高原(たかはる)小学校 [令和8年閉校] 高原町立
宮崎県の廃校・校跡

高原(たかはる)小学校 [令和8年閉校] 高原町立

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『高原(たかはる)小学校 』は、宮崎県西諸県郡高原町西麓の「高原小校区(花堂・蒲牟田・上麓・下麓・出口・鹿児山 [越東の一部のぞく]・並木・常盤台・後谷)」の子どもたちが通っている小学校です。

高原小には、親孝行や自分以外の人のためにはたらく事の素晴らしさを記した「旌孝の碑」「忠僕由善坊の碑」という2つの石碑が建っていて、地元の先人のよい行いを未来につなぐ活動(音読劇)などが学習体験の特色です。

高原(たかはる)小学校の閉校式はいつ?

高原町立高原小学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

同年2月15日(日曜日)、午前8時10分から授業参観のあと、午前10時~10時45分まで高原小学校体育館で「閉校式」が開催されます。

高原小学校は、150年の歴史を持つ生徒数300名(令和7年度)の大きな学校ですが、2026年(令和8年)4月1日から施設分離型の小中一貫校「たかはる学園」が新設されるため、閉校します。

高原小校区の子どもたちは、高原町内の同時閉校した広原小・後川内小・狭野小の子どもたちと一緒に、2026年(令和8年)4月1日から開校される施設分離型の小中一貫校「たかはる学園」へ通います。

校舎は、そのまま高原小学校を再利用します。

高原(たかはる)小学校の校歌
1.高千穂の峰 朝夕に
仰ぎいそしむ 学び舎の
ほこりを持ちて 睦み合う
歴史は古し 高原校

2.六とせの月日 たゆみなく
みがく知識の 光るまで
力ひとつに はげみ合う
窓は明るし 高原校

3.澄める御池の 水かがみ
心正しく 体つよく
持てる個性を 伸ばし合い
希望にもえる 高原校

高原(たかはる)小学校 [高原町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 高原小学校
住所 〒889-4412 宮崎県西諸県郡高原町西麓340
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1869年(明治2年)8月 – 鹿児島藩庁漢学局授読のに有馬新右衛門により、旧・地蔵院跡(出口)に寺子屋風の郷学校が開校。
1871年(明治4年)12月10日 – 旧・地頭仮屋敷跡に移転。
1872年(明治5年)9月 – 校舎を新築の上、「高原学校」に改称。
1874年(明治7年)- 創立基準年
1876年(明治9年)8月 – 「高原小学校」に改称。
1877年(明治10年)- 西南の役により、一時休校。
1883年(明治16年)5月 – 狭野小学校を統合の上、分教場とする。
1886年(明治19年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易高原小学校」に改称。
1887年(明治20年)4月 – 蒲牟田分教場が「簡易蒲牟田小学校」として分離・独立。
1889年(明治22年)4月 – 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常高原小学校」に改称。5月1日 – 西諸県郡4村(後川内、西麓、蒲牟田、広原)が合併の上、「高原村」が発足。
1892年(明治25年)5月9日 – 「高原尋常小学校」に改称。9月26日 – 「高原高等小学校」が創立(尋常小学校と併置ではなく、独立した形で創立)。
1908年(明治41年)4月1日
高原尋常小学校と高原尋常小学校の2校を統合の上、「高原尋常高等小学校」に改称。
改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより、旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に改める。
1914年(大正3年)- 在籍児童数が500名を超える。
1917年(大正6年)3月10日 – 現在地に移転を完了。3月10日を創立記念日に制定。
1918年(大正7年) – 農業補習学校を併設。
1931年(昭和6年)3月10日 – 校歌および校章を制定。
1932年(昭和7年)8月 – 教育後援会が発足。
1934年(昭和9年)10月5日 – 町制施行により、「高原町」が発足。
1935年(昭和10年)- 青年学校令施行により、高原青年学校が併置される。
1936年(昭和11年)7月 – 講堂を新築。校舎を増築。
1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令施行により、「高原町高原国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。4月1日 – 国民学校初等科は、新制小学校「高原町立高原小学校」(現校名)に改組・改称。5月8日 – 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「高原町立高原中学校」に改組・改称。
1950年(昭和25年)4月8日 – 常盤台分校を設置。3年生までを収容。
1952年(昭和27年)6月 – 木造校舎(本館)が完成。
1959年(昭和34年)4月 – 常盤台分校、全学年(6年生まで)を収容。
1961年(昭和36年)4月 – 学校給食を開始。11月 – プールが完成。
1962年(昭和37年)4月 – 特殊学級を設置。
1963年(昭和38年)3月 – 鉄骨造2階建て校舎(10教室)が完成。
1966年(昭和41年)4月1日 – 常盤台分校が分離の上、「高原町立常盤台小学校」として独立。
1970年(昭和45年)3月 – 鉄骨造2階建て校舎(10教室)が完成。
1971年(昭和46年)4月 – 旧町民体育館が小学校体育館として移管される。
1973年(昭和48年)4月1日 – 高原町立常盤台小学校を統合。
1974年(昭和49年)6月 – 管理棟が完成。11月15日 – 創立100周年記念式典を挙行。
1975年(昭和50年)3月 – 創立100周年記念タイムカプセルを埋設。
1977年(昭和52年)12月 – 樹齢100年を超える記念樹ケヤキを伐採。
1982年(昭和57年)3月 – 動物鎮魂碑を建立。
1984年(昭和59年)3月 – 新体育館が完成。
1988年(昭和63年)- 小中合同給食調理場が完成。
2001年(平成13年)3月 – 新プールが完成。
2010年(平成22年)2月 – 校舎等の耐震工事が完了。
2026年(令和8年)3月31日 – 「たかはる学園」新設のため閉校  [1]

