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遠竹(とおたけ)小学校 [令和7年3月閉校] 諫早市立
『遠竹(とおたけ)小学校 』は、長崎県諫早市の「遠竹小校区(土井崎・柳谷・釜・南平・黒仁田・遠竹)」の子どもたちが通っている小学校です。
遠竹(とおたけ)小学校の閉校式はいつ?
諫早市立遠竹小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校となります。
遠竹小の閉校式は、2月16日(日曜日)に体育館および運動場で開催されます。
10:00 ~ 10:40 閉校記念式典(体育館)
11:00 ~ 11:30 遠竹っ子のつどい(体育館)
11:45 ~ 12:00 バルーン・リリース(運動場)
12:00 ~ 15:00 学校開放
2025年(令和7年)4月1日から遠竹小校区の子どもたちは、長里(ながさと)小学校と小長井(こながい)小学校とともに、小長井町内の全市立小を1つに統合した学校へ通います。
遠竹(とおたけ)小学校の校歌

遠竹小の校章【出典:公式ホームページ】
望みと元気に 満ち満ちた
みんなの胸に 呼びかける
おかの学校 楽しいな
2.遠くかすんだ 多良岳も
強く正しく ほがらかに
育つみんなを 守ってる
おかの学校 楽しいな
3.光をあびた 若竹が
みんな仲良く むつまじく
力いっぱい のびていく
おかの学校 楽しいな
遠竹(とおたけ)小学校 [諫早市] のデータ
![遠竹(とおたけ)小学校 [諫早市] のデータ](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2025/02/totakesyokyukosya.jpg)
遠竹小学校の旧校舎【出典:小長井町閉町記念誌】
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 遠竹小学校 |
住所 | 〒859-0167 長崎県諫早市小長井町遠竹557 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1873年(明治6年)2月 – 遠竹小学校設立(遠竹村全部) 1879年(明治12年)- 崎原小学校創設(小川原浦・田原・井崎・遠竹の4校を合併) 1899年(明治32年)- 遠竹尋常小学校として独立 1924年(大正13年)- 現在地に移転改築 1941年(昭和16年)- 遠竹国民学校と改称 1947年(昭和22年)- 小長井村立遠竹小学校と改称 1954年(昭和29年)- 新築校舎落成(現在地) 1966年(昭和41年)- 小長井町立遠竹小学校と改称 1972年(昭和47年)- 体育館落成、校門設置、校歌制定 1973年(昭和48年)- 創立百周年記念行事、記念碑建立 1976年(昭和51年)- 校章制定 1982年(昭和57年)- 小長井町立遠竹小学校校舎建設(鉄筋コンクリート2階)、プール完成 1983年(昭和58年)- 校旗制定 1993年(平成5年)- 校訓碑建立 1997年(平成9年)- 体育館落成(遠竹地区全体で落成式) 1999年(平成11年)- 視聴覚室をパソコン室に改修(教師用1台、児童用10台パソコン設置) 2003年(平成15年)- 小長井町イントラネット事業(無線LAN、ノートPC設置) 2004年(平成16年)- 創立百三十周年記念誌発行、諫早市立遠竹小学校と改称 2006年(平成18年)- 土俵新設(遠竹自治会) 2013年(平成25年)- 創立百四十周年記念行事実施 2015年(平成27年)- 複式学級背面黒板設置、クラブ活動での浮立開始 2016年(平成28年)- 三校合同修学旅行開始、土曜授業(学習発表会)開始 2017年(平成29年)- 宿泊学習開始(諫早青少年自然の家) 2018年(平成30年)- 三校合同授業開始 2019年(令和元年)- 完全複式学級編成となる、冷暖房設置(普通教室、理科室、図書室、音楽室) 2020年(令和2年)- ランチルーム給食開始、新型コロナウィルス感染拡大防止のための臨時休校措置(3/2~3/23、4/22~5/13) 2021年(令和3年)- 児童用PC(一人一台)整備、大型モニタ7台設置、校内無線LAN整備 2023年(令和5年)- 創立百五十周年記念行事実施 2025年(令和7年)3月 – 長里小・小長井小と合併のため閉校 |
遠竹(とおたけ)小学校がある場所

遠竹小校区 [出典:学区マップ]
遠竹(とおたけ)とは?
長崎県諫早市の遠竹は、諫早市の北東部の小長井町に属し、町内の東部に位置しています。
西側は、同じ諫早市の小長井町田原で、南側は坂下・長々・井崎・兎島で、北側は太良町の牛尾呂・今里・牟田に隣接しています。
東部は、有明海に面しています。
遠竹の歴史
長崎県諫早市の遠竹(とおたけ)は、1247年(鎌倉時代・宝治元年)の六波羅施行状案(幕府発給の命令を伝達する書面)に、伊佐早(いさはや)庄内の遠竹村と記載され、高木勝丸という地頭が土地を所有していました。
江戸時代からは、高来郡(たかきぐん)遠竹村となり、明治11年までには「井崎村(いざきむら)」の一部となりました。
1889年(明治22年)の町村制施行によって「井崎村」は、長里村と小川原浦村ともに合併し、それぞれの頭の漢字をとり北高来郡の「小長井村(こながいむら)」となります。
1966年(昭和41年)小長井村は、町制施行して「小長井町」に改称。
2005年(平成17年)には諫早市に編入、長崎県諫早市小長井町の遠竹となりました。
諫早市小長井町の遠竹にある有名なもの
まず、遠竹がある小長井町地区は牡蠣が名産で、遠竹をぬける湾岸の国道207号線は、「かき街道」とも呼ばれています。遠竹のかきが食べれる場所として、「小長井町漁協 直売店(かき焼き小屋)」、海鮮料理店「牟田商店」があります。
旧井崎村(遠竹村)の史跡は「毘沙門天岳」、「岩宗墓石群」と「南平墓石群」があり、岩宗には鶴田遠江守の墓石があるとされ、南平にはその一族の墓があると伝えられています。
また、遠竹には諫早市の「遠竹地区浄化センター」、スイカ・ミカンのかたちをした「ミカンとスイカのバス停(阿弥陀崎停留所)」やメロンのかたちをした「メロンのバス亭(釜停留所)」もあり、その近くが阿弥陀崎漁港です。
遠竹小校区の施設は、遠竹小学校のほかに「遠竹保育園」とグループホーム「みさかえの園 のぞみの家」、修道院は「聖母の騎士修道女会本部」と「カトリック小長井教会」があります。
神社仏閣は「稲荷大神」と「国光神社」「諏訪神社(岩宗墓石群の近く)」、
お店はにこちゃん弁当、高祖仏具店、オートパーツ・シゲマツ、徳永自動車、美容院ハピネス、ヨコオファーム小長井農場などあります。