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旭日(あさひ)小学校 [令和7年3月閉校] 国東市立
『旭日(あさひ)小学校 』は、大分県国東市の「旭日小校区(重藤・綱井・治郎丸)」の子どもたちが通っている小学校です。
旭日(あさひ)小学校の閉校式はいつ?
国東市立旭日小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校となります。
2月22日(土曜日)9時より、旭日小の閉校記念除幕式と式典をおこないます。
2025年(令和7年)4月1日から旭日小校区の子どもたちは、同年閉校した小原(おわら)小学校の子どもたちとともに、国東(くにさき)小学校へ通います。
旭日(あさひ)小学校の校歌
旭日の丘に 雲のごと
蜜柑の花の 咲きかおる
わが学び舎の 窓あらた
励み学ばん もろともに
2.両子の峯に 雲焼くる
夕べの野べを ひびかせて
香にたつ早稲は 山をなす
わが農場の 幸ゆたか
励み力めん もろともに
3.遠い歴史の あととむる
ここ鬼塚の 丘の上
自然の恵み なおひらき
平和の郷を うちたてん
われらが学び舎 旭日校
旭日(あさひ)小学校 [国東市] のデータ
![旭日(あさひ)小学校 [諫早市] のデータ](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2025/02/asahisyogakko2.jpg)
旭日小学校の校舎【出典:グーグル・ストリートビュー】
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 旭日小学校 |
住所 | 〒873-0513 大分県国東市国東町綱井2980−1 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1874年(明治7年)- 治郎丸・綱井・重藤・池ノ内の4村に小原小学校の分校として創立 1875年(明治8年)- 各分校を廃し、重藤八坂神社拝殿を仮校舎として「重藤小学校」と称す 1882年(明治15年)- 綱井大字大台に新校舎落成「綱井小学校」と称す。池の内、分離独立 1887年(明治20年)- 改正小学校令により、池の内再合併 「簡易小学校」と称す 1888年(明治21年)- 「綱井尋常小学校」と称し、修業年限4年となる 1889年(明治22年)- 市町村制実施に伴い「旭日尋常小学校」と改める 1903年(明治36年)- 校舎増改築 落成 1908年(明治41年)- 現在地に校舎移転改築 落成。 義務教育年限6ヵ年となる 1935年(昭和10年)- 青年学校令により「旭日村青年学校」と改称 1941年(昭和16年)- 「旭日村国民学校」 となる 1947年(昭和22年)- 「旭日村立旭日小学校」となり、中学校併設。PTA結成。 1954年(昭和29年)- 国東町に合併。「国東町立旭日小学校」となる。 1955年(昭和30年)- 国東町立旭日幼稚園 併設 1958年(昭和33年)- 校歌制定 給食調理室落成 完全給食開始 1973年(昭和48年)- プール用ボーリング完成。プール竣工 1974年(昭和49年)- 百周年記念式挙行 校旗新調 百年史刊行 1975年(昭和50年)- 旭日幼稚園舎 新築落成 1979年(昭和54年)- 鉄筋2階建校舎 落成 1980年(昭和55年)- 屋内体育館 竣工 正門舗装工事完成 1990年(平成2年)- 祖父母学級 開設 1995年(平成7年)- 地区との「合同運動会」開催 2006年(平成18年)- 市町村合併に伴い「国東市立旭日小学校」となる 2025年(令和7年)3月 – 小原小とともに国東小へ合併のため閉校 |
旭日(あさひ)小学校がある場所

旭日小校区 [出典:学区マップ]
旭日(あさひ)とは?

里づくり旭日ネットの皆さん【出典:公式サイト】
大分県国東市の旭日は、世界農業遺産の「ため池群」がある里山のまちです。
北側は国東町小原、南側は武蔵町の池ノ内、西側は武蔵町の麻田、東側は海に面していて、旭日地区を流れる「治郎丸川」も伊予灘にそそがれています。
1889年(明治22年)に旭日村(あさひむら)があったところで、治郎丸村・綱井村・重藤村・池ノ内村が合併してできたまちでしたが、1954年(昭和29年)には綱井・治郎丸・重藤が国東町(現・国東市)と合併し、池ノ内は武蔵町へ合併されました。
旭日がある国東市は、人口27,240人のうち65歳以上が、人口11,551人で高齢化率42%の「超高齢社会」で、85歳以上のかたも2,840名と10人に1人の計算になり、そのうち約半数が何らかの介護保険サービスを利用している現状です。
その中で、旭日地区は自然・歴史・文化財といった地域資源を再認識する活動として、旭日ネットワーク協議会の拠点「旭日テラスひのわ」をオープンしています。
旭日の歴史

上空からみた旭日地区【出典:公式ホームページ】
大分県国東市の旭日(あさひ)は、江戸時代には治郎丸(じろうまる)村・綱井(つない)村・重藤(しげふじ)村があったところで、正保郷帳=しょうほうごうちょう(1644年から江戸幕府が諸大名に命じて作らせた郷帳)によりますと、武蔵郷のうちと書かれています。
1889年(明治22年)の町村制施行によって「治郎丸村」「重藤村」「綱井村」は、旭日村となりました。
1954年(昭和29年)には、旭日村は来浦町・富来町・上国崎村・豊崎村とともに国東町全域と合併し、あらためて「国東町」に編入されました。
この時、旭日村の一部であった「池ノ内」は、武蔵町・中武蔵村と合併し、あらためて「武蔵町」に編入されました。
2006年(平成18年)国見町・国東町・武蔵町・安岐町が合併し、国東市となりました。
国東市の旭日にある有名なもの

国東市旭日地区の観光名所【出典:あさひnet】
①高雄池
米の収穫が少なかった綱井村にできた「ため池」で、1783年(江戸時代・天明3年)に完成後、米のよく実る豊かな村となりました。
②阿弥陀寺跡
上治郎丸地区にある阿弥陀寺の跡で、1205年(鎌倉時代・元久2年)この地に建立されました。境内のめがね橋は江戸時代中期の建造物です。
③連碑
同じく上治郎丸地区にある「山神社」のご神木です。国東市の天然記念物に指定されています。
④竹林の小径
旭日地区を一望できる祇園山の山頂から裏手におりる道すじにあります。
⑥庚申塔
下治郎丸地区にある「庚申塔」は、青面金剛・三猿・鶏が彫られています。
⑦美迫池
美泊池(みさごいけ)は、世界農業遺産に認定されている「ため池」です。この池の下流にある迫池が水不足になった場合は、ここより補給できるようになっており、市民の皆様にもウォーキングコースとして人気の場所です。
⑧萱島酒造
萱島(かやしま)酒造は、1873年(明治6年)創業の作り酒屋で、「西の関」というお酒のブランドが有名です。
⑨黒雄社
1213年(鎌倉時代)に創立された神社で、重藤遠江守義元という岸本城主の崇拝鎮守でしたが、お城は1286年に廃城となりました。
⑩重藤十王堂
大分県の有形文化財に指定されている十王さまです。
⑪天神社
1108年(平安時代末期)に綱井村の森に鎮座された神社です。
1738年(江戸時代・元文3年)の長い干ばつ(雨が降らない日が続くこと)による凶作の際、綱井村の老若男女があつまり「天神社」に祈願したところ、12日も雨が降り続いて、飢饉をまぬがれた伝説が残っています。