下妻(しもつま)小学校 [令和7年3月閉校] 筑後市立
福岡県の廃校・校跡

下妻(しもつま)小学校 [令和7年3月閉校] 筑後市立

  • 24

『下妻(しもつま)小学校 』は、福岡県筑後市の「下妻小校区(下妻・常用・富安地区)」の子どもたちが通っていた小学校です。

下妻(しもつま)小学校の閉校式はいつ?

筑後市立下妻小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校になりました。

同年3月22日(土曜日)の午前10時半からは第1部閉校式典・第2部閉校記念事業(児童発表・記念動画鑑賞・風船飛ばし)がとりおこなわれました。

4月1日から、下妻(しもつま)小の子どもたちは、同年閉校した古島小学校・水田小学校の子どもたちとともに新設開校した「筑後南小学校」へ通っています。

下妻(しもつま)小学校の校歌
1.光あふれる 光あふれる
みどりの平野
土に生まれて 土に生まれて
心もひろく
学ぶよ のびるよ わたしたち
下妻 下妻 下妻小学校

2.みのり豊かに みのり豊かに
広がる平野
青い山なみ 青い山なみ
望みははるか
はげむよ 進むよ わたしたち
下妻 下妻 下妻小学校

下妻(しもつま)小学校 [筑後市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 下妻小学校
住所 〒833-0021 福岡県筑後市下妻1317
閉校年)月- 日 2025年(令和7年)
沿革 1872年(明治5年)- 学制がしかれ、現津島西の光明寺(優厭小学校)・現水田下町の浄弘寺(勧善小学校)にできた小学校に現下妻校区の人達は通学した。
1874年(明治7年)- 通学距離が遠いため、村落小学の制がしかれ、水田小学・下妻小学・馬間田小学・中牟田小学ができる。
1876年(明治9年)- 下妻小学はなくなり、馬間田小学に統合される。(馬間田1100番地、下川清氏宅で授業が行われる。)
1881年(明治14年)- 水田小学(中折地・常用)馬間田分校(下妻・富安・馬間田)井田分校(中牟田)へ通学するようになる。
1886年(明治19年)- 馬間田分校は馬間田小学校簡易科となる。
1889年(明治22年)- 市町村制施行により、下妻郡下妻村(現在の下妻校区と水洗校区の範囲)ができる。
1892年(明治25年)5月 – 馬間田小学校簡易科が廃止され、6月 – 現在地に下妻尋常小学校が設立される。(下妻小学校の創立年) 今の下妻校区の人はみんなこの学校に通学するようになる。
1894年(明治27年)- 7月、台風で校舎が倒れ、11月新校舎ができる。(3学級)
1901年(明治34年)- 校舎が建て増しされ、4学級編制となる。
1908年(明治41年)- 水田村・下妻村・二川村が合併し、大水田村ができ大水田村立下妻尋常小学校となる
1909年(明治42年)- 義務教育年限がのび、6年で小学校卒業となる。
1923年(大正12年)- 下妻農業補修学校が併設される。
1937年(昭和12年)- 校旗が制定される。(昭和56年まで使われた。)1939年(昭和14年)- 水田村の五小学校(水田・下妻・古島・二川・水洗)の校舎が一斉に建て直される。
1941年(昭和16年)- 下妻国民学校と改称。
1947年(昭和22年)- 下妻小学校と改称。
1953年(昭和28年)- 大水のあと築山ができる。校歌が制定される。
1954年(昭和29年)- 筑後市立下妻小学校となる。
1970年(昭和45年)- プールができる。(25m6コース)
1974年(昭和49年)- 創立85周年記念式典が行われる。(10月5日)
1979年(昭和54年)- 野外給食場ができる。1984年(昭和59年)- 北校舎ができる。
1985年(昭和60年)- 南校舎ができる。
1986年(昭和61年)- 体育館ができる。校舎改築落成式が行われる。1990年(平成2年)- 創立百周年記念式典が行われる。(3月24日)記念碑・掲揚台ができる。市委嘱研究発表会が行われる。
1993年(平成5年)- 藤棚取替え工事・運動場暗渠排水整地工事が行われる。鶏小屋ができる。
1997年(平成9年)- 学校の水道が地下水から市水に切り替わる。
1999年(平成11年)- 運動場西側に花壇及び畑が造成される。
2000年(平成12年)- 校長室・職員室・図書室・パソコン室にエアコンがつく。作業小屋ができる。
2001年(平成13年)- 新しいパソコンが10台設置される。
筑後市教育委員会指定・委嘱研究事業を受ける。(1年次)
2002年(平成14年)- 生活科用砂場ができる。木製ベンチ6脚が設置される。バックネットの補修工事が行われる。
2004年(平成16年)- 校内LANが整備される。(デスクトップPC8台、ノートPC10台)
2006年(平成18年)- 運動場西側の畑にビニールハウス(イチゴ作り)ができる。
2015年(平成27年)- 教室に空調設備が設置される。(8月)
2017年(平成29年)- パソコン室にタブレット型PCを導入する。(8月)
2025年(令和7年)3月31日 – 古島小学校・水田小学校と合併するため閉校、4月 – から新設「筑後南小学校」が開校

下妻(しもつま)小学校があった場所

下妻(しもつま)小学校がある場所

下妻小校区 [出典:学区マップ]

下妻小学校があった場所は、福岡県筑後市の下妻・富安・馬間田・中牟田・中折地・常用・高田・一敷・島・上村地区で、むかしの水田村(みずたむら)のうち「下妻村」にあたります。

2025年(令和7年)から、下妻小校区の子どもたちは水田にある新設「筑後南(ちくごみなみ)小学校」へ通っています。

下妻(しもつま)とは?
下妻(しもつま)とは?

