三納(みのう)中学校 [令和8年閉校] 西都市立
宮崎県の廃校・校跡

三納(みのう)中学校 [令和8年閉校] 西都市立

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『三納(みのう)中学校』は、宮崎県西都市の下三財にある三納小校区(松本・湯牟田・笠原・長野・宮田・札の元・赤志長・麓・平城・長谷・向井町・吉田・九流水・岩戸・岩下・小谷・清水兼・原田・平野・竹の内・樫野・鳶野・高三納・法連寺・井上・原口・宮尾・古城・中村・下村・宮ノ下・島田)の子どもたちが小学校を卒業して進学した中学校です。

三納(みのう)中学校の閉校式はいつ?

西都市立三納中学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、同年3月8日(日曜日)、午前9時40分から午前10時50分まで三納小体育館にて「閉校式典」が挙行されます。

閉校記念式典(場所:三納小体育館)

開始:午前9時40分から
終了:午前10時50分まで

三納中学校閉校を惜しむ会(場所:三納中学校内)

時間未定

三納中学校は、すでに2013年(平成25年)から小学校と共同で一体型小中一貫教育校「西都市立三納小中学校」となっていますが中学校閉校後は「三納小学校」は単独となり、2026年(令和8年)4月から三納中校区の子どもたちは、西都市内の同時閉校した妻中・穂北中・三財中・都於郡中の子どもたちと一緒に、新しく開校する「西都(さいと)中学校」に通います。

三納(みのう)中学校の校歌
1.青き山なみ つらなれる
ここ 清純の星のもと
若くすずしき まゆをあげ
自由のこころ 育てゆく
ああ 三納中学
輝け 輝け
われらが母校

2.清き川べり せせらぎの
ここ 明朗の花の中
つよく高なる 胸をはり
正義の力 みがきゆく
ああ 三納中学
栄(は)えあれ 栄えあれ
われらが母校

3.真白き雲の かげよぎる
ここ 親愛の土の上
広くゆたかな夢をだき
平和の光 もとめゆく
ああ 三納中学
たたえよ たたえよ
われらが母校

三納(みのう)中学校 [西都市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 三納中学校
住所 〒881-0101 宮崎県西都市三納3256
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。4月30日 – 三納国民学校高等科が、青年学校普通科とともに、新制中学校「三納村立三納中学校」に改組・改称。小学校に併設される。5月8日 – 開校式を挙行。片内分校を設置。11月 – 木造新校舎が完成。
1949年(昭和24年)3月31日 – 片内分校を廃止。9月 – 校歌を制定。
1958年(昭和33年)4月1日 – 三納村が西都町に編入されたため、「西都町立三納中学校」に改称。11月1日 – 市制施行により、「西都市立三納中学校」に改称。
1972年(昭和47年)3月 – 校門が完成。
2010年(平成22年)9月 – 第1回小中合同運動会を開催。
2011年(平成23年)10月 – 小学校と一体型一貫教育校への移行が決定。
小中一貫校
2013年(平成25年)
4月1日 – 「西都市立三納小中学校」(現校名)として、一体型小中一貫教育を開始。
5月17日 – 一貫校創立記念式典を挙行。
2015年(平成27年)3月 – 校舎の耐震工事が完成。
2017年(平成29年)- 台湾龍華国民小学と交流を実施。
2026年(令和8年)3月31日 – 西都市立西都中学校への統合により、中学校が閉校し、小学校単独となる [1]

[1] 出典:Wikipedia

西都市立三納中学校の校舎

西都市立三納中学校の校舎

2013年(平成25年)小中統合により、三納中学校の生徒は、三納小学校校舎を小学生と一緒に使っています。

西都市立三納中学校の校舎

統合前の三納中学校の校舎[旧校地]は、三納小学校の体育館の奥にあります。

西都市立三納中学校の校舎

三納中学校 [旧校地] の正門は、宮崎県道40号都農綾線側にあり、校舎は鉄筋三階建ての建物です。

西都市立三納中学校の校舎

クラブ活動の部室も残っています。

西都市立三納中学校の校舎

三納中学校には、別当2階建て校舎もあり、当時の生徒数の多さを物語ります。

三納(みのう)中学校がある場所

三納(みのう)中学校がある場所

三納中校区(画像出典:学区マップ)

2026年(令和8年)に閉校する『三納(みのう)中学校』は、宮崎県の中央部に位置する西都市の西部「三納」にある学校です。

三納中校区には、江戸時代それぞれ「平郡村」「三納村」がそれぞれ存在していました。

1889年(明治22年)には町村制の施行で、平郡村と三納村が合併し、新設「三納(みのう)村」が誕生します。

1958年(昭和33年)三納村は、西都町・都於郡村と合併し、新設「西都(さいと)町」が発足します。

同年、西都町は制施行して「西都市」となり、現在「三納中学校」の住所も宮崎県西都市で、大字が三納となっています。

三納の特産品

宮崎県西都市の三納地区は、三納川流域に平野が広がり、豊かな水と土、温暖な気候にめぐまれ「施設園芸」がさかんです。

特にピーマン・きゅうり・完熟マンゴー・金柑(キンカン)・宮崎牛・地鶏が特産です。

また、三納には「矢野製茶」「光井製茶園」などのお店が、年間を通して「深蒸し茶」を製造・仕上げ販売しています。なかでも「白折茶(しらおれちゃ)」は、緑濃くまろやかで何度でも差しがきく人気の商品です。

三納中校区の伝統芸能

三納中校区の伝統芸能

三納吉田盆踊(画像出典:西都市ホームページ)

三納吉田盆踊

三納中校区にある吉田地区には、8月10日から14日まで「新盆の精霊の家」を回って踊られる三納吉田盆踊(みのうよしだぼんおどり)があり、西都市の指定無形民俗文化財に指定されています。

大正時代に都於郡(とのこおり)で布教をすすめていた、一遍上人開祖の時宗同念上人によって踊られた「念仏踊り」が、盆の踊りとして伝えられたといわれています。

三納吉田村の小間物商人である「長兵衛」と尾泊村村長で宿場亭主の娘「おさよ」の悲恋物語の口説きが、三納盆踊の元歌になっています。

衣装は、男女ともに花笠をかぶって、そろいの浴衣に帯をしめ、草履履きのいでだちです。男性は帯と草履を黒色、女性は両方赤色に統一され、踊りによっては「ハンカチ・四つ竹(竹製の打楽器を両手にはめる)・団扇」を用います。

平郡十五夜踊

平郡十五夜踊(へぐりじゅうごやおどり)は、三納中校区の平郡(へごおり)に伝わる旧暦8月十五夜に近い土曜日に「五穀豊穣」を願いおどられる太鼓踊りです。

江戸時代の安政(1854年~1859年)のころ、平郡村の鳥海軍右衛門・杉田亀次郎らの5人が、霧島宮の参詣途中の小林村(現・宮崎県小林市)でこの踊りを見て感銘をうけ、小林から師匠を招いて、村の若者たちに習得させたことが由来となっています。

また、踊りの歌詞に「長崎のオランダ船…」と登場するところから、長崎から伝わったともいわれています。

戦後途絶えていたものを、1955年(昭和30年)に、集落の女性が復活させ、十五夜踊りを「女性たち」だけで奉納するのは、国内でも珍しいそうです。

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西都市とその地域 [宮崎県]
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