笠原(かさはら)小学校 [平成26年閉校] 八女市立
福岡県の廃校・校跡

笠原(かさはら)小学校 [平成26年閉校] 八女市立

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『笠原小学校』は、福岡県八女市の「笠原地区(椿原区・笠原中央区・釈形区・南笠原区・下鹿子尾区・上鹿子尾区」の子どもたちが通っていた小学校です。

笠原(かさはら)小学校の閉校式はいつ?

八女市立笠原小学校は、2014年(平成26年)3月31日で閉校になりました。

同年4月1日より、笠原小校区の子どもたちは同時閉校した木屋小・大淵小の児童とともに、八女市立「黒木小学校」に通っています。

笠原(かさはら)小学校の校歌
1.山紫に 水清く
四時の眺めの 麗しき
平和の里の なかしめて
我が笠原の 学び舎は
礎かたく そそりたつ

2.われらの意思は 霊岩の
岩をと硬く 見晴るかす
筑紫平野の 果て遠く
有明海の 夕づく陽
健児の意気と 燃ゆるかな

笠原(かさはら)小学校 [八女市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 笠原小学校
住所 〒834-1222 福岡県八女市黒木町笠原4341
閉校年月日 2014年(平成26年)
沿革 1879年(明治12年)- 笠原村立の笠原小学校が山中に創立される。
1885年(明治15年)- 小川内分校・鹿子尾分校を開設。
1895年(明治25年)- 学校が振々に移転される。
1947年(昭和22年)- 笠原中学校が併置される。
1953年(昭和28年)- 鹿子尾分校が笠原東小学校として独立。
1954年(昭和29年)- 笠原村他が黒木町に合併し、新黒木町が誕生したことをうけ「黒木町立笠原小学校」に改称。
1972年(昭和47年)- 笠原中学校が黒木中学校に統合。
1978年(昭和54年)- 創立100周年記念行事挙行。校舎が全面改築される。
2004年(平成16年)- 笠原東小学校が閉校。
2010年(平成22年)- 黒木町が八女市に合併されたことをうけ「八女市立笠原小学校」に改称。
2014年(平成26年)3月31日 – 黒木小学校に統合のため閉校。

八女市立笠原小学校の校舎

八女市立笠原小学校の校舎

笠原小学校の校舎は、1978年(昭和54年)の創立100周年記念事業のもと全面改築(ベランダ付きの3階建て鉄筋校舎)されたものでしたが、現在は解体されて何も残っておりません。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

上は、笠原小学校の校舎がまだあったころの写真です(平成25年当時)。校舎は県道797号線の道沿いにそって建てられていたことがわかります。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

2013年(平成25年)から10年後、校舎は解体され広場になっていました。これは運動場ではなく、運動場はこのひとつしたのスロープの下にプールとともにありました。

八女市立笠原小学校の校舎

こちらが、運動場側から笠原小学校校舎を撮った写真です。先ほどの駐車場になっていた広場は、校舎といくつかの木が建っている場所になります。

八女市立笠原小学校の校舎

実際の運動場におりていくスロープの左横には、子どもたちのプールがありました。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

続いて、校舎があったころの県道797号線沿いのものです。

これを見ると、1972年(昭和47年)まであった笠原中学校と一緒に使っていた鉄筋コンクリートの校舎のデザインだったことがわかります。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

現在の同じ方角からの写真です。校舎がなくなった分だいぶ広くなっていますので、つい運動場だったのではないかと勘違いしてしまうでしょう。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

続いて、笠原小学校の校舎の手前(黒木町市街寄り)に建っていたのが、笠原保育園です。写真は2013年(平成25年)当時のものですがこの年、閉園しました。

八女市立笠原小学校の校舎

画像出典:グーグルストリートビュー

現在、笠原保育園はなく跡地には建物を再利用して「社会福祉法人高峰福祉会」の小規模多機能ホームよかよか が入っています。

平成に作られた「笠原地区振興計画」のひとつに、特別養護老人ホーム建設の要望が、地元住民から出されていただけにこれは理想的な活用ではないでしょうか。

笠原(かさはら)小学校がある場所

笠原(かさはら)小学校がある場所は、福岡県八女市の黒木町笠原です。

黒木町の市街地から、北東に県道797号線を4kmほど山のほうに入ったところに笠原地区があり、総面積は28.9平方kmで大半は山林で、地区の中央部には笠原川が貫流し

その両側に集落が点在し、農林業がむかしから営まれてきました。

笠原地区は、椿原・笠原中央・釈形・南笠原・下鹿子尾・上鹿・子尾区の6つの集落からなり、2012年(平成24年)時点で人口1152人(世帯数377)でしたが、この年、九州北部豪雨災害が発生し、笠原地区と星野地区(旧星野村)は特に水害や山崩れなどで甚大な被害を受けました。

笠原小学校のなかでも家が被災した児童が数名おり、ほとんどの家庭で電気・水道が止まり、道路損壊のためう回路を通って通学するなどの不自由な生活を余儀なくされました。

主要道路は現在、完全復旧しましたが豪雨以降、人口流出が続き約10%~15%の人口・世帯減となっています。

笠原地区の特産

笠原地区の、主要な農産物は「お茶」と「お米」です。

お茶は、八女茶発祥の地として知られ、高級茶が生産されています。

ほかには、果樹栽培やビニールハウスなどでイチゴ・ナス・花卉(かき=観賞用の植物)、そしてさらに山奥の高地では高冷地栽培のキュウリ・インゲンなどが盛んに作られています。