下妻小校区【出典:公式ホームページ】

下妻(しもつま)小校区は、福岡県筑後市の中心部より5㎞はなれた南西部に位置しています。

校区の世帯数は500戸で人口2000人に対して、児童数が70名です(令和6年4月1日時点)。

下妻校区の児童は、常用・下妻・富安・馬間田南・馬間田北・中牟田・中折地・一敷の7つの学団で、通学していました。

南は、沖端川(おきのはたがわ)をさかいにして、福岡県みやま市に接し、西は三潴郡(みずまぐん・みづまぐん)の大木町につづく、農村地帯のほぼ中央部にあります。

近年、下妻校区は圃場整備=ほじょうせいび(農地の区画整理や用排水路の整備などを行い、農業の生産性を高める事業)がおこなわれ、農業の機械化によって稲作をはじめ、イ草栽培・いちご・なすといったハウス栽培など1年中農繁期の多角的農業へと様変わりしています(現在は兼業農家や勤めをする家庭が増えています)。

しかし、道路や用水路が整備されたとはいえ、下妻の景色は「昔の村落」そのままの田園を中心とした自然環境が豊かな風景が広がり、他地域間の転出入が少ないため、地域のまとまり・連帯意識も強いとされています。

昔から、純農村地帯であったため、祖父母との三世代同居が多く、忙しい父母にかわり祖父母が児童の世話をする家庭も多く、教育への関心も高いことから「ふれあい体験活動」を実施して、その一環として「もち米つくり」を実施し、保護者・校区区長・老人会と連携し、種まきから田植え、生育調査から収穫をし、しめ縄づくりからもち配布までを学んでいます。

下妻の歴史

 

筑後市立下妻小学校がある「下妻(しもつま)」は、江戸時代には矢部川中流の右岸を中心にして、尾島村・志村・常用村・津島村・下妻村・富安村・馬間田村・中牟田村・中折地村がそれぞれ存在していました。

1889年(明治22年)の町村制施行によって、上記の村(尾島村・志村・常用村・津島村・下妻村・富安村・馬間田村・中牟田村・中折地村)が合併して、新設「下妻村」となりました。

1908年(明治41年)には、二川村・水田村と合併し新設「水田村」に入り、水田村立下妻尋常小学校となります。

1954年(昭和29年)には、羽犬塚町・古川村・岡山村(一部が前津・長浜)と合併し、筑後市が新設。小学校も「筑後市立下妻小学校」となりました。

下妻(しもつま)小校区にある有名なもの
大正院蛭池座(常用地区)
大正院蛭池座(常用地区)

大正院蛭池座【出典:グーグルストリートビュー】

大正院蛭池座(たいしょういんひるいけざ)は、筑後イグサの元祖のお墓がある寺院です。

1604年(江戸時代・慶長9年)ごろ、大正院という僧侶(お坊さん)が京都より全国行脚=ぜんこくあんぎゃ(全国各地を巡って何かをしたり、見たりすること、またはその行為そのもの)し、その途中、下妻の常用村に足をとめて「い草の栽戟方法」を村人達に教えたとされています。

その後、イ草の栽培は下妻・馬間田・三潴方面へと一気にひろがっていきました。

毎年10月8日の大正院の命日には蛭池座で「顕彰式」がとりおこなわれています。

下妻老松神社(下妻地区)
下妻老松神社(下妻地区)

下妻老松神社【出典:グーグルマップ】

福岡県筑後市下妻にある「老松神社」は、菅原道真公の北の方(奥さん)である老松女を祭神として祀っています。

道真公の第5子長寿麿を老松といって名付けた説もあります(佐賀県鳥栖市老松社の由来記より)。

下妻地区には、ほかにも下妻しめの神・水天宮・琴平神社といった神社仏閣があります。

富安天満神社(富安地区)
富安天満神社(富安地区)

天満神社(富安地区)出典:グーグルマップ

県道83号線と県道703号線の交差点を過ぎて、南下したところ富安集落の南東に鎮座している神社です。

祭神は菅原道真公で、江戸時代に創建されたとされています。

富安地区には、ほかにも天照御祖神社・弘善院の神社仏閣があります。

福部神社(馬間田地区)
福部神社(馬間田地区)

福部神社【出典:グーグルマップ】

福部神社は、柳川筑後バイパスを東に向け、道路そばの左側に鎮座しています。

創建は、江戸時代で菅原道真公の先生にあたる「島田忠臣公」とその娘さんが祀られています。

出典:下妻小学校ホームページ

情報の追加・修正をする

さらに詳しくこの地域を知る↓

筑後市とその地域 [福岡県]
筑後市とその地域 [福岡県]

運営会社