五木東(いつきひがし)小学校 [令和8年閉校] 五木村立
熊本県の廃校・校跡

五木東(いつきひがし)小学校 [令和8年閉校] 五木村立

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『五木東(いつきひがし)小学校 』は、熊本県球磨郡五木村の甲にある「五木東小校区(五木村内全域)」の子どもたちが通っている小学校です。

樹齢90年の柱が1階から2階までつながった「温かい木の校舎」が特徴の、創立150周年の歴史ある学校です。

五木東(いつきひがし)小学校の閉校式はいつ?

五木村立五木東小学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、2025年(令和7年)11月15日(土曜日)に五木東小150周年記念「五木源(ごきげん)フェスティバル」が開催されました。

五木東小の閉校記念式典は、2026年(令和8年)3月14日(土曜日)に同時閉校する「五木中学校」と一緒の合同閉校式(場所:五木東小学校体育館)が、9時半よりとりおこなわれます。

閉校記念式典 内容

閉校記念碑除幕式:午前9時30分から午前11時まで
記念除幕式:午前11時30分からお昼12時まで
閉校記念感謝の会:お昼12時30分から午後2時まで

同年4月1日より、五木東小校区の子どもたちは、小中一貫の義務教育学校「五木学園」へ通います。

五木東(いつきひがし)小学校の校歌
1.朝日ににおう 高塚の
峰の姿を かがみにて
清き心を 磨きつつ
正しく強く のびゆかん
わが学び舎を たたえよう

2.歴史も深き 川辺川
水のみなもと くみとりて
知恵をみがいて たゆみなく
はげみ進まん どこまでも
わが学び舎に 幸あれと

3.みどりの風の 吹く丘に
理想の虹を えがきつつ
明日の希望を 胸に秘め
共に歌わん 高らかに
わが学び舎の 名をあげん

五木東(いつきひがし)小学校 [五木村] のデータ

 

住所・閉校年)月日・沿革
名称 五木東小学校
住所 〒868-0201 熊本県球磨郡五木村甲3374−51
閉校年)月日 2026年(令和8年)
沿革 1875年(明治8年) – 本村字久領の新泉寺において、児童の教育を開始。野々脇に出張教授所(五木南小学校の前身)を開所。
1877年(明治10年)- 西南の役勃発により校舎を焼失。そのため、下手阿蘇神社境内に移転。
1880年(明治13年) – 頭地田口に校舎を移転。
1888年(明治21年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「頭地小学簡易科教場」(簡易頭地小学校、頭地の読みは「とうじ」)に改称。
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行により、球磨郡「五木村」が発足。
1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常田口小学校」と改称。野々脇教場が尋常野々脇小学校として独立。
1903年(明治36年)- 頭地下手に新築移転し、「頭地尋常小学校」と改称。
1905年(明治38年)- 高等科(2年制)を併置の上、「頭地尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科2年)に改称。小鶴分教場が分離の上、小鶴尋常小学校として独立。
1908年(明治41年)4月 – 改正小学校令により、尋常科(義務教育の年限)が4年制から6年制に改められる。そのため、従来の高等科1・2年を「尋常科5・6年」に改める。これにより、高等科は廃止となり、「頭地尋常小学校」(尋常科6年)に改称。
1912年(明治45年)- 校舎を増築。
1915年(大正4年)4月 – 高等科(2年制)を併置の上、「頭地尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)と改称。
1924年(大正13年) – 三浦と下梶原に分教場を設置。
1937年(昭和12年)4月 – 「五木東尋常高等小学校」と改称。
1938年(昭和13年)5月 – 木造新校舎が完成。
1941年(昭和16年)4月1日 – 国民学校令施行により、「五木村五木東国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。4月1日 – 国民学校初等科は、新制小学校「五木村立五木東小学校」(現校名)に改組・改称。4月 – 国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校「五木村立五木中学校」に改組・改称。小学校に併設される。
1948年(昭和23年)4月1日 – 三浦分校が分離の上、五木村立三浦小学校として独立。下梶原分校を三浦小学校に移管。
1955年(昭和30年)4月1日 – 五木村立五木西小学校から平瀬分校が移管される。
1968年(昭和43年)- 校歌を制定。
1972年(昭和47年)この年 – 完全給食を開始。1月 – 熊本県立人吉高等学校五木分校が併設される。11月 – 五木第一中学校の隣接地に高等学校分校の校舎が完成し、移転を完了したため、併設を解消。
1975年(昭和50年)11月 – 創立100周年記念式典を挙行[2]。
1977年(昭和52年)- プールが完成。
1991年(平成3年)- 校旗を新調。
1992年(平成4年)4月1日 – 五木村立五木南小学校を統合。
1998年(平成10年)- 校訓を制定。
2001年(平成13年)4月1日 – 平瀬分校を休校とする。
2003年(平成15年)- 現在地(川辺川ダム建設による水没後の移転代替地、頭地代替地)に新校舎が完成し、旧校地(五木村甲2836番地)から移転を完了。
2004年(平成16年)- 新校舎およびランチルーム落成式を挙行。
2006年(平成18年)4月1日 – 五木村立三浦小学校を統合。平瀬分校を閉校。
2009年(平成21年)4月1日 – 五木村立五木西小学校を統合。
2011年(平成23年)4月1日 – 五木村立五木北小学校を統合。
2012年(平成24年)- 校舎・体育館外壁改修工事 電子黒板・書画カメラ導入(学校ICT整備事業)
2013年(平成25年)- タブレット40台導入(学校ICT整備事業)
2024年(令和6年)- 児童用トイレを洋式に変更、教室電灯をLEDに変更
2025年(令和7年)- 創立150周年記念学習発表会「ごきげんフェスティバル」開催。
2026年(令和8年)3月31日 – 義務教育学校「五木学園」開校にともない閉校。[1]

