一勝地・三ケ浦地区【熊本県球磨郡球磨村】旧一勝地村

熊本県球磨郡球磨村にある一勝地と三ケ浦は、1954年(昭和29年)まで一勝地村として合併していた地区です。

一勝地(いっしょうち)地区は、JR九州「一勝地駅」を中心にした、一勝地温泉が有名な町です。

三ケ浦(さんがうら)地区は、一勝地の東側に位置する地区で、一勝地の名のつく梨「一勝地梨」の名産地です。また、同地区にある毎床(まいとこ)の大桜も観光名所として知られています。

耕地が、総面積の20%に満たない純山村で、残りは山林地帯となっていますので、急斜面に田んぼ(棚田)があり、日隠・鬼ノ口(一勝地)、松谷(三ケ浦)の棚田が有名です。

一勝地・三ケ浦地区の北側は、同村の大瀬(おおせ)・渡(わたり)地区、東側は、鹿目=かなめ(熊本県人吉市)と接し、南側は布計=ふけ(鹿児島県伊佐市)、西側は告=つげ、國見=くにみ、(熊本県葦北郡芦北町)に面し、一部は久木野=くぎの(熊本県水俣市)とつながっています。

⇒ お問い合わせ・情報提供

一勝地(いっしょうち)の地名の由来

一勝地(いっしょうち)は、もともと、「一升内」と書かれていました。

「一枚の田んぼから、一升(1.80391リットル)のお米しか収穫できない、小さな田んぼの多い場所」が語源とされており、この土地を治めていたのが、鎌倉時代の地頭である、一升内下野守(いっ・しょうち・しもつけのかみ)です。

明治ごろより、一升内の地名の意味合いが悪すぎるとして、縁起のよい「一勝地」に改めたため、この場所はスポーツ選手・受験生が近くの「一勝地阿蘇神社のお守り」や「一勝地駅の切符」を購入して、勝負ごとの験(げん)をかつぐようになりました。

三ケ浦の地名の由来

三ケ浦は、もともと江戸時代まで、大牟田谷村・毎床谷村・松谷村の3つの村がそれぞれ存在していました。川の前の低地にある毎床(まいとこ)など、川沿いに3つ存在する集落が合わさって、三ケ浦(三ケ裏とも書きます)と名づけられたといわれています。

一勝地・三ケ浦の変遷

 1600年~(江戸時代)人吉藩領 一勝地谷村・大牟田谷村・毎床谷村・松谷村
 1886年(明治元年)一勝地村・三ケ浦村
 1889年(明治22年)一勝地村
 1954年(昭和29年)球磨村一勝地・三ケ浦

一勝地・三ケ浦地区の集落

一勝地・三ケ浦地区の集落

一勝地・三ケ浦の地図と農業集落境界 参照元:農林水産省

一勝地地区 淋(そそぎ)
中津(なかつ)
野々原(ののはら)
日隠(ひがくれ)
宮園(みやぞの)
柳詰(やなづめ)
池ノ下(いけのした)
黄檗(きわだ)
田代(たしろ)
遠原(とおばら)
中屋(なかや)
吐合(はきあい)
向淋(むこうそそぎ)
大坂間(おおさかま)
告(つげ)
友尻(ともじり)
中渡(なかわたり)
橋詰(はしづめ)
松舟(まつふね)
茂田(もだ)
三ケ浦地区 大無田(おおむた)
千津(ちつ)
鵜口(うくち)
那良(なら)
俣口(またくち)
大久保(おおくぼ)
那良口(ならぐち)
松谷(まつだに)

※上記の、地区区分は旧一勝地村によるものです。現在の地区区分には一勝地は、中園・田頭・板崎・浦野・岡・馬場が含まれてますが、住所の小字は渡(わたり)になっています。

一勝地・三ケ浦の集落名の由来

黄檗(きわだ)集落は、胃腸薬の材料といわれる樹皮が漢方薬の樹木名からきています。日隠(ひがくれ)集落は、午後に山の陰となって、日(太陽)が当たらない場所からきています。告(つげ)集落は、番所(村境の見張り施設)が置かれており、何かあったら告げる役目があったことから名前がつきました。

一勝地・三ケ浦の飲食店・青果店・菓子屋・パン屋・お弁当屋・スーパーマーケット・道の駅・産地直売所

さつき 定食屋 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲77−3
木屋商店 スーパーマーケット 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地405−4
かわせみ物産館 卸売食料品店 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙51
一勝茶屋 レストラン 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙35
渕田酒造 醸造所 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲422−1

