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中島(なかしま)小学校 [令和7年3月閉校] 柳川市立
『中島(なかしま)小学校 』は、福岡県柳川市の「中島小校区(大和町中島・大和町永田開)」の子どもたちが通っている小学校です。
4月になると、棚いっぱいに薄むらさき色の藤の花が咲く「藤棚」がある学校です。
中島(なかしま)小学校の閉校式はいつ?
柳川市立中島小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校になります。
閉会にさきがけて、3月15日(土曜日)に児童による発表・書道パフォーマンス・キッズダンス・ラムネ早飲み競争・獅子山お囃子・子ども大蛇山ねり歩き、飲食店出店(射的・型抜き・投げ餅)のイベントが催されます。
そして、中島小の閉校式は3月18日(火曜日)の午後2時からおこなわれます。
4月1日から、中島(なかしま)小の子どもたちは、同年閉校した豊原小学校・大和小学校・有明小学校・六合小学校・皿垣小学校の子どもたちとともに新設開校した「やまと小学校」へ通います。
中島(なかしま)小学校の校歌
ああ わがふるさと
船爆ずる 満ち潮の
渚に生いて 我ら強し
大和なる 中島小学校
2.南の風 草薫る風
ああ わがふるさと
蟹遊ぶ 葭葦の
岸辺に生いて 我ら楽し
大和なる 中島小学校
3.南のくに 鵲のくに
ああ わがふるさと
雲光る 豊穣の
平野に生いて 我ら正し
大和なる 中島小学校
中島(なかしま)小学校 [柳川市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 中島小学校 |
住所 | 〒839-0254 柳川市大和町中島68番地 |
閉校年)月- 日 | 2025年(令和7年) |
沿革 | 1879年(明治12年)- 東上町平川始八郎氏宅に中島小学校として開校する。 1886年(明治19年) – 小学校令改正により中島小学校簡易科と改称する。 1907年(明治40年)- 学制改革により中島尋常小学校と改称する 1941年(昭和16年)- 中島国民学校と改称。 1947年(昭和22年)- 学制改革により中島町立中島小学校と改称する。 1950年(昭和25年)- 運動場を西へ 360 坪拡張・給食調理室新設。 1952年(昭和27年)- 創立 51 周年記念式典奉行・職員室改築。 1962年(昭和37年)- 体育館新築。 1963年(昭和38年)- 給食室改築。 1964年(昭和39年)- プール新設。 1970年(昭和45年)- 各教室にテレビ新設。 1973年(昭和48年)- 文部省より道徳教育の研究委嘱を受ける。 1976年(昭和51年)- 全教室にカラーテレビ設置・西校舎新築落成・相撲場新設。 1977年(昭和52年)- 東校舎新築落成。 1978年(昭和53年)- 創立百周年記念事業式典を行う。 1980年(昭和55年)- 屋内運動場改築竣工。 1987年(昭和62年)- 子どもプール新築落成。 1999年(平成11年)- 校舎外壁改修工事を行う。 2000年(平成12年)- 校舎内改修工事。 2005年(平成17年)- 市町村合併により柳川市立中島小学校と改称する。 2025年(令和7年)3月31日- 豊原小学校・大和小学校・有明小学校・六合小学校・皿垣小学校と合併するため閉校、4月- から新設「やまと小学校」が開校 |
中島(なかしま)小学校がある場所

中島小校区 [出典:学区マップ]
中島(なかしま)とは?
中島(なかしま)校区は、有明海の近くにあって、海苔養殖業が盛んな地域です。
この土地の海苔は、品質がよく美味しいと評判です。
北側は大和町鷹ノ尾、西側は大和町の皿垣開、東側は高田町の徳島・江浦町に隣接していて、南側は有明海に面しています。
中島の歴史
柳川市立中島小学校がある「中島(なかしま)」は、江戸時代には中島村あった場所です。
矢部川の下流の「中島川」の最下流部の両岸にある集落で、昔は川を渡るための「中島渡」がもうけられていました。
むかしから町には三池街道(現在は国道208号線)が通っていて、中世時代には鷹尾別府の一部でした。
1889年(明治22年)に中島村は、栄村の大部分・皿垣開村・明野村とともに合併して「有明(ありあけ)村」となります。
1907年(明治40年)、有明村は、塩塚村・鷹尾村と合併し「大和村」が発足します。
1952年(昭和27年)、大和村が町制施行して「大和町」になります。
2005年(平成17年)、大和町は三橋町と柳川市と合併し、新設「柳川市」が誕生します。