小田浦(こだのうら)小学校跡 [芦北町]
『小田浦(こだのうら)小学校跡 』は、熊本県葦北郡芦北町の「小田浦地区」の子どもたちが通った小学校跡です。
現在、小田浦小学校の校舎跡は「小田浦地区生涯学習センター」として再利用されています。
小田浦(こだのうら)小学校は、いつ閉校したの?
芦北町立小田浦小学校跡は、2008年(平成20年)の3月に閉校となりました。
卒業生総数は、1514名にのぼります。
2008年(平成20年)4月からは、小田浦小学校校区の子どもたちは、芦北町立「田浦小学校」へ通っています。
小田浦(こだのうら)小学校の校歌
松が枝鳴らす 和田の山
そびゆる岩は 雲を呼び
流るる川は 歌を呼ぶ
われらの母校 小田浦
2.南の国の 青空に
汽笛の響 こだまして
甘夏香る 丘つづき
とうとい汗の いとなみを
仰いで学ぶ 小田浦
3.若木の生命 限りなく
のびゆく力 鍛えつつ
希望は燃ゆる 不知火の
海より遠く ひらけゆく
われらの母校 小田浦
小田浦(こだのうら)小学校跡 [芦北町] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 小田浦小学校 |
住所 | 〒869-5303 熊本県葦北郡芦北町小田浦3339 |
閉校年月日 | 2008年(平成20年) |
沿革 | 1878年(明治11年) – 田浦村小田浦小学校創立 1887年(明治20年) – 田浦尋常小学校小田浦支校と改称 1897年(明治30年) – 田浦尋常小学校と合併 1949年(昭和24年) – 田浦工場和田寮を改築し、小田浦分校となる。 1961年(昭和36年) – 独立小学校となり、田浦町立小田浦小学校と改称 1972年(昭和47年) – 体育倉庫新設 1980年(昭和55年) – 新校舎への移転。新校舎落成式 1981年(昭和56年) – 体育館落成式。 2005年(平成17年) – 芦北町との合併により芦北町立小田浦小学校に改称 2008年(平成20年) – 芦北町立田浦小学校に統合 |
小田浦(こだのうら)小学校があった場所
小田浦小学校に通った子どもたちの集落は、小田浦(こだのうら)といいます。
小田浦の地名の由来は、すぐ近くの田浦(たのうら)の新地(開墾して田んぼを作り新しく拓かれた土地)であったことから、小田浦(こだのうら)と名付けられています。
この小田浦に約20町(約9,900㎡×20)の水田(稲の田んぼ)を作ったのが1846年(江戸時代・弘化3年)といわれています。
場所は、半獄山(標高217m)の麓から田浦湾につながる小田浦川流域の平地で、肥薩おれんじ鉄道「肥後田浦駅」から500m南下した場所に小田浦小学校がありました。
小田浦の子どもたちは標準語をしゃべり、すぐ近くの田浦の子どもたちは「田浦弁」の方言を使っていたそうです。その理由は、近くに東海カーボン(炭素や黒鉛等の高品質素材を製造するメーカー)の田ノ浦工場が学校近くにあり、全国からたくさんの雇用をしていたからです。
街の中心部には、旧国道3号線(バイパスではない)が通っていて、浪辺自動車工業の横には小さな森の奥に「小田浦阿蘇神社」があります。
小田浦阿蘇神社はすでに鎌倉時代から創建されていて、江戸時代には芦北藩主から崇敬=すうけい(神仏をあがめ敬うこと)を受けて改築され明治時代に村の神社として列格(認定される)しました。
小田浦地区は、田浦の中心部からは2㎞離れていますが「肥後田浦駅」があり、そこを中心に集落がひろがっていて、神社仏閣は薬師堂・天子宮、お店・行政機関はJAあしきた田浦基幹支所・田浦変電所・セブンイレブン芦北田浦店・田の浦柑橘組合・昭和シェル石油田浦SS・小田浦福祉センター・小田浦農村公園があります。
小田浦の観光名所には、沈む夕陽がきれいな「小田浦松ヶ崎海岸」があります。
小田浦松ヶ崎海岸は、海水浴場として開発された人口の砂浜なのですが現在「海水浴場」としては利用されておらず、綺麗なサンセットが見れる隠れた穴場観光スポットになっています。
小田浦地区には、新しい国道3号線(南九州西回り自動車道)の降り口がなく、次の田浦インターチェンジまでこの地区を通り過ぎるため、車の通行量は格段に減りました。
小田浦(こだのうら)小学校跡 の史跡
小田浦小学校の校舎は、1980年(昭和55年)に建てられた鉄筋コンクリート二階建てで、40年以上経過しています。
運動場には、小田浦小の子どもたちの卒業記念の作品が多く並んでいます。
運動場が広く、遊具もそのまま残っています。
新校舎と体育館がここに建てられたときの記念の石碑が置かれています。