一勝地・三ケ浦の温泉・銭湯・大衆浴場・宿泊施設

一勝地温泉 かわせみ ホテル 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙39−2

一勝地・三ケ浦の神社・仏閣・史跡・名所

一勝地阿蘇神社 神社 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地421
一勝寺 仏教寺院 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙6
意足院(曹洞宗) 仏教寺院 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙76
柴立姫神社 神社 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丁259
柳詰阿弥陀堂 聖堂 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙
大坂間地蔵堂 聖堂 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丁
八雷神社 神社 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙
小長野毘沙門堂 聖堂 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
毎床大桜 観光名所 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
御仮屋跡 史跡 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地
鬼ノ口の棚田 景勝地 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地
日隠の棚田 景勝地 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地
松谷棚田展望所 観光名所 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
毎床の棚田 景勝地 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
毎床堂山古墳 史跡 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
松谷阿蘇神社 神社 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙乙
清正公岩 観光名所 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丁

一勝地・三ケ浦の公共施設・教育・医療・スポーツ

球磨清流学園 小中一貫校 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙123
球磨中学校 閉校 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙123
一勝地小学校 閉校 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙22−1
こがね保育園 保育園 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙90−1
球泉洞駅 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丁
一勝地駅 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲379−1
那良口駅 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦丙
一勝地郵便局 郵便局 〒869-6499 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲379−5
人吉警察署 一勝地駐在所 警察 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲106−3
人吉下球磨消防組合消防本部 中央消防署 西分署 消防署 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地 丙104
高齢者生活福祉センター せせらぎ 介護施設 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙1−5
石の交流館 やまなみ 教育センター 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙22番地4
球磨村商工会 商工会 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲77番地3
球磨村田舎の体験交流館 さんがうら コミュニティセンター 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦乙629−3
球磨川リバーサイドキャンプ場 キャンプ場 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦乙1534

一勝地・三ケ浦の生活サービス

そそぎ工房 木工洋品店 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地610
長江美容室 美容院 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲446
木下製粉場 製粉 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲532−1
一勝地やまめ養魚場 養魚場 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地乙1674−15
譲葉牧場 牧場 〒869-6403 熊本県球磨郡球磨村一勝地丁
一勝地果実組合毎床撰果場 組合 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村一勝地丙1008
満(みつる)農園 農業サービス業 〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ケ浦乙

一勝地・三ケ浦の歴史

熊本県球磨郡球磨村の、一勝地・三ケ浦の地区の歴史を、さかのぼってみてみることにしましょう。

古代から近世にかけて一勝地・三ケ浦の支配者の変遷

 【平安時代】熊襲(くまそ)
 【鎌倉時代~室町時代】相良氏
 【安土桃山時代】相良氏
 【江戸時代】相良氏
平安時代の一勝地・三ケ浦

平安時代までの、一勝地・三ケ浦があった球磨村地域は、まだ文書としては登場していません。

平安時代中期には、熊襲=くまそと呼ばれる南九州の有力な部族が住んでいたといわれています。

898年~921年(平安時代・昌泰元年~延喜21年)醍醐天皇の時代に、和名抄=わみょうしょう(平安時代中期に作られた辞書)のなかに、球磨郡として球玖・久米・人吉・東村・西村・千脱の六つの郷が紹介されています。

鎌倉時代の一勝地・三ケ浦

鎌倉時代の初期に、当時の鎌倉幕府からの命令を受け、地頭=じとう(任務された土地で在地管理をおこなう役職)として、遠州相良荘=えんしゅうさがらのしょう(現在の静岡県牧之原市辺り)から、相良頼景(さがらよりかげ)が、人吉球磨地方にやってきます。

室町時代の一勝地・三ケ浦
一勝地の文書登場

一勝地が文書として登場したのが1490年(室町時代・延徳2年)。

球磨地方を治めていた相良為続=さがらためつぐ(相良氏第12代当主)あての手紙(西文書)に、「肥後国求麻之郡之内一升打(いっしょううち)裏百性」とあります。

1540年(室町時代・天文9年)には、八代日記=やつしろにっき(球磨相良氏の歴史を日記風に記録したもの)のなかに、9月18日「義武様求麻ニ御登候、徳淵より御出舟、佐敷八町ニ御小宿、十九日一舛打(いっしょううち)御着候、廿日ニ人吉御着」とあり、

八代市から芦北を経由して、人吉までの交通路として「一勝地」が重要な中継地点であったことが、わかります。

江戸時代の一勝地・三ケ浦

1605年(江戸時代・慶長10年)慶長肥前国絵図=けいちょうひぜんこくえず(幕府の命令により提出した国絵図)の中には、「一升内(いっしょううち)」三一石余、「一升内ノ内 つけ 田無」とあります。

1624~1644年(江戸時代・寛永年間)に、大牟田谷村・毎床谷村・松谷の3つの村が合併し、三ケ浦(さんがうら)村として成立しました。三ケ裏とも書かれています。

1634年(江戸時代・寛永11年)の郷村高辻帳=ごうそんたかつじちょう(江戸幕府の命令で藩に書かせた村ごとの収穫高の合計の帳面)には、一勝地谷(いっしょうちだに)として、石高=こくだか(収穫した米穀の数量)が書かれていました。

1662年~1664年(江戸時代・寛文2年~4年)にかけて、林正盛=はやしまさもり(人吉に住む問屋の主人)によって、球磨川の船道=せんどう(ふねが通る道)工事がおこなわれました。

