江浦(えのうら)小学校 [令和5年3月閉校] みやま市立
福岡県の廃校・校跡

江浦(えのうら)小学校 [令和5年3月閉校] みやま市立

  • 10

『江浦(えのうら)小学校 』は、福岡県みやま市の「江浦校区(徳島第一・徳島第二・江浦町・江浦東・江浦西)」の子どもたちが通っていた小学校です。

江浦(えのうら)小学校の閉校式はいつ?
江浦(えのうら)小学校の閉校式はいつ?

江浦小学校閉校記念碑【みやま市】

みやま市立開小学校は2023年(令和5年)3月末で閉校になりました。

閉校式は、同年3月18日(土曜日)に第1時第2部と、とりおこなわれました。

4月1日から、江浦(えのうら)小の子どもたちは、同年閉校した開小・二川小・岩田小の子どもたちとともに新設開校した「高田小学校」へ通っています。

江浦(えのうら)小学校の校歌
【昭和42年~閉校まで】1.希望羽ばたく 雲仙の
山はむらさき ふかみどり
高い理想を この胸に
みんな元気で すすみましょう
われらの 江浦小学校

2.出船入り船 矢部川に
吹くは潮風 夢の風
伸びる若芽は 土手の上
みんな楽しく 歌いましょう
われらの 江浦小学校

3.海は有明 さわやかに
寄せる満ち汐 光る波
今日もあしたも たゆみなく
みんな仲良く 学びましょう
われらの 江浦小学校

【大正8年~昭和42年】旧校歌
1.朝もや晴れる 愛宕山
いらかは高し 光萬寺
矢部川下る ほのかげも
ゆうゆうとして 水ながし

2.王事につとめし 烈士の士
御国に尽しし 偉人の郷
里のほこりと かえりみて
世のため いよいよつとめなん

3.礼儀規律をしるしとし
うまずたゆまぬ 意気をもち
学びの道に いそしみて
光をとわに あらわさん

江浦(えのうら)小学校 [みやま市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 江浦小学校
住所 〒839-0213 みやま市高田町江浦611
閉校年月日 2023年(令和5年)
沿革 1872年(明治5年)- 江浦町田中の荻原治三郎宅を私塾として発足。
1873年(明治6年)- 江浦町に「閘明小学校」が創立。
1875年(明治8年)- 江浦町高城に移転の上、「江浦小学校」に改称。
1880年(明治13年)- 江浦町堤防脇(古町=神屋口)に移転。
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、三池郡2村(江浦町、江浦)と山門郡1村(徳島)が合併の上、三池郡江浦村が発足。これにより、旧・徳島村の児童が転入。
1892年(明治25年)4月 – 「江浦尋常小学校」に改称。
1901年(明治34年)- 江浦町野田611番地に校舎を新築の上、移転を完了。
1908年(明治41年)4月1日 – 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)4月1日 – 尋常科6年を新設。
1912年(明治45年)4月1日 – 高等科を併置の上、「江浦尋常高等小学校」に改称。
1922年(大正11年)- 校舎を増築。
1931年(昭和6年)10月1日 – 三池郡3村(岩田・二川・江浦)が統合の上、高田村が発足。これにより高田村立の小学校となる。
1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令の施行により、「江浦国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1944年(昭和19年)- 西側用水路のプールを改装。北校舎2階を増設。
1947年(昭和22年)4月1日 – 学制改革が行われる(六・三制の実施)。奉安殿跡に庭園を造成。
国民学校初等科は、新制小学校「高田村立江浦小学校」に改組・改称。
国民学校高等科は、青年学校とともに、新制中学校「高田村立高田中学校」に改組・統合される。
1951年(昭和26年)- 運動場を拡張。
1954年(昭和29年)- 図書室が完成。
1957年(昭和32年)- 南校舎を鉄筋校舎に改修。
1958年(昭和33年)8月1日 – 町制施行により、「高田町立江浦小学校」に改称。
1965年(昭和40年)- 特殊学級を設置。プールが完成。
1967年(昭和42年)- 校歌を制定。
1972年(昭和47年)- 創立100周年記念式典を挙行。体育館が完成。
1975年(昭和50年)- 北校舎中央廊下より出火し、6教室を焼失。
1977年(昭和52年)- 北校舎鉄筋コンクリート造2階建てを増設。
1983年(昭和58年)- 野外大時計が寄贈される。
1988年(昭和63年)- 南校舎・給食室が完成。
1990年(平成2年)- パソコン教室を新設。
2004年(平成16年)- プールの全面改装を実施。
2007年(平成19年)1月29日 – みやま市の発足により、「みやま市立江浦小学校」(最終名)に改称。
2009年(平成21年)- 北校舎に公民館施設が併設される。
2023年(令和5年)3月31日 – 閉校。118年の歴史に幕を閉じる。※1
出典:※1 Wikipedia

江浦(えのうら)小学校があった場所

江浦(えのうら)小学校があった場所

江浦校区 [出典:学区マップ]

開小学校があった場所は、福岡県みやま市の高田町徳島第一・徳島第二・江浦町・江浦東・江浦西地区で、むかしの高田町(たかたまち)のうち「江浦村(えのうらむら)」にあたります。

現在の江浦小学校校区は、旧二川小・旧開小・旧岩田小と合併し新高田(たかた)小校区となっています。

江浦(えのうら)とは?

江浦(えのうら)校区は、旧高田町の徳島第一・徳島第二・江浦町・江浦東・江浦西地区からなり、地区には天神大牟田線が通っており「江の浦駅」で停車します。

江浦校区は、福岡県南部のみやま市の中にあり、さらに西部の矢部川・飯江川の河口に位置し、古くから舟着場(ふなつきば)として栄えた歴史と文化があります。

西側には大和町中島の中島漁港、南側は高田町の北新開・黒崎開、東側は今福・濃施、北側は瀬高町の河内・泰仙寺・大和町鷹ノ尾に隣接しています。

江浦地区の歴史

江浦地区の歴史

江浦地区【出典:農業集落境界の閲覧】

みやま市立開小学校がある「江浦(えのうら)」小校区は、江戸時代には江浦町村・江浦村・徳島村として、それぞれ存在していました。

1878年(明治11年)に郡区町村編制法が施行され、江浦町・江浦は三池郡、徳島村は山門郡になりました。

1889年(明治22年)の町村制施行によって、江浦町村・江浦村・徳島村が合併し新設「江浦村(えのうらむら)」が誕生しました。

江浦村立江浦尋常小学校と改称。

1931年(昭和6年)江浦村は、岩田村・二川村と合併し新設「高田村(たかたむら)」が誕生しました。

高田村立江浦尋常学校と改称。

1958年(昭和33年)には、高田村が町制施行して「高田町(たかたまち)」となりました。

高田町立江浦小学校と改称。

2007年(平成19年)には、高田町が山門郡瀬高町(せたかまち)、山川町(やまかわまち)と合併し、新設「みやま市」が誕生しました。

みやま市立江浦小学校と改称。

出典:開小学校ホームページ

情報の追加・修正をする

さらに詳しくこの地域を知る↓

みやま市とその地域 [福岡県]
みやま市とその地域 [福岡県]

運営会社