岩屋川内(いわやかわうち)地区【熊本県葦北郡芦北町】旧吉尾村

岩屋川内(いわやかわうち)地区【熊本県葦北郡芦北町】旧吉尾村

岩屋川内(いわやかわうち)地区は、熊本県葦北郡芦北町の上流に沿って民家が点在し江戸時代には「岩屋河内村」として独立した集落でした。

芦北町には、海側の田浦川岸にも同じ地名「岩屋川内地区」が存在しますが、こちらは大字が芦北町大岩となる山側の岩屋川内集落です。地元の人は「いわいぐち」「いわいがわうち」とも発音します。

岩屋川内(いわやかわうち)の地名の由来

熊本県芦北町の岩屋川内(いわやかわうち)の地名ですが、この一帯(旧・大岩村)には昔から石灰石の岩場と転石が多く、実際に岩屋川内のお堂に行く山の途中にも「巨大な岩」を通り抜ける箇所もあり、昔から岩が多い場所で岩を使っての生業が存在していたことが、地名の由来と考えられます。

岩屋川内地区 [芦北町] のデータ

岩屋川内地区 [芦北町] のデータ

出典:大岩地区を吉尾川上流へあがった岩屋川内集落の風景

住所・沿革
名称 岩屋川内地区
住所 〒869-6213 熊本県葦北郡芦北町大岩
標高 158.6m(公民館の場所)
沿革 1603年~(江戸時代)- 岩屋河内村
1874年(明治7年)- 各村の統合により、大河内村に合併される。
1876年(明治9年)- 大河内村が改称して大岩村となる。
1889年(明治22年)- 町内制の施行で、大岩村、上原村、海路村、吉尾村、箙瀬村と合併し「吉尾村大岩」に。
1955年(昭和30年)- 吉尾村が佐敷町・大野村と合併し、「葦北町大岩」に。
2005年(平成17年)- 葦北町が田浦町と合併し、あらためて「芦北町大岩」に。

岩屋川内(いわやかわうち)地区の地理

岩屋川内(いわやかわうち)地区の地理

岩屋川内集落の地図 [出典:地理院地図]

岩屋川内(いわやかわうち)地区は、熊本県葦北郡芦北町のなかにあって大きく大岩地区の一部として、渡瀬・本川内・野稲田・岩谷平の集落とともにあり、大字も「大岩」です。

地理的に孤立していた場所にあったわけではないため、1889年(明治22年)までは大岩村の一部として他集落とともにあり、1955年(昭和30年)までは吉尾村の一部として、球磨川流域の吉尾の管轄下に置かれていました。

吉尾村が葦北町として合併されてからは、芦北町大岩の一部として八代海(不知火海)側の田浦が行政の中心となり、現在は大岩小が閉校のため教育機関も海側の田浦に移行しています。

岩屋川内地区の史跡・名所・施設

岩屋川内公民館

吉尾川から支流沿いに建つ「岩屋川内公民館」です。大岩の中心(本川内)から野稲田集落を抜けた先の川沿いにあります。

⇒「岩屋川内公民館」見る

岩屋川内の巨大岩

岩屋川内の巨大岩

地元の人しか知らない、岩屋川内のお堂へ行く途中に巨大な岩があり、そこを通り抜けないとお堂には辿りつけません。通るのにちょっと勇気がいり、絶妙な位置で止まっていて「怖い」ですが見ごたえはあります。

岩屋川内のお堂

岩屋川内のお堂

岩屋川内地区のお堂は、集落を見下ろす小高い山の上に建立されています。

岩屋川内地区のかたが、祭事で使えるようにお堂の中は綺麗に掃除されていて、敷地内には流し台も設置されていました。

⇒「岩屋川内のお堂」見る

岩屋川内の子どもたちはどの学校へ通ったの?

芦北町の岩屋川内地区の子どもたちは、1889年(明治22年)に大岩村が吉尾村に編入されてからも、すぐ近くの本川内集落にある「大岩小学校」に通いました。

大岩小学校が2005年(平成17年)に閉校になってからは、横居木を抜けて海の町「田浦」小学校が校区となりました。

⇒「大岩小学校跡」見る

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