一勝地の球磨川沿岸は、急峻=きゅうしゅん(傾斜がけわしいこと)なので、林正盛が球磨川の開削工事をおこなって、舟運の瓶を開いて、物資の輸送と交通を便利にしようとしましたが、

やはり、一勝地の柳詰付近で、一度下船=げせん(船から降りて)して、陸路を使って運んだようです。

1776年(江戸時代・安永5年)には、一勝地田代(たしろ)の奥にあった番所=ばんしょ(警備や見張りのために設置された施設)に、右田伝八(みぎたでんぱち)が陶窯=とうよう(陶磁器を焼くかま)を開きました。

この陶窯は、現在でも「一勝地焼」の名前で、親しまれています。

明治以降の一勝地・三ケ浦

上記の歴史の様に江戸初期までは、一勝地・三ケ浦の地区は

大牟田谷村・松谷村・毎床谷村・一勝地(一升地)谷村と、4つに分かれていましたが、

江戸中期には、三ケ浦村と一勝地村の2つになりました。

明治時代の一勝地・三ケ浦

1871年(明治4年)には、三ケ浦村は、一勝地村に合併されました。

1873年(明治6年)神瀬村の大瀬が、一勝地村に合併されました。

1874年(明治7年)改正大小区制のもと、三ケ浦村・大瀬村が、一勝地村から分村しました。

1889年(明治22年)町村制施行によって、再び三ケ浦と一勝地村が合併し、新たに「一勝地村」としました。

球磨村一勝地・三ケ浦

町村合併促進法が、1953年(昭和28年)に制定されてから、渡村・一勝地村・神瀬村の3つの村の合併会議が、たびたびおこなわれてきました。

翌、1954年(昭和29年)には、3つの村が「もともと相良藩に属し、地縁的に住民の人情・風俗・習慣等生活環境を全くひとつにしている」ということで、

新しく、球磨村としてスタートを切ることになりました。

一勝地・三ケ浦の伝統文化

村の88%が山林で占められ、日本三大急流「球磨川」が、地域を分割し、南に国見山・北に白岩山の高い峰の間をぬって、小川や支流が、無数に広がっている地域のなかで、一勝地・三ケ浦の地域では以下の伝統文化が息づいています。

一勝地・三ケ浦の郷土工芸

熊本県球磨郡球磨村の一勝地・三ケ浦の伝わる伝統文化について、ご紹介します。

一勝地曲げ

江戸時代に、球磨地方の領主であった相良城主が飛騨高山から、職人を招いて「人吉球磨の豊かな森林材料を使って、御用達品」を作らせたことがはじまりです。

薄いヒノキの板を円形に曲げて、山桜の皮でとめて仕上げます。代表的な作品として「曲げわっぱ弁当」など、ひとつひとつ手作りで製作されています。

一勝地焼

相良藩士の陶工であった右田伝八(みぎたでんぱち)が、江戸で陶法を学んだあと「一勝地」の場所に、陶器を作るのに適した土を発見し、開窯=かいよう(陶磁器を焼く窯を、稼働開始すること)したと、伝えられています。

一勝地弁当

勝負ごとに勝つとして、「一勝地」という地名の縁起の良さから、「勝つ弁」というお弁当が一勝地駅で販売されていました。

猪突猛進からヒントを得て、猪(いのしし)肉のやわらか煮・紅白なます・勝ち栗・とんかつなど、勝つという言葉にげんをかついだ食材で、満たされたお弁当です。

一勝地・三ケ浦の伝統芸能・お祭り

一勝地梨まつり

一勝地果実共同組合の主催による、「一勝地梨祭り」です。

場所は、三ケ浦・毎床地区にある一勝地果実協同組合の戦果場で開催され、各種バザー・催し物・梨の奉仕価格販売もありました。

一勝地阿蘇神社 秋季大祭

807年(平安時代・大同2年)創立といわれる「一勝地阿蘇神社」の秋季大祭で、毎年11月前半に開催されます。

過去には、宮相撲と太鼓踊りが披露され、現在は中組・庄本組の太鼓踊りや神楽、こがね保育園の園児の「こがね太鼓」・地域のスポーツ大会が奉納されています。

さんがうら夏祭り

熊本県球磨郡球磨村の三ケ浦の「田舎の体験交流館さんがうら」で開催される、夏祭りです。

屋台の出店や、一勝地の保育園児による太鼓、ひょっとこ笑福会などのステージイベントや、花火も見られました。

「田舎の体験交流館さんがうら」は、元三ケ浦村で閉校した一勝地第二小学校を、改装し農林業の体験と自然を楽しむためにできた、コミュニティセンターです。

くまむら灯籠祭

「田舎の体験交流館さんがうら」と棚田百選「松谷棚田」をメイン会場に、2月に開催される灯籠祭りです。

灯篭の展示と、美味しいバザーなどが用意され、美しい星空と灯籠が堪能できます。

情報の追加・修正をする

サイト運営