後川内(うしろかわうち)中学校 [令和8年閉校] 高原町立
宮崎県の廃校・校跡

後川内(うしろかわうち)中学校 [令和8年閉校] 高原町立

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『後川内(うしろかわうち)中学校 』は、宮崎県西諸県郡高原町後川内の「後川内小校区(上後川内地区・下後川内地区・川平地区)」の子どもたちが小学校を卒業して進学した創立76年の歴史ある中学校です。

2025年(令和7年)に3年生6名が卒業後、在校生は2名となりました。

後川内(うしろかわうち)中学校の閉校式はいつ?

高原町立後川内中学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、2026年(令和8年)の2月8日(日曜日)に、同時閉校する「後川内小学校」と一緒に合同閉校式が

午前10時から、11時40分まで開催されます。

閉校記念式典(場所:後川内小学校体育館)
オープニング:東雲太鼓演奏
1.開式のことば
2.国歌斉唱
3.教育委員会告示
4.実行委員長式辞
5.町長式辞
6.来賓紹介・メッセージ紹介
7.思い出のDVD
8.児童・生徒代表のことば
9.校歌斉唱(小→中学校)
10.校旗返納(小→中学校)
11.閉式のことば(閉校宣言)
メモリアルコンサート

2026年(令和8年)4月1日から、後川内中学校区にいる生徒は、新設される施設分離型の小中一貫校「たかはる学園 高原小中学校」へ通うことになります。

後川内(うしろかわうち)中学校の校歌
1.風の日も 雪の日も
霧島山は 学び舎の
窓の向こうから
いつも雄々しく 呼びかける
後川内の子らよ 高く 高く
もっと 高く飛べ 高く飛べ

2.暑い日も 寒い日も
霞ケ丘は ふり上げる
鍬の向こうから
いつも静かに 呼びかける
後川内の子らよ 深く 深く
もっと 深く掘れ 深く掘れ

3.晴れた日も 雨の日も
青山脈は 起伏する
原の向こうから
いつも優しく 呼びかける
後川内の子らよ 遠く 遠く
もっと 遠く見よ 遠く見よ

後川内(うしろかわうち)中学校 [高原町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 後川内中学校
住所 〒889-4413 宮崎県西諸県郡高原町後川内2651
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1947年(昭和22年)4月28日 – 宮崎県民生部長の指令によって設置が認可される。後川内小学校の教室を借用の上、発足。
1948年(昭和23年)3月 – 「高原町立高原中学校 後川内分校」となる。
1949年(昭和24年)4月 – 校舎が完成。
1950年(昭和25年)4月1日 – 高原中学校から分離の上、「高原町立後川内中学校」(現校名)として独立。6月15日 – 校章を制定。
1958年(昭和33年)3月7日 – 校旗を制定。3月20日 – 校歌を制定。
1965年(昭和40年)2月 – 給食設備が完成。12月 – 小中兼用プールが完成。
1966年(昭和41年)1月 – 技術室が完成。12月 – 小中兼用体育館が完成。
1969年(昭和44年)3月 – 現校舎が完成。4月 – 校門が完成。
1972年(昭和47年)10月 – 運動場を拡張。
1979年(昭和54年)2月 – 体育館が完成。
1989年(平成元年)8月 – プールが完成。
1996年(平成8年)- 準へき地校に指定される。
1999年(平成11年)- 新技術室が完成。
2026年(令和8年)3月31日 – 「たかはる学園 高原小中学校」新設のため閉校 [1]

[1] 出典:Wikipedia

高原町立後川内中学校の校舎

後川内中学校の校舎は、1969年(昭和44年)に完成した鉄筋コンクリートです。

 

後川内中学校のかつての教室の様子です。

高原町立後川内中学校の校舎

後川内中学校の体育館は、1979年(昭和54年)にできたものです。

後川内(うしろかわうち)中学校がある場所

2026年(令和8年)に閉校する『後川内(うしろかわうち)中学校』は、宮崎県の南西部のまち「高原町(たかはるちょう)」の後川内にある学校です。

高原町の主産業は、水稲・里芋の農業のほかに牛・豚・鶏の畜産業がさかんで、特にお米は霧島連山からの湧水で作られた「ヒノヒカリ」が有名です。

後川内中学校は、宮崎県道414号有水高原線と広域農道が交差する標高190.01mに位置し、近くには後川内簡易郵便局・黒木石油(後川内SS)があります。

後川内地区

後川内中学校がある地域は、上後川内地区・下後川内地区・川平地区からなり、江戸時代から明治初期までは「後川内(うしろかわうち)村」があった場所に相当します。

細かい区域は、花堂・蒲牟田・上麓・下麓・出口・鹿児山(越東の一部を除く)・並木・常盤台・後谷が、後川内中学校の生徒が通っている地区です。

1889年(明治22年)の町村制の施行で、後川内村は西麓村・蒲牟田村・広原村とともに合併し、新設「高原(たかはる)村」が誕生しました。

1934年(昭和9年)、高原村が町制施行して「高原町」になり、後川内中学校の住所も宮崎県西諸県郡高原町の大字が後川内となっています。

後川内の名所・伝統芸能

後川内の名所・伝統芸能

パワースポットの霞神社(画像出典:グーグルマップ)

霞神社

後川内中学校がある、宮崎県西諸県郡高原町の後川内(うしろかわうち)には、絶景と白蛇伝説で知られるパワースポットの「霞(かすみ)神社」があります。

霞神社は、天孫降臨神話ゆかりの地として狭野神社・霧島東神社とならぶ、高原町の主要な神社で、展望台からのぞむ「霧島連山」や広大な盆地の景色がすばらしいです。

古くから、「霞権現さま」として地域住民に親しまれていて、縁起のよい白蛇伝説があるため縁結び・開運・商売繁盛のご利益があるパワースポットとして、知名度をあげています。

東雲太鼓

後川内の名所・伝統芸能

後川内の伝統芸能「東雲太鼓」画像出典:フリーライフたかはる

東雲(しののめ)太鼓は、高原町立後川内小学校・後川内中学校の児童・生徒、そして「後川内区太鼓保存会」の方々が中心となって活動している地域の伝統芸能です。

主な演目は「鬼無里(きなさ)」、「霞舞(かすみまい)」で、太鼓の種類は桶胴太鼓(大太鼓)・大太鼓(長胴太鼓)・締太鼓などを使います。

地元のお祭り「後川内夏祭り」が最大の舞台で、後川内中学校の閉校式でも披露される予定です。

地下式横穴墓

高原町の後川内にある「川除遺跡」など、縄文時代前期の土器など多く見つかっています。

地下式横穴墓は、丘陵地の斜面に分布する古墳時代のめずらしい墓で「立切地下式横穴墓群」として1000基を超える大規模な群衆墓が特長です。

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高原町とその地域 [宮崎県]
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