
切木(きりご)小学校 [令和7年3月閉校] 唐津市立
『切木(きりご)小学校 』は、佐賀県唐津市肥前町の「切木小校区(満越・切木・万賀里川・赤坂・杉野浦・湯野浦・中浦・大浦・仁田野尾)」の子どもたちが通っていた小学校です。
切木(きりご)小学校の閉校式はいつ?
唐津市立切木小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校になります。
切木小の閉校式は3月22日(土曜日)より、切木小学校の体育館でおこなわれます。
13:00 ~ 閉校式第2部 子供たちによる発表・卒業生の言葉等
2025年(令和7年)4月1日から切木小校区の子どもたちは、同年閉校された「竹木場(たけこば)小」、「大良(だいら)小」の子どもたちとともに、新設される「高峰(たかみね)小=仮称」へ通います。
切木(きりご)小学校の校歌
仰げばゆかし 朝日かげ
学び舎の丘 照り映えて
つどう兄弟 幸ありわれら
2.濃緑の 野辺遠く
夕映えうれし 茜雲
み教えの道 とこしえに
誓う兄弟 幸ありわれら
切木(きりご)小学校 [唐津市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 切木小学校 |
住所 | 〒847-1515 佐賀県唐津市肥前町万賀里川233−2 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 旧・中浦小学校 1874年(明治7年)2月 – 切木村中浦に「中浦小学校」が創立。初等科の授業を行う。 後に「公立初等中浦小学校」、「尋常中浦小学校」に改称。 1892年(明治25年)4月 – 「中浦尋常小学校」に改称。 旧・切木小学校 1875年(明治8年)2月 – 切木村切木に「切木小学校」が創立。初等科の授業を行う。 後に「公立初等切木小学校」に改称。 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、「尋常切木小学校」に改称。 1892年(明治25年)4月 – 「切木尋常小学校」に改称。 統合 1900年(明治33年)4月1日 – 上記2校を統合の上、切木村万賀里川字向田に「切木尋常小学校」を設置。 1902年(明治35年)2月 – 高等科(2年制)を併置し、「切木尋常高等小学校」に改称。 1903年(明治36年)3月 – 高等科の年限を4年とする。 1908年(明治41年)4月1日 – 義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。これに伴い、以下の改編を行う。 旧・高等科1年を尋常科5年に、旧・高等科2年を尋常科6年に、旧・高等科3年を高等科1年とする。 1910年(明治43年)4月1日 – 高等科2年を設置。 1925年(大正14年)11月 – 運動場を新設。 1929年(昭和4年)5月 – 校地拡張埋立工事が完成。 1930年(昭和5年)3月 – 校舎を増築。 1935年(昭和10年)4月 – 校歌を制定。 1937年(昭和12年)8月 – 切木教育後援会を設立。 1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令の施行により、「切木村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。 1947年(昭和22年)4月1日 – 学制改革により、国民学校初等科が「切木村立切木小学校」に改組される。 国民学校高等科は新制中学校「切木村立切木中学校」として小学校に併置される。 1948年(昭和23年)3月 – 後援会を解散し、育友会(PTA)を設立。 1958年(昭和33年) 1月 – 切木小学校校区は肥前町と合併し、「肥前町立切木小学校」に改称。 4月 – 合併による校区変更により、瓜ヶ坂は肥前町立田野小学校に、湯野尾・座川内は玄海町立有浦小学校の校区となる。 1960年(昭和35年)2月 – 運動場を拡張。 1961年(昭和36年)2月 – 講堂が完成。 1969年(昭和44年)3月 – 鉄筋コンクリート造2階建ての新校舎が完成。 1977年(昭和52年)3月 – 新校旗(校章)を制定。 1988年(昭和63年)2月 – 新校舎(特別教室)が完成。 1990年(平成2年)2月 – 体育館が完成。 1991年(平成3年)6月 – 土俵が完成。 2002年(平成14年)7月 – パソコン教室を設置。 2005年(平成17年)1月1日 – 肥前町と唐津市の合併により、「唐津市立切木小学校」(現校名)に改称。 2025年(令和7年)3月31日 – 竹木場小と大良小と合併するため閉校、4月から新設される高峰小が開校 [1] |
[1] 出典:ウィキペディア
切木(きりご)小学校がある場所

切木小校区 [出典:学区マップ]
切木(きりご)とは?
佐賀県唐津市の切木(きりご)は、1957年(昭和32年)まで東松浦郡にあった村の名称です。
むかしから、唐津と入野村をむすぶ「唐津道」と名古屋村と伊万里をむすぶ「伊万里往還」の道が、切木村内を交差して交通の要衝として、栄えたまちです。
切木小校区は、北側は湯野尾、西側は肥前町瓜ヶ坂と上ヶ倉、東側は東山・唐川、南東部は木場・高岳、南側は波多津町辻・筒井に隣接し、南西部は海に面しています。
切木の歴史
1605年(江戸時代・慶長10年)に幕府の命により作成された「慶長肥前絵図(けいちょうひぜんえず)」では、唐野川のうち、亀尾村と書かれており、その後「切木村」と書かれるようになりました。
切木(きりご)校区の集落は、江戸時代にはそれぞれ旧切木村・赤坂村・湯野浦村・杉野浦村・中浦村・大浦村・満越村・万賀里川村・仁田野尾村として存在していました。
明治初年には小十官者村が「切木村」に編入、1889年(明治22年)の町村制施行で、瓜ヶ坂村・座川内村・大良村・後川内村・梨川内村を含め新設「切木村」として1つに合併されました。
1957年(昭和32年)に、切木村の一部(湯野尾・座川内・大良の一部)が玄海町に編入されます。
1958年(昭和33年)には、切木村の一部(仁田野尾・万賀里川・瓜ケ坂・満越・大浦・中浦・杉野浦・湯野浦および切木・赤坂の各一部)が入野村に編入され、あらたに「肥前村」と改称されました。
肥前村は、即日「町制施行」して「肥前町」となり、切木村の残部(大良・後川内・梨川内・および切木・赤坂の各残部)が、唐津市に編入されます。
2005年(平成17年)1月1日、肥前町は唐津市・浜玉町・相知町・北波多村・肥前町・鎮西町・呼子町と合併し、新設「唐津市」が誕生しました。
唐津市の切木にある有名なもの

切木ボタン【出典:佐賀県観光連盟ホームページ】
切木ボタン(牡丹)
切木牡丹(きりごぼたん)は、豊臣秀吉によって滅ぼされた岸岳城(現・唐津市相知町)の城主「波多氏」とその妻が愛した明=みん(現・中国)から渡来したボタンの花です。
岸岳城が落城(戦いに負けた)時に、その家臣によって移し植えられ現在までその美しさを受け継いでいます。樹齢400年で、佐賀県の天然記念物に指定されています。
もともとは1株だったものが、現在は40株ほどに増え見ごろは毎年4月で、直径25㎝ほどの淡い紅色の八重の大輪を咲かせます。現在は唐津市肥前町切木の出直登氏宅の庭先に咲いていて「一般公開」されています。