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大浜(おおはま)小学校 [令和7年3月閉校] 玉名市立
『大浜(おおはま)小学校 』は、熊本県玉名市の「大浜地区(新町・中町・旭町・西川町・汐見・烏帽子・沖烏帽子・末広・大栄)」の子どもたちが通っている小学校です。
大浜(おおはま)小学校の閉校式はいつ?
玉名市立大浜小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校となります。
大浜小の閉校式は、2月15日(土曜日)に、大浜小学校の体育館でおこなわれます。
11:30 ~ 12:00 閉校記念碑除幕式(体育館正面)
2025年(令和7年)4月1日から大浜小校区の子どもたちは、豊水(とよみず)小学校の子どもたちとともに新しく統合されてできた「大豊(たいほう)小学校」に通います。
新しい大豊小学校の場所は、大浜小学校のあった玉名市大浜町2100番地で、校舎もそのまま活用されます。
大浜地区の中でも「大栄・末広・沖烏帽子区」に住んでいる小学生は、スクールバス(大豊小学校から3km以上離れている児童が対象)で通学します。
大豊小学校へのスクールバスの停留所は、大栄公民館・末広(三の切、六の切、九の切)・本田商店前・末広建設資材置き場前となります(大浜地区)。
大浜(おおはま)小学校の校歌

大浜小学校の校章【出典:公式サイト】
仰ぐニの岳 三の岳
若い命の ぼくたちが
希望も歌も 高らかに
楽しい 楽しい 大浜小学校
2.菊池の流れ 水きよく
ここにきたえた 身と心
世界をむすぶ わたしらが
仲よくつよく 一すじに
伸びゆく 伸びゆく 大浜小学校
3.さかえる町に みのる野に
みがく知徳も はつらつと
文化をそえる よい子らが
花咲く丘を めざしつつ
かがやく かがやく 大浜小学校
大浜(おおはま)小学校 [玉名市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 大浜小学校 |
住所 | 〒865-0055 熊本県玉名市大浜町2100 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1874年(明治7年)3月 – 大浜町上屋敷に創立し、大浜小学校と称し校舎は瓦葺きにて30坪半。 1881年(明治14) 4月 – 2階建ての瓦葺き校舎2坪半を増築し、階上をもって住宅にあてる。 1896年(明治29年)9月 – 大浜町牟田に瓦葺き平屋校舎を新築する。敷地375坪、総建坪76坪。 1897年(明治30年)4月 – 従来の3学級を改め、4学級編制とし、同時に裁縫室を加設する。 1903年(明治36年)5月 – 高等科2年課程が併置認可され、大浜尋常高等小学校となり、5学級編制となる。 1904年(明治37年)5月 – 増設校舎落成する。 1941年(昭和16年)4月 – 熊本県玉名郡大浜国民学校と改称する。 1945年(昭和20年)5月13日 – 大浜飛行場空襲で、小柳保子(11歳) 春子(10歳) 睦子(7歳)の姉妹が家族とともに犠牲になる。 1947年(昭和22年)4月 – 熊本県玉名郡大浜町立大浜小学校と改称。高等科は大浜中学校と改称し、教室不足のため小学校2、3年は松原教場にて授業する。 1950年(昭和25年)3月 – 中学校校舎落成し、松原分教場を廃止し、本校に合併する。9月 – 平屋及び2階校舎の修理、階上教室、応接室の増築、宿直室新設完成する。 1951年(昭和26年)1月 – 大浜小学校校歌制定される。 1954年(昭和29年)4月 – 熊本県玉名市立大浜小学校となる。 1955年(昭和30年)12月 – 講堂落成する。 1958年(昭和33年)3月 – 校舎改築第一期工事完成する。6月 – 運動場拡張工事完成する。10月 -2階校舎6教室完成、第2校舎(187坪)とする。 1959年(昭和34年)4月 – 給食調理室(25坪)、第3校舎2階建て6教室(187坪)完成する。 1964年(昭和39年)10月 – プール完成する。 (昭和43年)3年 – 明治百年、校舎落成10周年記念事業。(子供像、岩石園、小鳥小屋、植樹) 1971年(昭和46年)1月 – ストーブ13学級分設置する。 1974年(昭和49年)3月 – 本校百周年記念式典、中庭に記念観察園を設置する。 1975年(昭和50年)4月 – 児童減にから11学級編制となる。 1977年(昭和52年)7月 – PTAからカラーテレビを全学級に設置。 1982年(昭和57年)4月 – 児童減にから9学級編制。7月 – 北校舎から便所への渡り廊下改築(鉄骨)する。 1985年(昭和60年)4月 – 児童増にから10学級編制。 1988年(昭和63年)7月 – パソコン3台導入。 1989年(平成元年)3月 – パソコン3台導入。 1990年(平成2年)5月 – 校舎全面改築のため、校舎を運動場北橋へ曳き野移動。 1991年(平成3年)3月 – 鉄筋2階建て教室棟、管理棟竣工落成、延べ面積(2835㎡)落成、落成式挙行。5月 – 旧校舎解体、運動場整地、植樹、遊具設置する。 1992年(平成4年)5月 – 教室棟の南側に、学級園(花園、観察園)を設置する。9月 – 学校週五日制始まる。(第二土曜が休業日となる。)12月 – 大浜漁協移転・建物解体、跡地(1691㎡)校地化される。 1994年(平成6年)12月 – サ-キット用タイヤ(20本)埋ける。 1995年(平成7年) 4月 – スク-ルバス運行開始する。 1999年(平成11年)9月 – パソコン20台設置する。パソコン室に冷暖房機2台設置する。 2000年(平成12年)4月 – 特殊学級(なのはな学級)新設される。 (平成14年)4月 – 特殊学級(たんぽぽ学級)新設される。完全学校週五日制実施。 2003年(平成15年)1月 – パソコン玉名市インターネット接続工事。 2010年(平成22年)4月 – 保健室 シャワールーム設置 2019年(平成31年)3月 – 大浜小学校部活動の活動が終了。4月 – ひまわり(知的障害学級)新設 2020年(令和2年)3月 – 新型コロナウィルス感染拡大防止のため臨時休校(3月2日~3月24日)4月 – 新型コロナウィルス感染拡大防止のため臨時休校(4月14日~5月31日) 2025年(令和7年)3月 – 閉校、豊水小学校と新設合併し「大豊小学校」開校。 |
大浜(おおはま)小学校がある場所

大浜小校区 [出典:学区マップ]
大浜(おおはま)とは?
熊本県玉名市の大浜地区は、江戸時代から菊池川の水運を利用した「廻船問屋(かいせんどんや)」で栄えたエリアです。
ちょうど菊池川河口の左岸にあり、江戸時代後期に整備された港町として、ゆるやかなカーブの両側に古い商家が点在しています。
現在、大浜には江戸時代に建てられた廻船問屋が3棟だけ現存しています。
瓦を水平に貼るなまこ壁が有名な「市原屋」、漆喰が美しい廻船問屋の「神亀丸(しんきまる)」、そして、「久吉丸」です。
地理的には、高瀬の3キロの場所にある菊池川の河港町となり、もともとは漁村でしたが江戸中期に菊池川の土砂がたまって、高瀬港が使えなくなったことをうけ、1781年~1801年(江戸時代・天明と寛政年間)に代替え港として、急速に発展したのが「大浜地区」です。
玉名市の浜千軒(大浜)
熊本県玉名市の「浜千軒」とは、【高瀬藩(熊本新田藩ともいう)=細川家のおさめる熊本藩の支藩】から、年間25万俵(1500万kg)積み出される肥後米によって、流通経済の中心だった大浜の旧地区の総称です。廻船問屋をはじめ綿や油などの特産品をあつかうお店が軒をつらねました。
しかし、頻発する大火災のせいで大浜の繁栄に歯止めがかかり、その後「イグラ造り」と呼ばれる耐火性の高い火除け地が大浜で4ヶ所作られ、外壁は漆喰(しっくい)で塗り固められました。
玉名市大浜地区の通り沿いには、こういった江戸時代から残る白壁の土蔵造りの建物が、ところどころに残っており、当時の風景をしのばせてくれます。
また大浜地区の観光としては、廻船問屋の古民家の「市原屋」「久吉丸」を含む「旧浜千軒エリア」、大浜飛行場のパネルが置いてある旭町公民館、大浜飛行場跡が有名です。
出典:町のかたち村のかたち