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長里(ながさと)小学校 [令和7年3月閉校] 諫早市立
『長里(ながさと)小学校 』は、長崎県諫早市の「長里地区(長里・風生・足角・尾ノ上・田代・舟津・大久保・打越・寺ノ元・中古場)」の子どもたちが通っている小学校です。
長里(ながさと)小学校の閉校式はいつ?
諫早市立長里小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校となります。
長里小の閉校式は、2月23日(日曜日・祝日)の午前10時から、長里小学校屋内運動場(体育館)で開催されます。
また、さる2024年(令和6年)の12月5日には、創立152周年と閉校を記念として駅伝大会が開催されました。
2025年(令和7年)4月1日から長里小校区の子どもたちは、遠竹(とおたけ)小学校と小長井(こながい)小学校とともに、小長井町内の全市立小を1つに統合した学校へ通います。
長里(ながさと)小学校の校歌

長里小の校章【出典:公式ホームページ】
恵みをうけて 日を受けて
強く正しく ほがらかに
みんなそろって 学びゆく
2.広くひろがる 有明に
大きな希望 えがきつつ
力あわせて ひとすじに
みんなそろって 伸びてゆく
3.青くかすんだ 雲仙も
よべば応える まなびやに
いつも楽しく 元気よく
みんなそろって 進みゆく
長里(ながさと)小学校 [諫早市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 長里小学校 |
住所 | 〒859-0153 長崎県諫早市小長井町大峰31 |
閉校年月日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1873年(明治6年)2月 – 長里小学校設立(民家を借用) 1877年(明治10年)- 長里村権現に校舎新築。 1886年(明治19年)- 長里村大峰名船津(川原)に校舎移転、簡易長里小学校と改称。 1890年(明治23年)- 長里尋常小学校と改称 1919年(大正8年)8月 – 船津(城崎)に移転 新校舎竣工(現在地) 1937年(昭和12年)12月 – 新校舎増築 1940年(昭和15年)4月 – 二宮金次郎像 建立 1941年(昭和16年)4月 – 小長井村長里国民学校と改称 1947年(昭和22年)4月 – 小長井村立長里小学校と改称(6・3制教育による) 1966年(昭和41年)11月 – 小長井町立長里小学校と改称(町制施行による) 1968年(昭和43年)3月 – 校歌制定 1973年(昭和48年)2月 – 校章制定 鉄筋校舎新築落成 1975年(昭和50年)4月 – 体育館落成 1985年(昭和60年)8月 – プール完成 1988年(昭和63年)2月 – 校訓碑建立 二宮金次郎像移転 1989年(平成元年)2月 – 藤棚完成 1996年(平成8年)3月 – 特別校舎新築落成(多目的ホール他) 2000年(平成12年)10月 – 校舎及び体育館大規模改修工事 2005年(平成17年)3月 – 諫早市立長里小学校に改称(合併により諫早市となる) 2014年(平成26年)5月 – 普通教室扇風機設置 2016年(平成28年)4月 – 特別支援学級「あおぞら学級」開設 2・3年生複式学級となる 2017年(平成29年)4月 – 3・4年生複式学級となる 2018年(平成30年)4月 – 2・3年生及び3・4年生複式学級となる 2019年(平成31年)4月 – 完全複式(1・2年、3・4年、5・6年)となる 2023年(令和5年)4月 – 1年、2年単式学級 3・4年、5・6年複式学級となる。12月 – 150周年記念行事・駅伝大会実施(駅伝大会は4年ぶり) 2024年(令和6年)4月 – 完全複式(1・2年、3・4年、5・6年)となる。12月 – 閉校記念駅伝開催 2025年(令和7年)3月 – 遠竹小・小長井小と合併のため閉校 |
長里(ながさと)小学校がある場所

長里小校区 [出典:学区マップ]
長里(ながさと)とは?
長崎県諫早市の長里は、諫早市の北東部の小長井町に属し、町内の西部に位置しています。
西側は、同じ諫早市高来町、東側は諫早市小長井町の牧・新田原・川内、北側は小長井の古場に隣接しており、南側は有明海です。
地理的には、北側に多良岳と南に雲仙岳が望まれ、東側には長里川が流れて有明海にそそがれています。
長里の歴史
長崎県諫早市の長里(ながさと)は、北西部に「古場の鳥越」があり、島原藩主が江戸時代にここを越えて通行したため「水茶屋」が建てられました。
ふるくから諫早郷(いさはやごう)に属して、肥前佐賀藩の親類である「諫早家」の領(土地)でした。
1610年(江戸時代・慶長10年)に江戸幕府の命によって書かれた行政地図「慶長国絵図(けいちょうくにえず)」には、「浦村ノ内 長田村」と誤植されています。
1644年(江戸時代・正保元年)に書かれた「正保国絵図」には、永里村として記載、その後の書物では「長里村」となり、カナ付け帳には一時期「ナカザト」と読むと書かれていたようです。
明治以降の長里(ながさと)
明治初年の時点で、長里村は肥前佐賀藩の1町34村のうちの一つでした。
1889年(明治22年)の町村制施行によって、長里村は井崎村と小川原浦村と合併し、それぞれの頭の漢字をとり「小長井村(こながいむら)」となります。
1966年(昭和41年)小長井村は、町制施行して「小長井町」に改称。
2005年(平成17年)には諫早市に編入、長崎県諫早市小長井町となりました。
諫早市小長井町の長里にある有名なもの
旧長里村の大搦には、諫早市指定の天然記念物「ヒゼンマユミ群生地」が阿蘇神社の中にあり、市杵島神社の馬頭観音も有形文化財の彫刻として指定されています。
大峰には大峰古墳、スイカの形をしたバス停「殿崎」停留所も有名です。
長里小校区の施設は、長里小学校のほかに「清和こども園」、史跡は「阿蘇神社」「市杵島神社」があります。