笠原小校区の歴史

笠原小学校がある笠原地区は、江戸時代には筑後久留米藩の椿原(つばきはら)村、釈形(しゃくがた)村、鹿子尾(かこお)村として、それぞれの集落が存在していました。

1876年(明治9年)、椿原村・釈形村・鹿子尾村が合併し「笠原村」が誕生します。

1899年(明治32年)には、八女郡で町村是(ちょうそんぜ)・郡是(ぐんぜ)と呼ばれる産業振興や村の運営方針が作られ、笠原村是(かさはらむらぜ)も作られました。

これは、当時笠原村に住む職人や産業の数と今後の産物のありかたが書かれています。

「本村の道路は川に沿ひて村内を東西に貫き県道に連る道は只黒木に通する一線僅に郡道に属すと雖とも然れとも岩石多くして高低少らす運輸交通最も不便なり」

上記の文章から、谷沿いに続く笠原地区の不便さとともに、道路整備を望んできたことがうかがえ、この件にかんしては県道797号線が完成してほぼ解消されました。

ほかには、「将来、森林の世に鴻益があることは人の能く知る所である。盖(けだ、もしかすると)し森林は平時おいては天然の一大貯水器となって河川水源を涵養して、土砂の崩壊を防止し、晴雨乾湿のを節制し、或いは洪水の氾濫を防ぎ旱魃の大害を避ける。若しくは農用灌漑水の淵原となる等効を挙げて数えれば遑がない。」

と書かれていて、のちの豪雨土砂災害についての備えが予言されていました。

1921年(大正10年)、矢部川の大洪水がおこります。

1922年(大正11年)には、笠原村に初めて電燈がともり、県道797号線が開通します。

1929年(昭和4年)、堀川バスが山中までの5.9kmの運行を開始し、1937年(昭和12年)笠原郵便局も開設されました。

1945年(昭和20年)、国鉄矢部線が開通し笠原村の隣町にあたる黒木町の中心部に「黒木駅」ができました(昭和60年全線廃止)。

1948年(昭和23年)、笠原に農業組合が発足され同年、笠原中学校が黒木中学校より分離創設されました。

1953年(昭和28年)、笠原地区で大水害(西日本水害)。

1954年(昭和29年)には、笠原村がほかの旧黒木町・豊岡村・串毛村・木屋村と合併し、新設「黒木町」が誕生しました。

1959年(昭和34年)笠原地区に公衆電話が開通しました。

1963年(昭和38年)笠原地区で献茶祭がはじめて開催され、1970年(昭和45年)にはパイロット茶園も笠原に完成しました。

1972年(昭和47年)、併設の笠原中学校が黒木中学校に統合されたため、校舎はその後、笠原小学校が単独で使用します。

1984年(昭和59年)、笠原地区で「八女茶山唄日本一大会」を開催しました。

1985年(昭和60年)、黒木までのびていた国鉄矢部線(羽犬塚駅~黒木駅間)が廃止されます。

2010年(平成22年)には、笠原地区のある黒木町が、ほかの立花町・星野村・矢部村とともに、八女市に編入されました。

そして、2012年(平成24年)笠原地区は、九州北部豪雨災害で多大な被害を受けました。

2014年(平成26年)、地域の笠原小学校が黒木小学校に統合されましたが、学校跡地において38年以上続いている地元手作りの小さなお祭り「だっでん祭り」は、いまもなお、八女茶発祥の地「笠原」のお祭りとして、地区内外から多くのかたが訪れています。

笠原小校区の伝統芸能

笠原小校区の伝統芸能

旭座人形芝居(画像出典:八女の手仕事)

福岡県八女市黒木町の笠原地区には、笠原小学校の児童も参加していた伝統芸能「旭座人形芝居(あさひざにんぎょうしばい)」と呼ばれる人形浄瑠璃の一座があります。

旭座の起源は、1872年(明治5年)ごろ、笠原地区の標高292m~368mにある鰐八(わにばち)地区に、人形浄瑠璃の名人があらわれ、祝いの座で「ひょうたん」や「徳利(とっくり)」を人形にみたてて操ったことに由来しています。

それ以後、熊本県の山鹿市、大分県日田市、福岡県の朝倉などの座から首を護りうけて芸題(演目)を増やしながら、農閑期(のうかんき=作物の栽培において収穫後など農作業が比較的落ち着く、主に冬場)に、八女茶のPR(宣伝)もかねて、県内各地をまわりました。

もともと、地名に由来して「鰐八座(わにばちざ)」と呼ばれていましたが、1907年(明治40年)に旭日に大鷹(オオタカ)をデザインした六間幅の引幕(ひきまく=舞台などで、左右に引いて開閉する幕のこと)を寄贈してもらったことから、旭座に改名しました。

1955年(昭和30年)には、福岡県の無形文化財に指定され「保存会」も結成し、家族ぐるみで継承されていきました。

1999年(平成11年)、念願の文楽専用施設「旭座人形芝居会館」が完成したことをうけ、地域のみならず都市部へ向けて新たな情報を発信しています。

笠原小学校の4年生から6年生も、当時「人形浄瑠璃」を練習し披露していましたが、閉校後、黒木小学校に統合されたあとも「黒木小学校人形浄瑠璃クラブ」として、笠原地区の伝統を継承してくれています。

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