![歴木(くぬぎ)中学校 [令和7年3月閉校] 大牟田市立](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2025/04/kunugichugakko1.jpg)
歴木(くぬぎ)中学校 [令和7年3月閉校] 大牟田市立
『歴木(くぬぎ)中学校 』は、福岡県大牟田市の「平原小校区」と「高取小校区」「三池小校区(一部)」の子どもたちが卒業した後に通っていた中学校です。
歴木(くぬぎ)中学校の閉校式はいつ?

歴木中学校の校舎配置図【出典:公式ホームページ】
大牟田市立歴木中学校は2025年(令和7年)3月末で閉校になりました。
閉校式は、同年3月24日(月曜日)に、在校生・来賓の方々・地域住民・教職員など、たくさんの方に見守られてとりおこなわれました。
4月1日から、歴木(くぬぎ)中の子どもたちは、新設開校した「御木(みき)中学校」へ通っています。
校舎は歴木中学校のものを再利用しています。
歴木(くぬぎ)中学校の校歌
高い望みと 仰ぎ見て
今日も知徳を 磨くのだ
われらの歴木 歴木中学校
学びの幸が いつもある
2.若い緑に 光る風
自由の歌と 聞きながら
強く正しく 進むのだ
われらの歴木 歴木中学校
伸びゆく幸が いつもある
3.古い歴史に 生きて来た
大地の恵 身にうけて
明日の文化を 担うのだ
われらの歴木 歴木中学校
平和の幸が いつもある
歴木(くぬぎ)中学校 [大牟田市] のデータ
住所・閉校年)月日・沿革 | |
名称 | 歴木中学校 |
住所 | 〒837-0924 福岡県大牟田市歴木1150 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1947年(昭和22年)- 大牟田市立第五中学校として創立開校 1950年(昭和25年)- 校名を大牟田市立歴木中学校と改称する 1953年(昭和28年)- 促進学級を開設 1955年(昭和30年)- 校旗制定、推戴式を挙行 1963年(昭和38年)- 生徒数2034名、43学級のピークを記録 1964年(昭和39年)- 校歌制定、発表会を挙行 1976年(昭和51年)- 校舎第二棟を火災により焼失 1985年(昭和60年)- 新館特別教室棟竣工 1990年(平成2年)- 新水泳プール完成 2000年(平成12年)- コンピュータ室教育用パソコン40代設置完了 2001年(平成13年)- 校内LAN完成 2009年(平成21年)- 本館3・4階の洋式便器取付け工事・プール便所水洗化 2010年(平成22年)- 本館・新館の洋式便器取付け工事 2014年(平成26年)- 学校給食受け入れ施設(給食配膳室)増築 2016年(平成28年)- 体育館耐震対策 2017年(平成29年)- 普通教室・給食配膳室空調設備設置 2022年(令和4年)- 学校再編に向けて改修工事開始(~6年)本校舎3階・4階 2023年(令和5年)- 学校再編に向けて改修工事中(~6年)本校舎1階・2階 2025年(令和7年)3月31日 – 閉校、4月から新設「御木中学校」が開校 |
歴木(くぬぎ)中学校があった場所

歴木中校区 [出典:学区マップ]
平原小校区は、平原町・八本町・亀谷町・能湖瀬町・大浦町・焼石町地区、高取小校区は、高泉・米ノ山・平野山・希望ヶ丘・茶屋ノ原・乙宮地区、三池小校区は今宮団地・東山・大塔・本村地区にあたります。
歴木中校区は、福岡県大牟田市の北東部に位置し、商店街や大きな団地を擁するまちです。
東部には三池山・高取山があり、校区近くには三池藩屋敷・普光寺・高田行宮などの史跡があります。
西側は、大牟田市役所がある宅峰中学校・松原中学校・白光中学校校区、北側は大牟田中学校・田隈中学校校区、東側は熊本県南関町、南側は熊本県荒尾市に隣接しています。
歴木(くぬぎ)とは?
歴木(くぬぎ)という地名の伝説は日本書紀にしるされています。
むかし、福岡県大牟田はじめじめした土地で「歴木(くぬぎ)」が多く生えていて、なかでも1本だけ3000mほど高さがある木があり、夕日が当たると阿蘇山をも隠すほどだったといわれています。
この歴木が倒れたころ、南九州一帯の「熊襲一族(くまそいちぞく)」を征伐にきていた景行天皇(けいこうてんのう)がその帰り道に三池の里の「高田行宮」にお泊りになりました。
天皇は倒れた「歴木(くぬぎ)」を見て、「この大木は神様の木であろう、これからこの木にちなみこの地方を御木の国というがよい」と進言された伝説が残っています。
出典:歴木中学校ホームページ