上横山(かみよこやま)小学校 [平成14年閉校] 上陽町立
福岡県の廃校・校跡

上横山(かみよこやま)小学校 [平成14年閉校] 上陽町立

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『上横山小学校』は、福岡県の旧上陽町で(現・八女市)おもに「上横山小校区(石原・飯塚・中川内・三川・八重谷地区)」の子どもたちが通っていた小学校です。

2002年(平成14年)からは「横山(よこやま)小学校」として、旧東山小校区(田代・納又・古賀地区)の子ども達が合流して通っていました。

上横山(かみよこやま)小学校の閉校式はいつ?
上横山(かみよこやま)小学校の閉校式はいつ?

2006年(平成18年)の横山小学校閉校式

上陽町立上横山小学校は、2002年(平成14年)3月31日で閉校になりました。

同年4月より、同時閉校した東山小学校児童とともに上横山小学校の校舎を使って「横山(よこやま)小学校」がスタートしました。

その4年後の2006年(平成18年)には、横山小学校も閉校となり、校区の子どもたちは東陽町の中心部にある「北川内小学校」へ通うことになりました。

2017年(平成29年)、北川内小学校は上陽中学校と合併し、義務教育学校「上陽北汭(ほくぜい)学園」と改称しています。

上横山(かみよこやま)小学校の校歌
※上横山小校歌の歌詞の情報がありませんので、ご存じのかたは上記の「レビューボタン」より歌詞の情報提供をよろしくお願いいたします。

上横山(かみよこやま)小学校 [八女市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 上横山小学校
住所 〒834-1101 福岡県八女市上陽町上横山4484
閉校年月日 2002年(平成14年)
沿革 1882年(明治15年)- 横山村立上横山小学校が開校。
1958年(昭和33年)- 北川内町と横山村が対等合併により、上陽町が誕生。上陽町立上横山小学校に改称。
1982年(昭和57年)- 創立100周年記念事業を挙行。
1991年(平成3年)- 横山中学校と併設する校舎の全面改築が竣工。
1992年(平成4年)- 新しい体育館が完成。
2002年(平成14年)3月31日 – 上横山小学校閉校。4月 – 横山小学校開校。
2006年(平成18年)3月31日 – 横山小学校閉校。

上陽町立上横山小学校の校舎

上陽町立上横山小学校の校舎

上横山小学校の校舎は、1991年(平成3年)に、横山中学校と合わせて新しく完成しました。

上陽町立上横山小学校の校舎

横山区民の強い願いと町当局(当時:上陽町)及び、関係各位の努力により、二十一世紀の教育推進にふさわしい見事な新校舎の竣工をみた。この全国にも誇れる素晴らしい校舎落成の感激を後世に伝えると共に、横山区の教育の益々の発展を願って、ここにこの碑を建立する。と裏面に刻まれていました。

上陽町立上横山小学校の校舎

その15年後の、2006年(平成18年)に横山小学校も閉校になりました。こちらは、閉校記念碑です。

急いで作られたかのような印象を受けます。裏面には簡単な沿革と、2000名あまりの卒業生を輩出したことが書かれていました。校舎を改築したときから一気に、横山地区から児童が減っていったことは地域のかたも驚きを隠せなかったでしょう。

上陽町立上横山小学校の校舎

1992年(平成4年)に完成した新しい体育館と、「横山中学校」と書かれた校門です。

横山中学校は、昭和22年の教育基本法により誕生しましたが、古地図をみてもずっと小学校の隣に校舎が併設されていたようです。

中学校の校区は、旧横山村(昭和33年まで)だった地区にあたります。戦後、1948年(昭和23年)には、横山村から下横山と上横山の一部(藤木・岩下・今村)が、北川内村(のちの北川内町)に編入し、だいぶ横山村の人口は減ったようです。

上陽町立上横山小学校の校舎

坂のうえからみた横山小学校校舎と体育館・プール(画像出典:グーグルストリートビュー)

1958年(昭和33年)には、横山村は北川内町と合併し、上陽町が新設され、まちの中心は上陽町役場のある北川内町へと移り変わっていきました。

時代の流れにより、横山中学校の生徒も減少したため2000年(平成12年)に閉校し、北川内中学校と統合「上陽中学校(北川内中学校跡地)」となりました。

上陽町立上横山小学校の校舎

横山地区の希望を一心に背負った、素晴らしい校舎ですが人口減少に歯止めがきかなかったのでしょう。

上陽町立上横山小学校の校舎

2006年(平成18年)に横山小学校が閉校する前に、2002年(平成14年)に上横山(かみよこやま)小学校が閉校となりました。

横山小学校と校名を新たにして、同時閉校した東山(ひがしやま)小学校区の児童をここに迎えるためです。

学校銘板には、上横山小学校の校名の「上」を校章で消していることが確認できます。

上横山(かみよこやま)小学校がある場所

北川内(きたかわうち)小学校がある場所

上横山地区(画像出典:上陽地区まちづくり協議会)