[1]出典:公式ホームページ・Wikipedia

五木村立五木東小学校の校舎

五木村立五木東小学校の校舎

五木東小の校舎は、2004年(平成16年)にランチルームとともに建てられた木の温かみがあるデザインの建物です。

奥の建物は、体育館です。2012年(平成24年)に外壁改修工事が完了しています。

五木村立五木東小学校の校舎

プールは、1977年(昭和52年)に完成しました。

五木東(いつきひがし)小学校がある場所

五木東(いつきひがし)小学校がある場所

五木東小学校校区(画像出典:学区マップ)

五木東(いつきひがし)小学校がある場所は、熊本県球磨郡五木村の甲(こう)です。

五木東小校区は、五木村全域にあたります。細かくは端海野・平沢津・白岩戸・小鶴・中村・出る羽・上平瀬・下平瀬・山口・内谷日当・内谷日添・高野・頭地・下谷・大平・宮目木・葛の八重・瀬目・八原・梶原・下梶原・入鴨・九折瀬・竹の川・白水・栗鶴・宮園・西谷・下平野・平野・八重の小さな集落からなります。

五木村は、熊も県南部の東西20km、南北18km、面積252平方キロメートルを占める村で、2020年(令和2年)の国勢調査時点で総人口931人と熊本県内最小の村です。

五木東小学校の校舎は、村の中心部の五木村役場近く(頭地)にあり、人吉中心部から車で40分・氷川町から車で40分の場所に位置しています。

五木東小校区の歴史

五木東小学校がある校区は、江戸時代も人吉藩の「五木村」でした。

1889年(明治22年)の町村制の施行で、単独村制で「五木村」が誕生します。

当時は、南部にある四浦村(現:相良村)と町村組合をくんで行政をおこなっていましたが、1896年(明治26年)に役場を分類し、五木村役場を新泉寺に置きました。

現在、五木東小学校がある校区の住所は、山間部に多くの小さな集落が点在するため、端海野・平沢津・白岩戸・小鶴・中村・出る羽・上平瀬・下平瀬・山口・内谷日当・内谷日添・高野・頭地・下谷・大平・宮目木・葛の八重・瀬目・八原・梶原・下梶原・入鴨・九折瀬・竹の川・白水・栗鶴・宮園・西谷・下平野・平野・八重のなどの地区を、行政上の大字である甲(こう)のみで記しています。

五木東小校区の特産

五木東小校区がある球磨郡の五木村地区は、「山うにとうふ(豆腐の味噌漬け」や希少な在来柑橘である「くねぶ」を加工したくねぶポン酢・くねぶゼリー、そして「馬肉燻製」「かりふわ油揚げ」などがあります。

五木東小学校から近い道の駅「子守唄の里五木」で、豊かな自然で育まれた食材や、それらを活用した加工品がご購入いただけます。

五木東小校区の伝統芸能

五木東小校区の伝統芸能

高野の棒踊り

高野の棒踊り

五木東小校区には、「高野の棒踊り」とよばれる伝統芸能があります。

当時の戦勝祝賀の催し物が、明治28年ごろ球磨郡にて初めて踊られ、五木村には大正時代のころ東陽村(現:八代市東陽町)から伝わったといわれています。

踊りは6人一組、4人一組としたものがあり、棒と木製の鎌(太刀)を互いに打ち合わせて、力強く舞います。

「五木の新緑祭り」や、「五木の子守唄まつり」で披露されていて、五木東小学校の「五木源フェスティバル」でも発表しました。

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五木村とその地域 [熊本県]
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