湯浦(ゆのうら)地区は、芦北町の南西部にあり、八代海(不知火海)に面しながら「湯浦温泉」として歴史がある町です。
小さな括りでの湯浦地区は大字湯浦を使っている集落の呼称で、大きな括りでの湯浦地区は「芦北町」の中で、田浦・吉尾・大野・佐敷・湯浦として分かれている1つのエリアの総称です。
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小さな括りでの湯浦(ゆのうら)
小さな括りでの湯浦地区は、現在、熊本県葦北郡佐芦北町湯浦の大字がついた地域です。
江戸時代までは、湯浦本村・山川村・橋本村とそれぞれ存在していましたが、1868年(明治初年)に、湯浦本村が「湯浦村」に改称して、1874年(明治7年)に山川村・橋本村が湯浦村に編入して、湯治・友田・白砂・湯町・道園・橋本・山川・大平・栫地区が、湯浦地区として形成されました。
大字湯浦にある温泉
湯浦地区にある温泉は、「ささ原温泉」・「湯浦温泉センター」・「ヘルシーパーク芦北」・「岩の湯」・芦北町営温泉プールなどがあります。
大字湯浦にある宿泊施設
湯浦の旅館・ホテルは、「亀井荘」・「別邸わんこ日和」です。
大字湯浦のお店
湯浦のお店は、セブン・イレブン 芦北湯浦店・ファミリーマート芦北湯浦店・M美容室・UGヘアー理美容院・マヨたこ芦北店・清水屋・湯町ふくうら・湯浦ショッピングセンターペア(永田商店)・シゲ美容室・お休み処・池田電機・たなかパソコン教室・コインラインドリーマンマチャオ湯浦店・ヤマグチランドリー・スナックまり・福浦鮮魚店・ハーモニーハウス・稲崎ふとん店・岡部商会・M美容室・ファミリーサロンさんぱつや・寺床石材です。
大字湯浦の寺社・史跡・名所
湯浦の神社仏閣・史跡・名所は、薩摩街道二十里木跡・葦北三十三観音 二十四番札所 山川・橋本神宮・楠天満宮(天神さん)・湯浦温泉神社・鬼の塔・湯治板の板碑があります。
大字湯浦の教育サービス
湯浦地区の教育サービスは、芦北町立湯浦小学校・芦北町立湯浦中学校・石蕗の里・湯浦保育園・公文書写ゆのうら教室です。
大字湯浦の医療サービス
湯浦の医療サービスは、伊藤獣医科・溝部病院・イクタ調剤薬局・整体サロン癒しパルム・リカバリー整体・きずなの里・つわぶきの家・芦北クリニック通所 リハビリテーションさくらなどがあります。
大字湯浦の公共サービス
公共サービスは、湯浦郵便局・芦北警察署 湯浦交番・芦北町社会福祉協議会・芦北町立 星野富弘美術館・芦北町湯浦児童館・JAあしきた 湯浦基幹支所・JA-SS 湯浦・湯南団地集会所・芦北町福祉センター・芦北町多目的研修センター・芦北町立湯浦温泉射撃場があります。
大きな括りでの湯浦(ゆのうら)
大きな括りでの湯浦エリア(地区)は、1889年(明治22年)の町村制施行で生まれた旧・ 湯浦村、女島村、丸山村、米田村、豊岡村、大川内村、高岡村、古石村、宮崎村が合併してできた「湯浦村(ゆのうらむら)」にあたる区域で、
1951年(昭和26年)には、町制施行して「湯浦町(ゆのうらまち)」となりました。
その後、1970年(昭和45年)に蘆北町と合併して湯浦町から「芦北町(あしきたまち)」となった際に、湯浦という大字は上記の小さい括りでの湯治・友田・白砂・湯町・道園・橋本・山川・大平・栫地区だけ「芦北町湯浦」の表記が残り、他はそれぞれ芦北町+地区名が大字として表記されるようになりました。
湯浦(ゆのうら)の地名の由来
「湯浦(ゆのうら)」の語源ですが、まず「浦(うら)」は湖岸・海岸の集落を指す用語として、近代では沿岸部に多くみられ「湯浦」とは、湯の湧く浦という意味であるとされています(芦北町誌)。
鎌倉時代後期、葦北郡は「得宗家(当時の執権・北条氏の嫡流の家系)」が地頭職を得て、その子孫に継承されてきました。特に、葦北七浦(日奈久・二見・田浦・佐敷・津奈木・水俣・久多良木)には薩摩国牛屎院(現・鹿児島県伊佐市大口)の篠原(桧前)氏の一族が登用され、その地域の名前とともに土着していきました。
湯浦(ゆのうら)は、その桧前(檜前とも書く)政磨の子孫(水俣氏一族)が領した土地として伝えられていますが、地名はそれ以前からありました。
1353年(室町時代)、相良定長(さがらさだなが)あての古文書のなかに「葦北湯浦太郎秀基」と書かれており、牛屎院文書として保存してある1387年(室町時代)の「牛屎元勝代山内元清軍忠目安案」の中にも、「葦北庄湯浦城」と書かれています。
湯浦地区 [芦北町] のデータ
住所・沿革 | |
名称 | 佐敷地区 |
住所 | 〒869-5563 熊本県葦北郡芦北町湯浦 |
標高 | 6.0m(湯浦郵便局) |
沿革 | 1100~1600年(中世)- 芦北の庄 湯浦・湯浦城 1600年ごろ(近世初頭)- 葦北郡湯浦郷 1603年~1868年(江戸時代)- 湯浦手永の湯浦村・山川村・橋本村 1874年(明治7年)- 橋本村と山川村が湯浦村に合併される。 1889年(明治22年)- 町村制の施行で「湯浦村」が旧・女島村、丸山村、米田村、豊岡村、大川内村、高岡村、古石村と合併し、新設「湯浦村」という自治体になる。 1951年(昭和26年)- 湯浦村が町制施行し、湯浦町に。 1970年(昭和45年)- 湯浦町が芦北町と合併し、「芦北町」が発足。 2005年(平成17年)- 田浦町が芦北町と合併し、新設「芦北町」が発足。 |
湯浦(ゆのうら)の地理
北部の佐敷地区同様に「湯浦」は、南は鹿児島から津奈木太郎峠、北は熊本から佐敷太郎峠に阻まれいっけん孤立しているかのように見えますが、古くから熊本と鹿児島を結ぶ薩摩街道、東は山を越えて球磨郡の人吉を結ぶ重要な道中にある「温泉に入れる宿場町」として栄えてきました。
北流する湯浦川の左岸にあり、南西は葦北郡津奈木町、北部は佐敷、東部は田川、南部は大川内地区と面しています。