後川内(うしろかわうち)小学校 [令和8年閉校] 高原町立
宮崎県の廃校・校跡

後川内(うしろかわうち)小学校 [令和8年閉校] 高原町立

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『後川内(うしろかわうち)小学校 』は、宮崎県西諸県郡高原町後川内の「後川内小校区(上後川内地区・下後川内地区・川平地区)」の子どもたちが通っている創立151年の歴史ある小学校です。

後川内(うしろかわうち)小学校の閉校式はいつ?

高原町立後川内小学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、2026年(令和8年)の2月8日(日曜日)に、同時閉校する「後川内中学校」と一緒に合同閉校式が

午前10時から、11時40分まで開催されます。

閉校記念式典(場所:後川内小学校体育館)
オープニング:東雲太鼓演奏
1.開式のことば
2.国歌斉唱
3.教育委員会告示
4.実行委員長式辞
5.町長式辞
6.来賓紹介・メッセージ紹介
7.思い出のDVD
8.児童・生徒代表のことば
9.校歌斉唱(小→中学校)
10.校旗返納(小→中学校)
11.閉式のことば(閉校宣言)
メモリアルコンサート

後川内小学校校区の子どもたちは、高原町内の同時閉校した広原小・狭野小の子どもたちと一緒に、2026年(令和8年)4月1日から開校される施設分離型の小中一貫校「たかはる学園 高原小学校・高原小学校」へ通います。

後川内(うしろかわうち)小学校の校歌
1.よんでいる よんでいる
霧島山が
今日もみんなに よんでいる
さあ 校庭の さくらのように
清く 明るく うつくしく
生きてゆこうよ うたおうよ
後川内の小学生

2.みつめてる みつめてる
かすみがおかが
今日もやさしく みつめてる
さあ 校庭の せんだんよりも
かおり ゆたかに すこやかに
えだをはろうよ 学ぼうよ
後川内の小学生

3.ふいてくる ふいてくる
希望の風が
今日もまどべに ふいてくる
さあ校庭の いちょうのように
強く 大きく たくましく
伸びていこうよ みのろうよ
後川内の小学生

後川内(うしろかわうち)小学校 [高原町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 後川内小学校
住所 〒889-4413 宮崎県西諸県郡高原町後川内2666
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1874年(明治7年)3月 – 大字後川内石ヶ野に「後川内小学校」が創立。高原小学校から教員が交代で来校し、授業を行っていた。
1878年(明治11年)12月 – 専任教員配置され、高原小学校からの教員の派遣は終了となる。
1884年(明治17年)7月 – 暴風雨により校舎が倒壊したため、一時休校となる。
1885年(明治18年)- 後川内字中尾の御用山に移転を完了。
1887年(明治20年)4月 – 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易後川内小学校」として独立。
1899年(明治22年)4月 – 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常後川内小学校」に改称。5月1日 – 西諸県郡4村(後川内、西麓、蒲牟田、広原)が合併の上、「高原村」が発足。
1897年(明治30年)2月24日 – 後川内字石ヶ野(後の農協支所)に校舎を増改築し、移転を完了。
1908年(明治41年)4月 – 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより、尋常科5年を新設。
1909年(明治42年)4月 – 尋常科6年を新設。
1911年(明治44年)4月 – 校舎を増改築。
1925年(大正14年)4月 – 高等科を併置の上、「後川内尋常高等小学校」に改称。
1930年(昭和5年)5月22日 – 現在地に移転を完了。
1917年(大正6年)7月 – 農業補習学校を併置。
1934年(昭和9年)10月5日 – 町制施行により、「高原町」が発足。
1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令施行により、「高原町後川内国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
4月1日 – 国民学校初等科は、新制小学校「高原町立後川内小学校」(現校名)に改組・改称。
4月28日 – 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制小学校「高原町立後川内小学校」に改組・改称。小学校に併設される。
1948年(昭和23年)3月 – 併設の後川内小学校が統合により、「高原町立高原小学校後川内分校」となる。
1950年(昭和25年)4月1日 – 併設の小学校分校が、「高原町立後川内小学校」として独立。
1951年(昭和26年)10月 – 台風により南校舎が半壊。
1952年(昭和27年)2月 – 南校舎を改築(復旧)。
1961年(昭和36年)3月 – 校門を改修。
1965年(昭和40年)1月1日 – 校歌を制定。2月 – 完全給食を開始。12月 – 小中合同プールが完成。
1966年(昭和41年)3月 – 音楽室が完成。4月 – 体育館が完成。
1969年(昭和44年)5月 – 特殊学級を設置。
1970年(昭和45年)2月 – 鉄骨2階建て校舎(6教室)が完成。
1973年(昭和48年)1月 – 校旗を制定。
1975年(昭和50年)3月 – 新校舎が完成。6月5日 – 創立100周年記念式典を挙行。
1976年(昭和51年)3月 – 運動場を芝生化。
1981年(昭和56年)10月 – 裏門が完成。
1982年(昭和57年)1月 – 特別教室が完成。
1993年(平成5年)- 音楽室とコンピューター室が完成。
1994年(平成6年)- 給食室が完成。
1996年(平成8年)4月 – 準へき地校に指定される。
1999年(平成11年)- 新体育館が完成。
2002年(平成14年)- 新プールが完成。
2026年(令和8年)3月31日 – 「たかはる学園 高原小学校」新設のため閉校 [1]

