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佐田岬(さだみさき)小学校 [平成26年閉校] 伊方町立
『佐田岬(さだみさき)小学校 』は、愛媛県西宇和郡伊方町の「串地区(半田・坂・上・下・先・浜)」と「正野地区」の子どもたちが通っていた小学校です。
現在、佐田岬小の鉄筋コンクリートの校舎はリフォームされ、地域の避難所として活用されています。
2005年(平成17年)佐田岬小学校として合併する前の2校、串小学校・正野小学校の詳細は以下からご覧ください。
佐田岬(さだみさき)小学校の閉校式はいつ?

佐田岬小学校閉校式【出典:伊方議会だより】
三崎町立佐田岬小学校は2014年(平成26年)3月に末日をもって閉校しました。
同年3月25日火曜日に「閉校記念式典」が、在校生・卒業生・地域の方々・関係者あわせて約130名の参加のもと、おこなわれました。
4月1日から、佐田岬(さだみさき)小校区の子どもたちは、旧三崎町中心部にある「三崎(みさき)小学校」に通っています。
佐田岬(さだみさき)小学校の校歌

佐田岬小学校校歌の歌詞【伊方町】
返す思いは 父母の海
ふるさとは ここ
トベラ咲く里
ああ、佐田岬小学校
2.風が舞う 岬の鼻に
遠くきびしい 山坂を
自ら歩めと ああ
師の説く 教え
ああ、佐田岬小学校
3.大空へ真直ぐ 伸びた灯台に
ぼくらは誓う この夢を
きょうの一歩は また
明日へとつづく
ああ、佐田岬小学校
佐田岬(さだみさき)小学校 [伊方町] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 佐田岬小学校 |
住所 | 〒796-0822 愛媛県西宇和郡伊方町串484 |
閉校年月日 | 2014年(平成26年) |
沿革 | 【串小学校】 1871(明治4年)- 串小学校の前身「串庵寺教育」スタート 1923年(大正12年)- 串尋常高等小学校と改称 1926年(大正15年)- 校舎新築(前校舎) 1941年(昭和16年)- 串国民学校と改称 1947年(昭和22年)- 三崎村立串小学校となる 【正野小学校】 1870年(明治3年)- 正野小学校 開設 1899年(明治32年)- 串小学校の分教場となる 1941年(昭和16年)- 正野国民学校と改称 1947年(昭和22年)- 三崎村立正野小学校となる 【佐田岬小学校】 2005年(平成17年)- 串小と正野小が合併し「佐田岬小」開校 2014年(平成26年)- 三崎小学校に編入のため閉校 |
佐田岬小学校の校舎

在りしの鉄筋校舎【出典:佐田岬小学校ホームページ】
三崎町立佐田岬小学校の校舎は、1981年(昭和56年)に建てられた鉄筋2階建ての建物でした。
現在の佐田岬小学校の建物は、閉校を経て外観がリフォームされ、地域の避難所として活用されています。
佐田岬小学校跡の正門です。
佐田岬小学校の立派な学校表札も残されています。
佐田岬小学校跡に建てられた「閉校記念碑」です。生徒の手形が石板が石碑に刻まれています。
子どもたちの詞も綺麗な写真付きで置かれています。
運動場の様子です。伊方原発非常時において、放射能防護避難所として元校舎が機能した場合のために、運動場には発電施設、食料や水そして排便資材など備蓄されています。
昔の校舎は取り壊されず、そのまま骨組みを利用しています。
窓を小さくし、加圧式の本格的な「放射線防護避難所」として生まれ変わりました。
運動場側からみた校門付近の様子です。
左側からみた校舎の端の様子です。
佐田岬(さだみさき)小学校とは?

佐田岬小の校章【佐田岬灯台と打ち寄せる波をイメージしたもの】
佐田岬(さだみさき)小学校とは、愛媛県西宇和郡伊方町にあった小学校の名称です。
2005年(平成17年)に、三崎町が瀬戸町と伊方町と合併し、新設「伊方町」となった時に、旧・串小学校と旧・正野小学校が合併してできた新学校でした。
もともとの計画では、2004年(平成16年)に閉校した串中学校(浜地区)の跡地を使い、小学校規格のための校舎改築と給食施設建設がおこなわれましたが、検査の結果、耐震改修促進法をクリアできず、急遽(きゅうきょ)串小学校跡に開校することになりました。
2014年(平成26年)3月閉校後、4月から佐田岬小学校の子どもたちは、スクールバスなどを使い「三崎小学校」へ通っています。
開校以来、9年間という短い期間で、佐田岬小は閉校となりましたが、これは編入先となった旧・三崎町の中心部にある「三崎小学校」の児童数も急激に減少するなか、やむを得ない選択だったのでしょう。
佐田岬(さだみさき)小校区だった場所

串の中心地区【出典:geo-koshi.com】
「佐田岬(さだみさき)小学校」の校区は、江戸時代には串浦(くしうら)と正野浦(しょうのうら)とよばれていた集落で、串浦は中心集落の串(先・上・下・坂)と、東の半田地区、そして佐田岬漁港や元串中学校のある浜(内の浦)の3つに大きく分かれます。
串の中心地区
坂・上・下・先と呼ばれる集落が密集してできた串の中心は、伊予灘(瀬戸内海)側の海岸段丘の上に形成されています。
この地区には、旧三崎町(現・伊方町)西部地区唯一の診療所(病院)、小学校跡、集会所、天満神社などがあります。
集落を見渡せる「集会所」は、平成前半まで保育園として機能していましたが閉園後は、広場として夏の盆踊りに使われています。その下には劇場跡もあります。
天満神社の秋の例祭には「速水太鼓」と呼ばれる子どもたちの太鼓や、保育園の子どもたちによる出しものもありました。
半田地区
半田地区は串の東部にあり、与侈の馬乗地区、三崎の向灘地区と隣接した漁師町です。
漁船は、浜(内の浦)にある佐田岬漁港においてあるため船は見かけないですが、青石の石垣で作られた美しい漁港です。
浜地区
串の西部にある浜地区(内の浦)には、水産加工場をはじめ、三崎漁協事務所・串郵便局・串中学校跡があります。
場所は、同じ串地区が佐田岬半島の北部にあるのに対して、佐田岬漁港がある浜地区は南部の入江に存在しているので内海で静かかと思いきや、冬には日常的にすさまじい北風が吹きすさび、そのために高い防風・防波の青石の石垣が整備されています。
正野地区
愛媛県西宇和郡伊方町にある正野地区は、佐田岬半島しいては四国の最西端の集落で、浜(正野浜)・旭・成(なる)・上手(うわて)・藤の見・正野谷・影の平・蜂の巣・大滝・長浜・水尻で構成されています。
正野の東側が、串地区との境界線で串地区にも「浜」と呼ばれる地名があるため、こちらは正野浜と区別されて呼ばれています。
出典:愛媛県生涯学習センター・旧三崎町のページ 伍助会