岩(小木場・脇ノ迫)」と、「永谷(下永谷・前川内・永谷)」の2つの集落で構成されています。
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黒岩(おおにた)の地名の由来
熊本県芦北町の黒岩(くろいわ)がどうして「黒岩」という名前がついたのか?という詳細は不明ですが、この一帯は石灰石の岩場と転石が多く「大岩」「岩屋川内」という隣接集落の地名と同様に、岩の場所に住居をかまえたときの名称と考えられます。
黒岩地区 [芦北町] のデータ
住所・沿革 | |
名称 | 黒岩地区 |
住所 | 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町黒岩 |
標高 | 395.5m(町の中心部) |
沿革 | 1603年~(江戸時代)- 黒岩村、永谷村 1874年(明治7年) – 各村の統合により、永谷村が黒岩村に合併。 1889年(明治22年)- 町内制の施行で、大岩村、上原村、海路村、吉尾村、箙瀬村と合併し「吉尾村黒岩」に。 1955年(昭和30年)- 吉尾村が佐敷町・大野村と合併し、「葦北町黒岩」に。 2005年(平成17年)- 葦北町が田浦町と合併し、あらためて「芦北町黒岩」に。 |
黒岩(くろいわ)地区の地理
黒岩(くろいわ)地区は、熊本県葦北郡芦北町のなかにあって江戸時代から1889年(明治22年)まで「黒岩村」、「永谷村」としてそれぞれ分かれていた集落です。黒岩地区
江戸時代に「黒岩村」だった地区は、小木場集落(標高:443m)と脇ノ迫集落(標高:379m)の2つからなります。北東の山越えで「上原(うわばる)」集落にでて、そのまま山を下ると球磨川流域の「海路・瀬戸石」集落がある地区に抜けます。
南に山を下るとすぐ、「大岩銅山(かなやま)」地区があり、吉尾川に沿って西にすすむと「横居木(よこいぎ)」、さらに南下すると「大岩」地区になります。
永谷地区
永谷地区は、吉尾川最上流(支流:永谷川)の三方を山に囲まれた標高278mの山間集落で、永谷川沿いの谷間に長く下永谷・前川内・永谷の集落が続いています。永谷集落の近くに鳥越(峠)があり、北に越えると坂本町百済木(現・八代市)に出ます。
江戸時代までは「永谷村(1639年=江戸時代の葦北郡地侍御知行割帳では長谷と記す)」でしたが、1874年(明治7年)の各村の統合で、永谷地区は「黒岩村」に編入されました。
黒岩地区の史跡・名所・施設
黒岩公民館
標高456mの小木場の集落から、少し下ると脇ノ迫集落の入口に「黒岩公民館」があり、芦北町第9分団ポンプ格納庫も併設されています。
祭事のほか、選挙の投票日に、投票所として小木場・脇ノ迫の住民のかたがこの「黒岩公民館」を利用します。
黒岩のお堂
黒岩脇ノ迫の集落の中心部から、坂を上がって右に曲がったところに、黒岩のお堂があります。
お堂の正面は、山の麓を臨むように建てられていて、黒岩地区住民の信仰のよりどころとなっていることでしょう。
永谷公民館
黒岩小木場集落から、標高453mの山林から鳥越(峠)を抜けると「永谷集落」があり、永谷公民館は永谷川沿いの下永谷集落の次の、前川内集落の場所にあり、ちょうどさらに上にある永谷集落との中間地点にあたります。
黒岩の子どもたちはどの学校へ通ったの?
芦北町黒岩地区の子どもたちは、1889年(明治22年)に黒岩村が吉尾村に編入されてからも、山をくだった麓(大河内)にある「大岩小学校」に通いました。
大岩小学校が2005年(平成17年)に閉校になってからは、横居木を抜けて海の町「田浦」小学校が校区となりました。
ただ、永谷地区に関しては1969年(昭和44年)までは、横居木(よこいぎ)地区にある「田浦小学校横居木分校」に通っていたこともあり、この2つの地区は同級生もいて仲良しという心温まるエピソードがあります。
永谷集落が、小規模・高齢化集落支援モデル地区となり、横居木が協定集落として農業などの協力サポートをしています。