赤崎(あかさき)小学校跡 [津奈木町]
『赤崎(あかさき)小学校跡』は、熊本県葦北郡津奈木町の赤崎地区の子どもたちが通った小学校の校跡です。
この赤崎小学校は、1976年(昭和51年)に少ない用地を利用して海上に建築された日本唯一の校舎で、校庭前に赤尾島(裸島・弁天島・黒島)をのぞむ「海に浮かぶ校舎」として、数々のテレビの取材を受けてきた名建築です。
現在、赤崎小学校跡は、柳幸典(現代美術家)氏がプールと更衣室などの付帯施設をリノベーション(再利用)し、宿泊と芸術体験できる「入魂の宿」という大型屋外作品として生まれ変わっています。
赤崎(あかさき)小学校は、いつ閉校したの?
赤崎小学校が閉校したのは、2010年(平成22年)3月31日ですが、閉校式典は2月28日(日)の午前10時よりおこなわれました。
当日は、晴天にめぐまれ第1部閉校式、第2部では校舎玄関前にて、閉校記念碑の序幕式。
昼食をはさんで、校舎と赤尾島の真ん中に設置されたステージで、津奈木舞鶴太鼓や、体育館ステージでは「赤崎小歴史物語」など披露されました。最後に赤崎小の在校生による圧巻の「赤崎太鼓」でフィナーレを迎えました。
閉校したあと4月から、赤崎小学校の児童は、津奈木小学校へ通うことになりました。
赤崎小学校の校歌
きらら きらら
かがやくは 不知火の海
まなびやの 窓にみる海
この海に 心をみがく
赤崎の 入江の子らよ
われら われら
希望燃ゆる われら
2.大門崎 夢かおぼろに
とおく ちかく
霧こめる 不知火のうみ
まなびやの 窓にみる海
この海に からだをきたう
赤崎の 港の子らよ
われら われら
理想めざす われら
赤崎(あかさき)小学校跡 [津奈木町] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 赤崎小学校 |
住所 | 869-5605 熊本県葦北郡津奈木町福浜165番地 |
閉校年月日 | 2010年(平成22年) |
沿革 | 1874年(明治7年)4月 – 民家を借入授業開始 1876年(明治9年) – 校舎新築 1893年(明治26年)- 赤崎尋常小学校と改称 1898年(明治31年)- 校舎移転改築 1918年(大正7年)- 水産補習学校を併設 1920年(大正9年)- 校舎増築・運動場拡張 1935年(昭和10年)- 津奈木村立赤崎実業青年学校と改称 1935年(昭和13年)- 現在地を埋立、校舎新築 1941年(昭和16年)4月 – 赤崎国民学校と改称 1947年(昭和22年)4月 – 津奈木村立赤崎小学校と改称 1963年(昭和38年)4月 – 津奈木町立赤崎小学校と改称 1976年(昭和51年)- 新校舎開校・創立100周年記念式典 2010年(平成22年)2月28日 - 閉校式典 3月31日 – 135年の長い歴史に幕を下ろし閉校 |
赤崎(あかさき)小学校があった集落
赤崎小学校があった「赤崎」は、熊本県葦北郡津奈木町の第一種漁港である福浜漁港(赤崎港)周辺の集落の人々の地区です。漁港で釣れる魚は、アジ・イワシのサビキ釣り(港内)と、チヌ・メジナ・ヒラメ(港外)などの良型魚です。
その赤崎港の波止場の対岸に、赤崎小学校跡があり不知火海に沈む夕日と校舎が絶景スポットとして、観光名所になっています。
赤崎地区には、その沈む夕日の先、干潮時(海の水が少なくなった時)に陸続きになる弁天島(赤尾島の1つ)があり、地域信仰としてその島に弁天様がまつられています。
お盆には、迎え火と送り火の思いをこめ、赤崎港で500個の灯籠が並べられる「赤崎千灯籠の夕べ」も開催され、水面に幻想的な光景をうつしだしています。
その他、閉校となった海の上の赤崎小学校を郵便局にみたてる「赤崎水曜日郵便局」プロジェクトなど、さまざまなアーティストによって、この地区の史跡・遺産が生かされています。
赤崎(あかさき)小学校跡の史跡
赤崎小学校跡は、高台にある県道56号線から坂道を下った場所にあります。まずは、校庭と駐車場があり、その横に体育館とプールが隣接されています。
体育館のそばには、卒業制作のモニュメントが置かれていました。
不知火海に沈む夕陽がすばらしいとされるスポットが、校庭の先の海沿いにあります。目先には弁天島も見えます。
陸地側から見た、校舎の全容です。潮風にさらされているので老朽化がはやい気がします。
本校舎の左側には別棟もあります。すべて、海にせり出されたところに建てられています。
赤崎小学校のプールです。芸術家の方によって新しい作品として生まれ変わっていました。