石飛(いしとび)分校跡 [石坂川小学校] 水俣市
熊本県

石飛(いしとび)分校跡 [石坂川小学校] 水俣市

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『石飛(いしとび)分校跡』は、熊本県水俣市の石飛集落の子どもたちが通った石坂川小学校の分校跡です。石飛分校跡の校舎は、現在は卓球などのスポーツや、集落の方の集会場として再利用されています。

石飛(いしとび)分校は、いつ閉校したの?

石飛分校が閉校したのは、2008年(平成20年)3月です。閉校したあと4月から、石飛分校の児童は、葛渡小学校へ通うことになりました。

石飛(いしとび)分校跡 [水俣市] のデータ

石飛(いしとび)分校跡 [水俣市] のデータ

石飛(いしとび)分校跡 [水俣市] の閉校記念碑

住所・閉校年月日・沿革
名称 石飛分校
住所 〒867-0174 熊本県水俣市石坂川石飛615
閉校年月日 2008年(平成20年)
沿革 1950年(昭和25年) – 石飛分校として開校
1954年(昭和29年) – 診療所を改造して教員住宅にする
1958年(昭和33年) – 熊本学生セツルメント活動で来校。分校校舎のコケラぶきを瓦ぶきにする
1959年(昭和34年) – 井戸完成(手つきポンプ)
1961年(昭和36年) – 分校・本校間に有線電話が通じる
1962年(昭和37年) – 校舎の裏に桧木の苗を植樹
1963年(昭和38年) – 石飛地区点燈。大雪のため1ヵ月余り交通途絶(救援物資)
1964年(昭和39年) – 分校住宅に公衆電話設置
1965年(昭和40年) – 台風15号で教員住宅が被害甚大
1967年(昭和42年) – 石飛地区に新入生がいなくなったため、鬼岳地区より新入生を迎える。井戸に電気ホームポンプ取付け
1968年(昭和43年) – 教員住宅を現在地に新築
1972年(昭和47年) – 校門完成
1973年(昭和48年) – 鉄筋コンクリート新校舎完成。旧校舎解体。運動場造成
1974年(昭和49年) – 二学級となる
1975年(昭和50年) – 一学級となる
1977年(昭和52年) – 夜間ナイター二基四灯設置
1978年(昭和53年) – ちり焼却炉設置
1979年(昭和54年) – 入学児童なし
1980年(昭和55年) – 入学児童なし
1981年(昭和56年) – 分校・住宅間に親子電話設置
1982年(昭和57年) – 入学児童2名。砂場完成
1983年(昭和58年) – 入学児童2名。収納倉庫完成。掲揚台・掲示板・池・完成
1984年(昭和59年) – 入学児童2名。門柱移転。ポンプ小屋完成。校内放送設備
1985年(昭和60年) – 入学児童2名。灯油倉庫完成。花壇の柵完成。水道消毒器取付け
1986年(昭和61年) – 入学児童2名。
1987年(昭和62年) – 入学児童3名。水道敷設。物品倉庫完成。学校林間伐。住宅テレビアンテナ修理
1988年(昭和63年) – 入学児童2名。シンボル塔(分校名入り)完成。手作り遊具(ロープウェー・ブランコなど)完成。ヘチマ棚完成
1989年(昭和64年・平成元年) – つつじ植樹。入学児童1名。くものすのぼり完成。石飛村おこし会発足。第1回水俣市三分校合同運動会(越小場)。にわとり小屋設置。遺跡出土品棚・一輪車庫完成。石飛分校創立40周年記念運動会。ループ橋・たぬき小屋完成。
1990年(平成2年) – 創立40周年航空写真撮影・パントマイムショー。山野造園完成。通学路整備。ビデオデッキ贈呈。TKU・TBS取材。
2008年(平成20年)- 閉校

石飛(いしとび)分校があった集落

石飛分校があった、「石飛」の集落は、熊本県水俣市の南東部の標高526.1mの高さにある高原です。

石が飛ぶほどの強い風が吹くことから、「石飛(いしとび)」と命名されたこの土地は、昭和21年(1946年)9月に、第1次の入植者が20世帯引っ越してきて、昭和22年(1947年)に第2次入植者がまた20世帯移住してきました。

ちょうど、熊本県と鹿児島県伊佐市の県境の場所にあり、標高の高く風が強いことからお茶の栽培に適し「水俣茶」発祥の地として、在来種の茶葉も多数存在しています。近くには株式会社「天空の製茶園」、ログカフェと山小屋ハウス、そして観光名所として眺めの良い「亀峰峠」が県境にあります。

峠を越えると、鹿児島県伊佐市の村上畜産の大口農場、ファームテック大口、山野西小学校の校跡もあります。

石飛分校の子どもたちは、高学年になると曲がりくねった小道をくだって、3km下にある石坂川小学校の本校へ通いました。途中には小川や滝がいくつもあり、自然豊かな場所です。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

石飛(いしとび)分校跡の史跡

1950年(昭和25年)に創設された「石飛分校」の写真にある鉄筋コンクリートの校舎は、1973年(昭和48年) に建てられ、裏には広い運動場もあります。

石飛分校の校門

石飛分校の校門は、1972年(昭和47年) に作られたものです。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

一番大きな部屋が、教室となっています。黒板も長いですね。

標高500m以上なので、冬には雪が積もるためストーブも用意されています。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

もう1つの大きな教室には、ピアノが置いてあり音楽の授業をしていたことが偲ばれます。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

ピアノが置いてある教室の現在は、卓球の台が置かれていますが小学校にあがったばかりの低学年が、ここで大きな声で歌を歌っていたと想像すると、とてもなつかしい気持ちになりますね。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

歴代校長先生の写真が並ぶ、職員室だったと思われる部屋です。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

石飛村おこしの時のものでしょうか?石飛賛歌という唄を作っていたようです。

校歌に相当するもので、子供たちや大人が一緒に歌っていた光景が目に浮かびます。

石飛(いしとび)分校跡の史跡

1990年(平成2年)、石飛分校40周年記念として航空写真も撮りました。

石飛分校掲示板

こちらの学校掲示板は1983年(昭和58年) に増設されたものです。

石飛分校のトイレ

トイレもきちんと完備され、子供たちも満足のいく教育が受けられたことでしょう。

石飛分校のなつかしの動画
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