水俣第三(みなまただいさん)中学校跡 [水俣市]
『水俣第三(みなまただいさん)中学校跡』は、熊本県水俣市の港町・浦上町・八ノ窪町・汐見町・明神町・百開町・桜井町・大黒町・大園町・平町・山平町・緑ヶ丘・山手町・侍・江添・小田代・内山・大窪・多々良町・江南町の子どもたちが通った中学校の校跡です。
水俣第三(みなまただいさん)中学校は、いつ閉校したの?
水俣第三中学校が閉校したのは、2011年(平成23年)3月です。閉校したあと4月から、水俣第三中学校の生徒は水俣第一中学校と水俣第二中学校にわかれて通うことになりました。
水俣第三中学校の校歌
湯出川の 花影白し
おおわれら 水俣三中
打ち鳴らせ あかつきの鐘
手をつなぎ 往きて索めむ
真実と 真理のきわみ
2.不知火の 海は凪つつ
工場の 煙は長し
おおわれら 水俣三中
灯を揚げよ 夕べの窓に
希望もて 明日を賛えむ
独立と 自主の世代を
水俣第三(みなまただいさん)中学校跡 [水俣市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 水俣第三中学校 |
住所 | 867-0021 熊本県水俣市平町二丁目7番1号 |
閉校年月日 | 2011年(平成23年) |
沿革 | 1960年(昭和35年)10月18日 – 江添字井河1474番地で第一期工事着工。 1961年(昭和36年)4月1日 – 水俣市立水俣第一中学校分室が発足(1・2年生が在籍)。 1961年(昭和36年)10月1日 – 水俣市立水俣第三中学校として独立(生徒数382名)。 1961年(昭和36年)11月1日 – 第2期工事の完成に伴い、水俣第二中学校分室の生徒430名が転入。 1961年(昭和36年)11月17日 – 独立記念式典挙行。 1993年(平成5年)11月 – 校舎改修工事竣工。 1999年(平成11年)5月 – 新体育館竣工(『新建築』2000年6月号に掲載) 2011年(平成23年)2月12日 – 閉校記念式典挙行 2011年(平成23年)3月31日 – 閉校(翌日より、在校生は校区ごとにそれぞれ水俣第一中学校と水俣第二中学校に転入)。 |
水俣第三(みなまただいさん)中学校があった集落
水俣第三中学校があった平町は、熊本県水俣市の中心部(市街地)の南部にあります。
西は、水俣港のフェリー発着所あたりから、北は水俣駅周辺の港町・百開町・桜井町・大黒町、東側は湯出川周辺の江南町・内山、山間部は江添・侍・小田代・大窪あたりまでが、第三中学の校区でした。
水俣第三中学校の歴史
1947年(昭和22年)に戦後の学制改革があり、水俣市に4つの学校と1つの分校ができました。
1949年(昭和24年)、水俣町は水俣市となり水俣中学校が第一中学校と第二中学校にわかれ、分校だった湯出中学校が独立しました。
1956年(昭和31年)久木野村が水俣市に合併されたことで、水俣の総人口が5万人となり、1961年(昭和36年)には、水俣第一中学校の一部がわかれて、この水俣第三中学校ができたのです。
前年(昭和35年)には、すでに在校生が多すぎて、第一中学校の分室が設置されていました。
しかし、5万人規模で考えられていた学校の枠組みは、閉校当時2万7000人まで人口減少が進んでいた水俣市にとって、大きな課題となり2004年(平成16年)水俣市の小中学校再編成審議会がたちあがり、水俣の小中学校は2010年(平成22年)に7校が閉校し、4校が開校することが決定しました。
閉校当時(平成23年)の水俣第三中学校の在校生数は、161人(7クラス)。合併された第1中学校は263人(10クラス)で、第二中学校が143人(11クラス)、同時に閉校した湯出中学校は37名(4クラス)でした。
水俣第三(みなまただいさん)中学校跡の史跡
水俣第三中学校の校舎は、鉄筋コンクリート三階建てで、中庭もあり立派です。
新校舎は昭和の50年代に建てられたようです。
グラウンド側にでると、立派な体育館も見えます。
立ち入り禁止の看板から見える校舎は、3階建てと2階建ての鉄筋コンクリートの間に中庭が作られ、市街地の中の中学校ということで、当時運動場からたくさんの子どもたちの元気な声が聞こえていたそうです。