水俣(みなまた)高等学校 [旧校舎跡] 水俣市
旧の『水俣高等学校 [旧校舎] 跡』は、2012年(平成24年)3月までに熊本県立水俣高等学校に通った生徒が学んだ校舎が建っていた場所の校跡です。現在の場所ではなく熊本県水俣市南福寺(みなまたしなんぷくじ)6番1号の場所に旧校舎がありました。
旧・水俣高等学校の旧校舎跡には、同時期2012年(平成24年)に統合された「水俣工業高等学校」の閉校記念碑も建立されています。
2012年(平成24年)4月からは閉校した水俣工業高等学校の跡地(熊本県水俣市洗切町11-1)を利用して、新しい水俣高等学校がスタートしています。
水俣高等学校は、いつ移転したの?
旧水俣高等学校が旧校舎場所から移転したのは、2012年(平成24年)3月です。閉校したあと4月から、熊本県立水俣工業高等学校と正式に統合されました。
また、水俣工業高等学校の閉校日は2年後の2014年(平成26年)3月31日となります。
旧水俣高校の跡地は、体育館はそのまま水俣高校第2体育館とて利用し、敷地内には水俣環境アカデミアが入って再利用されています。
旧水俣高等学校の校歌
日差しは溢れ
丘めぐる 松風
唄呼ぶところ
胸あつき若人ら
ここに集い
遠大の望み
かけて学を励む
水俣 水俣 水俣高校
2.たたなはる 山脈
古墳を抱き
とりよろふ 鉾杉
雲生むところ
頬紅き若人ら
ここに競ひ
青春の瞳
燃えて体を鍛ふ
水俣 水俣 水俣高校
3.わきおこる街々
を交わし
うちけぶる不知火
潮さすところ
肩並ぶ若人ら
ここに睦び
校訓の誓こめて
道を修む
水俣 水俣 水俣高校
旧・水俣(みなまた)高等学校 [旧校舎] 跡 のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 旧・水俣高等学校 [旧校舎] |
旧住所 | 熊本県水俣市南福寺(みなまたしなんぷくじ)6番1号 |
閉校年月日 | 2012年(平成24年) |
沿革 | 昭和23年4月1日 旧熊本県立水俣高等女学校と旧熊本県立水俣 農工学校を統合し、普通科、機械科、建築科を 置く全日制総合高等学校として発足する。 昭和26年5月3日 定時制課程、1学級50名配置される。 昭和28年4月1日 普通科1学級定員増となり1学年普通科4学級 200名、機械科50名、建築科50名となる。 昭和36年4月1日 機械科、建築科が分離独立する。(電気科を加 えて熊本県立水俣工業高等学校となる。) 昭和38年4月1日 商業科2学級100名併設される。 昭和39年4月1日 普通科2学級定員増となり、普通科6学級300名 となる。 昭和47年4月1日 普通科1学級定員増となり、普通科7学級 315名となる。 昭和50年4月1日 普通科1学級定員増となり、普通科8学級 360名となる。 平成4年4月1日 普通科7学級308名となる。 平成6年4月1日 1学級42名定員となる。 平成8年4月1日 1学級40名定員となる。 平成8年 創立80周年 平成12年4月1日 普通科1学級定員減となり、普通科6学級 240名となる。 平成15年4月1日 普通科1学級定員減となり、普通科5学級 200名となる。 平成24年 水俣工業高等学校と合併して「新・水俣高等学校」となり、移転。 |
旧・水俣高等学校 [旧校舎] 跡の史跡
2014年(平成26年)ごろまでは、旧・水俣高等学校跡に看板が残っていました。
体育館はそのまま、第2体育館として今も使われています。
懐かしの通学路です。水俣高等学校は「水高(すいこう)」の愛称で親しまれています。
正門前も、旧校舎はすべて解体されてしまいました。
肥薩おれんじ鉄道の線路を越えて、旧・水俣高等学校(旧校舎)まで左側に平屋の住宅が建っていましたが、今は取り壊されて何もありません。
今は無き、通学路の風景です。
敷地の奥にあった別館は、そのまま水俣環境アカデミアとして再利用されています。