計石(はかりいし)小学校跡 [芦北町]
『計石(はかりいし)小学校跡』は、熊本県葦北郡芦北町の計石地区の子どもたちが通った小学校跡です。
新校舎は、熊本県葦北郡芦北町計石2963−1にあり、旧校舎は熊本県葦北郡芦北町計石2962−1にありました。
現在、新校舎跡は「芦北サテライトオフィス計石」が、旧校舎跡は「計石保育園」が再利用しています。
計石(はかりいし)小学校は、いつ閉校したの?
計石小学校は、2012年(平成24年)3月に138年の歴史の幕をおろし閉校しました。
2012年(平成24年)2月25日の閉校式では、在校生1年生から6年生が閉校記念碑の序幕をおこないました。
葦北鉄砲隊の迫力ある演舞、秀岳館高校雅太鼓、そして感謝の気持ちをあらわした「ありがとう!計石小学校」の発表には来席者の涙を誘いました。
2012年(平成24年)4月からは、計石小の子どもたちは「佐敷小学校」へ通うことになりました。
計石(はかりいし)小学校の校歌
今も残れる大石に 因むその名ぞ計石
磨け 真心 大地の子
2.林なしたる帆柱に 名も不知火の海かけて
漁とる船や渡る船 出入りは繁しこの港
点せ 漁火 光の子
3.一郷一家と陸み合う 家並みはここに三百余
海に魚介の幸多く 陸に農産移し
伸びよ 磯の子 大地の子
4.松の緑の名も著く 婦人の鏡と仰がるる
湯地の津尾子の住し跡 語りつがなん後の世に
学べ 文化を 光の子
計石(はかりいし)小学校跡 [芦北町] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 計石小学校 |
住所 | 〒869-5453 熊本県葦北郡芦北町計石2963−1 |
閉校年月日 | 2012年(平成24年) |
沿革 | 1874年(明治7年) – 公立佐敷小学校計石分教場創立。 1887年(明治20年)- 佐敷尋常小学校計石分教場と改称。 1888年(明治21年) – 芦北北部高等小学校計石分教場と改称。 1892年(明治25年) – 計石尋常小学校となる。 1899年(明治32年) – 鶴木山分教場設置。 1941年(昭和16年) – 計石国民学校と改称。 1947年(昭和22年) – 佐敷町立計石小学校と改称。 1955年(昭和30年) – 葦北町立計石小学校と改称 1970年(昭和45年) – 芦北町立計石小学校と改称。鶴木山分校廃止。 2012年(平成24年)3月 – 芦北町立佐敷小学校へ統合 |
計石(はかりいし)小学校跡のある場所
計石小学校の新校舎跡は、熊本県葦北郡芦北町の佐敷港の芦北漁協が東側にあり、校庭も港に面していて夕焼けが水平線に沈むまで、明るく照らしてくれる最高のシチュエーションです。
校舎の西側は、週末になると行列ができる「芦北うたせ直売食堂 えび庵」と、芦北町計石温泉センターがあります。
新校舎跡には、「芦北サテライトオフィス計石」が入っていて、閉校した計石小学校をリノベーションして、ワークスペースを提供してくれています。また、校舎内には、熊本日日新聞の芦北北支局も入っています。
計石小学校の旧校舎跡は、新校舎よりも56号線(七浦オレンジロード)を東に300mほどいった現・計石保育園の場所にありました。門柱はそのまま残っています。
また、計石保育園内には「旧計石小学校」の記念の石碑もそのまま保存されています。
計石(はかりいし)とは?
熊本県葦北郡芦北町にある「計石(はかりいし)」は、現・芦北町役場がある佐敷の中心部から、海岸線沿いの56号を鶴ヶ浜海水浴場、芦北マリンパーク・ビーチ、白浜ビーチなど海水浴場へ向かう手前の漁港町です。
佐敷港(野坂の裏)の入口ともあって、計石村(江戸時代)のころから海上交通の要衝=ようしょう(大切な地点)として、栄えました。校歌にもあるように、計石(はかりいし)の地名の由来は、潮の干満(みちひき)を計る石が置かれたことによります。
1889年(明治22年)の町村制施行で、計石村は隣村の鶴木山村と白岩村と同じくして、佐敷村に合併されました。
その後、佐敷村は1903年(明治36年)に佐敷町になりましたが、1955年(昭和30年)には大野村と吉野村と新設合併し、葦北町(現・芦北町)となり、計石地区の住所も芦北町計石となっています。