佐敷(さしき)地区【熊本県葦北郡芦北町】旧佐敷町

佐敷(さしき)地区は、芦北町の北西部にあり、湯浦地区に続き海に面する町です。大字としての佐敷地区は現在の花岡東区の北西部のみの呼称で、大きな括りでの佐敷地区は「芦北町」の中で、田浦・吉尾・大野・湯浦・佐敷として分かれているエリアの総称です。

小さな括りでの佐敷

小さな括りでの佐敷地区は、現在、熊本県葦北郡佐芦北町佐敷の大字がついた地域です。

 

農業集落境界で、町四区と呼ばれる地区とほぼ重なり、佐敷城跡東部よりその麓の「花岡東区の北西部」のみの呼称となっています。

大字佐敷のお店

小さい括りでの佐敷地区には、道の駅「芦北でこぽん」・セブンイレブン芦北インター店・岩永醤油・古賀酒店・勝屋書店・楠本鮮魚店・本田商店・守口屋呉服店・宮嶋園芸・芦北農園・ひまわり化粧品店・サポートレンタカー芦北店・味乃なじみ(なじみ食堂)・ヒカリ堂・草野理髪店・美容室ソレイユ・かおる美容室・美容室いでぐち・高橋ドライ工場・スナックカズ・セピア・デンキのたてみち・JAあしきた精米工場・熊本日日新聞 佐敷販売店・光永銃砲火薬などのお店があります。

大字佐敷の寺社

佐敷町の神社仏閣は、薬師如来堂・来迎寺(浄土宗)・弘法大師堂・八十八札所石仏群・二尊寺・廣徳寺・天理教佐敷分教会・明専寺・専妙寺・蓮光寺があります。

大字佐敷の医療サービス

佐敷町の医療サービスは、井上病院・さしき薬局・はなおか調剤薬局・才松鍼灸院があります。

大字佐敷の公共サービス

公共サービスは、芦北郵便局・肥後銀行 佐敷支店・九州電力芦北営業店・薩摩街道佐敷宿 交流会館「桝屋」・芦北町芦北児童館・総合仏事会館あしきたがあります。

大字佐敷の史跡・公園

史跡・公園は、佐敷武徳殿・日本一の大瓦モニュメント・佐敷城跡・相逢橋公園などの場所があります。

大きな括りでの佐敷

大きな括りでの佐敷エリア(地区)は、1889年(明治22年)の町村制施行で生まれた旧・鶴木山村、計石村、白岩村、道川内村、乙千屋村、佐敷町、花岡村、宮浦村、八幡村、桑原村、松生村、大尼田村、立川村、伏木氏村、田川村が合併してできた「佐敷村(さしきむら)」にあたる区域で、

1903年(明治36年)には、町制施行して「佐敷町」となりました。

その後、1955年(昭和30年)に大野村・吉尾村と合併して佐敷町から「葦北町(あしきたまち)」となった際に、佐敷という大字は上記の小さい括りでの花岡東区の北西部のみだけ「芦北町佐敷」の表記が残り、他はそれぞれ芦北町+地区名が大字として表記されるようになりました。

佐敷(さしき)の地名の由来

「佐敷(さしき)」という地名が歴史に登場したのは、607年(飛鳥時代・推古15年)に秦河勝(はたかわかつ)の「狭布(さしき)山路を開く」と表記されたのが最初とされています。

次に905年(平安時代・延喜5年)の古代法典「延喜式(えんぎしき)」の中に「佐敷」と表記、続いて南北朝時代(1331年~1391年)は芦北庄佐敷、安土桃山時代には「葦北郡佐敷庄」と呼ばれていました。

佐敷(さしき)の地名の由来は、弘法大師の「さし木」伝説がもとになっていると一般的にはいわれていますが、朝鮮古語や百済語の狭い・差し向かい(さし)の城(き)・石の城の意味ではないかと山下勤氏は推測しています(芦北町誌)。

他にも「さしき」という地名は、古文書の中で「狭布(三才図絵」、「佐職=佐色(延喜式)」、「佐志城(長崎縁起略記」、「佐鋪(江戸時代の諸古文書)」など、さまざまな字があてられています。

佐敷地区 [芦北町] のデータ

佐敷地区 [芦北町] のデータ

大字佐敷町の地図 [出典:地理院地図]

住所・沿革
名称 佐敷地区
住所 〒869-5441 熊本県葦北郡芦北町
標高 4.4m(芦北郵便局)
沿革 607年(飛鳥時代)- 狭布
901~927年(平安時代)- 佐職
1331~1391年(室町時代・南北朝)- 葦北庄佐敷
1568~1600年(安土桃山時代)- 葦北郡佐敷庄
1603~1749年(近世前期・江戸時代)- 佐敷町部=本村・舟津村・東泉寺村・拵村・井上村
1750年~1850年(近世後期・江戸時代)- 上記にくわえ、上町・新町が発生。佐敷本村より杉谷村が分離し、花岡東区の北西部のみ「佐敷村」の呼称に。
1868年(明治初年)- 佐敷村と佐敷町の2つが存在した。
1875年(明治8年)- 佐敷村が杉谷村・宇戸村・山下村とあわさって「花岡村」に。
1879年(明治12年)- 熊本県の「郡区町村編制法」施行により、葦北郡が発足し郡役所が佐敷村に設置される。
1889年(明治22年)- 町村制の施行で、佐敷町が鶴木山村、計石村、白岩村、道川内村、乙千屋村、花岡村、宮浦村、八幡村、桑原村、松生村、大尼田村、立川村、伏木氏村、田川村と合併し、「佐敷村」という自治体になる。
1903年(明治36年)- 佐敷村が町制施行し、佐敷町に。
1955年(昭和30年)- 佐敷町・大野村・吉尾村が合併し「葦北町」が発足。
1970年(昭和45年)- 湯浦町が芦北町と合併し、「芦北町」が発足。
2005年(平成17年)- 田浦町が芦北町と合併し、新設「芦北町」が発足。

佐敷(さしき)の地理

 

佐敷地区は、北は佐敷太郎峠を越えて海浦(うみのうら)・小田浦(こだのうら)地区、東は大野地区、南は湯浦(ゆのうら)地区になり、西は佐敷湾(野坂の浦)の海に出ます。

大字佐敷は、花岡西の佐敷川対岸の限定された場所でちょうど、佐敷城の麓の旧城下町に限られて住所が使用されています。

南にある「湯浦(ゆのうら)」同様に、「佐敷」は古くから熊本と鹿児島を結ぶ薩摩街道の宿場町があり、東は山を越えて球磨郡の人吉(球磨川流域)を結ぶ往還があり、海陸交通の要所となったところです。

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