[1] 出典:Wikipedia

高原町立後川内小学校の校舎

高原町立後川内小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

後川内小学校の校舎は、1970年(昭和45年)に鉄骨2階建てが建てられ、その後新校舎が1975年(昭和50年)に完成しました。

高原町立後川内小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

後川内小学校の体育館は、1999年(平成11年)にできたものです。新プールも、2002年(平成14年)に完成しています。

後川内(うしろかわうち)小学校がある場所

2026年(令和8年)に閉校する『後川内(うしろかわうち)小学校』は、宮崎県の南西部のまち「高原町(たかはるちょう)」の後川内にある学校です。

高原町の主産業は、水稲・里芋の農業のほかに牛・豚・鶏の畜産業がさかんで、特にお米は霧島連山からの湧水で作られた「ヒノヒカリ」が有名です。

後川内小学校は、宮崎県道414号有水高原線と広域農道が交差する標高190.56 mに位置し、近くには後川内簡易郵便局・黒木石油(後川内SS)があります。

後川内地区

後川内小学校がある地域は、上後川内地区・下後川内地区・川平地区からなり、江戸時代から明治初期までは「後川内(うしろかわうち)村」があった場所に相当します。

細かい区域は、花堂・蒲牟田・上麓・下麓・出口・鹿児山(越東の一部を除く)・並木・常盤台・後谷が、後川内小学校の生徒が通っている地区です。

1889年(明治22年)の町村制の施行で、後川内村は西麓村・蒲牟田村・広原村とともに合併し、新設「高原(たかはる)村」が誕生しました。

1934年(昭和9年)、高原村が町制施行して「高原町」になり、後川内小学校の住所も宮崎県西諸県郡高原町の大字が後川内となっています。

後川内の名所・伝統芸能

後川内の名所・伝統芸能

パワースポットの霞神社(画像出典:グーグルマップ)

霞神社

後川内小学校がある、宮崎県西諸県郡高原町の後川内(うしろかわうち)には、絶景と白蛇伝説で知られるパワースポットの「霞(かすみ)神社」があります。

霞神社は、天孫降臨神話ゆかりの地として狭野神社・霧島東神社とならぶ、高原町の主要な神社で、展望台からのぞむ「霧島連山」や広大な盆地の景色がすばらしいです。

古くから、「霞権現さま」として地域住民に親しまれていて、縁起のよい白蛇伝説があるため縁結び・開運・商売繁盛のご利益があるパワースポットとして、知名度をあげています。

東雲太鼓

後川内の名所・伝統芸能

後川内の伝統芸能「東雲太鼓」画像出典:フリーライフたかはる

東雲(しののめ)太鼓は、高原町立後川内小学校・後川内中学校の児童・生徒、そして「後川内区太鼓保存会」の方々が中心となって活動している地域の伝統芸能です。

主な演目は「鬼無里(きなさ)」、「霞舞(かすみまい)」で、太鼓の種類は桶胴太鼓(大太鼓)・大太鼓(長胴太鼓)・締太鼓などを使います。

地元のお祭り「後川内夏祭り」が最大の舞台で、後川内小学校の閉校式でも披露される予定です。

地下式横穴墓

高原町の後川内にある「川除遺跡」など、縄文時代前期の土器など多く見つかっています。

地下式横穴墓は、丘陵地の斜面に分布する古墳時代のめずらしい墓で「立切地下式横穴墓群」として1000基を超える大規模な群衆墓が特長です。

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高原町とその地域 [宮崎県]
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