上横山(かみよこやま)小学校がある場所は、福岡県八女市の北東部の上陽町上横山です。

筑後平野に横たわる耳納連山の南側に位置する「旧上陽町」の中心部(北川内)から県道70号線(田主丸黒木線)を5kmほど北上した旧横山村(昭和33年まで)の中心地に学校(標高158.32m)があります。

集落は、ホタルが生息する横山(よこやま)川に沿って、大きく石原・飯塚・中川内・三川・八重谷で構成され、さらに山奥に入ると東山地区(田代・納又・古賀)があり、かんかけ峠で山越えすると、久留米市田主丸町の益生田(ますおだ)にぬけます。

約8割以上の面積が山林で占められていて、おもな産業は「林業」と高地を利用した高級煎茶・玉露を中心とする「八女茶」で、校区にはめずらしい杉の粉を使った天然のお線香を作っている「馬場水車場」もあります。

2018年(平成30年)

蓮の実団地の移転前と後 (動画出典:グーグルストリートビュー)

戦前戦後は、山林業で栄えたため旧横山村の中心地には、警察・横山小学校・横山中学校・郵便局・保育園(西光園)・障害者支援施設「蓮の実団地」がありましたが、

過疎化・少子化の影響を受けて、2000年(平成12年)には、横山中学校が閉校し、2015年(平成27年)に西光園保育所が閉園、2018年(平成30年)には「蓮の実団地」が上横山から、八女市馬場に施設移転となり、跡地は更地となりました。

現在(令和8年5月時点)、上横山地区には上横山・横山小学校跡地に、店舗用オーニング・テント・看板を施工する株式会社「笑和」の八女工場、八女警察署横山駐在所・横山郵便局や、築100年の古民家を改装したイタリアンレストランの「ドムス八女(Domus Yame」)」があります。

上横山小校区の歴史

上横山小校区は、江戸初期には北川内組に属し、1595年(安土桃山時代・文禄4年)の筑紫家文書には「横山 北河内村」と書かれ、1802年(江戸時代後期・享和2年)の春免高帳=はるめんたかちょう(久留米藩領各村の村高を記した帳簿)には北川内村上横山名と書かれていました。

明治時代初期には、「上横山村」の各集落として石原・飯塚・中川内・三川・八重谷がありましたが、明治22年の町村制の施行により、上横山村と下横山村、そして北川内村の一部(字堤谷・白木平・北向)と水原村(一部)が合併し、横山(よこやま)村が誕生しました。

1948年(昭和23年)、横山村の小椎尾と下横山の一部が上広川村に、下横山と上横山の一部が北川内村へそれぞれ編入となりました。

1958年(昭和33年)、横山村が北川内町と合併して、上陽(じょうよう)町が発足しました。

2006年(平成18年)には、上陽町が八女(やめ)市に編入されました。現在の上横山小学校区の住所は福岡県八女市の大字が上陽町、小字が上横山となっています。

上横山小校区の名所

上横山小校区の名所

飯塚橋(福岡県八女市上陽町上横山)

上横山地区をはじめ、旧上陽町(現在も、大字で上陽町は残っています)は、明治期以降にかけられた石橋が多く残されていて、「ほたると石橋の里」というキャッチフレーズのもと13の眼鏡橋が観光資源となっていました。

毎年の豪雨により、橋が壊れてしまったものもありますが、上横山では以下の石橋が現存しています。

飯塚橋

飯塚橋(いいづかばし)は、一連式のアーチ型の眼鏡橋です。星野川の支流である飯塚川にかかっている石橋として、利用されています。

道をのぼっていくと、発心(はっしん)城跡(福岡県県文化財指定)の近くの道にでます。

八重谷橋

八重谷橋(やえだにばし)は、星野川支流の横山川にかかる一連式アーチ型の眼鏡橋です。

県道70号線をあがっていくと、納又(のうまた)の滝へとつながっています。

三川橋

横山小学校裏手にある「三川橋(みかわばし)」は、一連式のアーチ型の石眼橋で、東にある杠葉(ゆずりは)地区にもつながっているため、杠葉橋ともいわれています。

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八女市とその地域 [福岡県]
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