[1] 出典:Wikipedia

高原町立高原小学校の校舎

高原町立高原小学校の校舎

高原小学校の2階建て鉄筋コンクリートの校舎は、1970年(昭和45年)に完成しました。

高原町立高原小学校の校舎

1916年(大正6年)に現在地に移転したときに植えられたとされるセンダンの樹と、1984年(昭和59年)に完成した新体育館。

高原町立高原小学校の校舎

校舎からみた運動場と遊具、そして2001年(平成13年)に竣工した新プールです。

高原町立高原小学校の校舎

高原小学校の運動場側から見た縦に3つ並ぶ校舎。

高原町立高原小学校の校舎

校舎の中庭からは、ピンク色の旧高原町民体育館が見えます。

高原町立高原小学校の校舎

昭和の建造物として歴史・文化的に価値がある「旧高原町民体育館」は、1971年(昭和46年)に高原小学校の体育館(旧)として移管されました。

高原町立高原小学校の校舎

旧高原町民体育館は、木造のかなり大きな建物です。

高原町立高原小学校の校舎

生徒数300名以上いる、高原小学校の校舎は連絡通路もたくさんあり、小さな町のジオラマみたいですね。

高原(たかはる)小学校がある場所

2026年(令和8年)に閉校する『高原(たかはる)小学校』は、宮崎県の南西部のまち「高原町(たかはるちょう)」の西麓にある学校です。

高原町の主産業は、水稲・里芋の農業のほかに牛・豚・鶏の畜産業がさかんで、特にお米は霧島連山からの湧水で作られた「ヒノヒカリ」が有名です。

高原小学校は、国道223号線(霧島バードライン)から宮崎県道405号西麓小林線に抜ける途中の高原町中心部、高原町役場の近くにあります。かつては高原中学校の校舎[旧校地]も道路をひとつ越えて併設されていました。

高原小学校がある地域は、江戸時代までは高原郷の「麓(ふもと)村」「蒲牟田(かまむた)村」とよばれていました。

同時閉校する「狭野(さの)小学校」の住所大字も「蒲牟田」ですので、蒲牟田地区については以下のページで詳しく解説しています。

麓村は、高原郷の中心にあって、地域名の由来は鹿児島藩領時代に「地頭仮屋」を中心に郷士=ごうし(江戸時代に農村に住み、武士の身分を与えられた人々の総称)が居住する集落名(麓)からきています。

明治に入ると「麓村」は「西麓(にしふもと)」村になり、1889年(明治22年)の町村制の施行で、広原村・後川内村・蒲牟田村とともに合併し、新設「高原(たかはる)村」となりました。

1934年(昭和9年)、高原村が町制施行して「高原町」になり、高原小学校の住所も宮崎県西諸県郡高原町の大字が西麓となっています。

西麓・蒲牟田の特産品

高原小の校区には、高原町産宮崎牛・熟成たかはる灰干し・小清水栽培米・椎茸・完熟きんかん・ニジマスの甘露煮・日本茶・たかはる紅茶(ゆるり)高原の特産品として有名です。

また、地区の伝統の和菓子として「あくまき(灰汁に漬けておいたお餅を竹の皮で包んだ伝統てきなお菓子)」「ねったぼ(おもちとサツマイモを一緒に練り上げた優しいお菓子)「ゆべし(ユズを使った加工食品)」が、「LaLaきりしまハッピーマルシェ」などの各産地直売所で購入できます。

高原小校区の伝統芸能

高原小校区の伝統芸能

祓川の神舞(画像出典:文化遺産オンライン)

高原小校区の蒲牟田地区には、祓川の神舞(はらいかわのかんまい)と呼ばれる宮崎県の無形民俗文化財と国重要無形文化財に指定されている伝承されている神楽があります。

「祓川の神舞」がおこなわれる祓川神楽殿は、蒲牟田の中でも狭野小学校校区に近いですが高原町の伝統文化としてこちらに紹介します。

毎年12月の第2土曜日の午後7時ごろから朝7時ごろまで、夜を徹して舞われるこの「神舞」は、霧島東神社の社家の年中行事のひとつとして、約400年の歴史があります。

なかでも12人が約1時間にわたって勇壮に舞う「十二人剱」はみもので、真剣をもって踊る「剱舞」が多いのが、祓川の神舞の特色です。

同地区の「狭野神楽」については、狭野小学校のページで紹介しています。

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高原町とその地域 [宮崎県]
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