高原(たかはる)中学校 [令和8年閉校] 高原町立
宮崎県の廃校・校跡

高原(たかはる)中学校 [令和8年閉校] 高原町立

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『高原(たかはる)中学校 』は、宮崎県西諸県郡高原町西麓の高原小校区(花堂・蒲牟田・上麓・下麓・出口・鹿児山 [越東の一部のぞく]・並木・常盤台・後谷)と広原小校区(西広原・上広原・下広原)、そして狭野小校区(北狭野・南狭野・祓川・湯之元・中平・小塚)の子どもたちが小学校を卒業して進学した中学校です。

高原(たかはる)中学校の閉校式はいつ?

高原町立高原中学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

同年2月21日(土曜日)、午前9時45分より高原中体育館にて「閉校式」がおこなわれます。

高原中学校は、79年の歴史を持つ生徒数204名(令和7年度)の大きな学校ですが、2026年(令和8年)4月1日から施設分離型の小中一貫校「たかはる学園」が新設されるため、閉校します。

高原中校区の子どもたちは、高原町内の同時閉校した後川内中学校の子どもたちと一緒に、2026年(令和8年)4月1日から開校される施設分離型の小中一貫校「たかはる学園」へ通います。

校舎は、そのまま高原中学校を再利用します。

高原(たかはる)中学校の校歌
高原(たかはる)中学校の校歌

高原中の校章(上部をなす山形は霧島山。下の三部は真ん中が生徒、左右が保護者・教師の意)

1.高千穂の峰 朝夕に
仰ぐこの庭 風清し
ここに学びて 伸びゆく我ら
個人の完成目指して進まん
あーああ あー 高原 高原
高原中学校

2.神杉高き狭野の原
歴史の命つくるなし
ここに学びて 伸びゆく我ら
不滅の真理を共に極めん
あーああ あー 高原 高原
高原中学校

3.御池の水のます鏡
平和の誓くもりなし
ここに学びて 世に立つ我ら
栄ゆる郷土を明るく築かん
あーああ あー 高原 高原
高原中学校

高原(たかはる)中学校 [高原町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 高原中学校
住所 〒889-4412 宮崎県西諸県郡高原町西麓709−144
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1947年(昭和22年)4月30日 – 高原町立高原中学校として設立認可。
5月8日 – 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「高原町立高原中学校」(現校名)が開校。6月1日 – 校章、胸章を制定。9月 – 木造新校舎(普通教室)が完成。
1948年(昭和23年)3月 – 後川内分校を設置(高原町立後川内小学校に併設)。
1949年(昭和24年)4月 – 後川内分校校舎が完成。
1950年(昭和25年)4月 – 後川内分校が後川内中学校として独立。
1952年(昭和27年)11月 – 校歌、校旗制定。
1958年(昭和33年)7月 – 鉄筋コンクリート造の本館が落成。
1965年(昭和40年)11月 – 完全給食を開始。
1972年(昭和47年)3月 – 特別教室が完成。
1973年(昭和48年)9月 – 体育館が完成。
1997年(平成9年)1月 – 現在地に新校舎が完成。3月 – 新校舎への移転を完了。
1998年(平成10年) – 武道館が完成。
2002年(平成14年)2月 – ケヤキを学校の木に、水仙を学校の花に決定。5月 – 校訓を制定。大韓民国の旗韓国釜山広域市大川中学校と姉妹校を締結。
2026年(令和8年)3月31日 – 「たかはる学園」新設のため閉校  [1]

[1] 出典:Wikipedia

高原町立高原中学校の校舎

高原町立高原中学校の校舎

画像出典:グーグルマップ

高原中学校の3階建ての校舎と体育館は、1997年(平成9年)に現在地に移転したときに新しく建てられたものです。武道館は翌年の1998年(平成10年)に完成しました。

校舎は、そのまま新設「たかはる学園」に引き継がれます。

高原町立高原中学校の校舎

旧体育館(現・高原町町民体育館)

1996年(平成8年)まで、高原中学校は、高原小学校と隣接して建っていました。旧校地には「高原総合福祉センターほほえみ館」とコンサートホール「神武ホール」が新しく建っています。

現在、高原中学校の 旧校舎は解体され、体育館のみ「高原町町民体育館」として再活用されています。

高原(たかはる)中学校がある場所

2026年(令和8年)に閉校する『高原(たかはる)中学校』は、宮崎県の南西部のまち「高原町(たかはるちょう)」の西麓にある学校です。

高原町の主産業は、水稲・里芋の農業のほかに牛・豚・鶏の畜産業がさかんで、特にお米は霧島連山からの湧水で作られた「ヒノヒカリ」が有名です。

高原中学校の新校舎は、1997年(平成9年)に市街地から少し離れた高原総合運動公園の近くに新しく建設されました。

高原中学校がある校区地域は、江戸時代までは高原郷の「麓(ふもと)村」「蒲牟田(かまむた)村」「広原(ひろわら)」村とよばれていました。

このページでは高原中の校舎がある「西麓(にしふもと)地区」を中心にご紹介します。

広原地区に関しては、同年閉校する「広原小学校」のページで詳しく解説しています。

また、蒲牟田地区については同時閉校する「狭野(さの)小学校」で詳しく解説しています。ご参考にしてください。

麓村は、高原郷の中心にあって、地域名の由来は鹿児島藩領時代に「地頭仮屋」を中心に郷士=ごうし(江戸時代に農村に住み、武士の身分を与えられた人々の総称)が居住する集落名(麓)からきています。

明治に入ると「麓村」は「西麓村」になり、1889年(明治22年)の町村制の施行で、広原村・後川内村・蒲牟田村とともに合併し、新設「高原(たかはる)村」となりました。

1934年(昭和9年)、高原村が町制施行して「高原町」になり、高原中学校の住所も宮崎県西諸県郡高原町の大字が西麓となっています。

西麓・蒲牟田・広原の特産品

高原中の校区には、高原町産宮崎牛・熟成たかはる灰干し・小清水栽培米・椎茸・完熟きんかん・ニジマスの甘露煮・日本茶・たかはる紅茶(ゆるり)高原の特産品として有名です。

また、地区の伝統の和菓子として「あくまき(灰汁に漬けておいたお餅を竹の皮で包んだ伝統てきなお菓子)」「ねったぼ(おもちとサツマイモを一緒に練り上げた優しいお菓子)「ゆべし(ユズを使った加工食品)」が、「LaLaきりしまハッピーマルシェ」などの各産地直売所で購入できます。

高原中校区の伝統芸能

高原小校区の伝統芸能

祓川の神舞(画像出典:文化遺産オンライン)

高原中校区の蒲牟田地区には、祓川の神舞(はらいかわのかんまい)と呼ばれる宮崎県の無形民俗文化財と国重要無形文化財に指定されている伝承されている神楽があります。

毎年12月の第2土曜日の午後7時ごろから朝7時ごろまで、夜を徹して舞われるこの「神舞」は、霧島東神社の社家の年中行事のひとつとして、約400年の歴史があります。

なかでも12人が約1時間にわたって勇壮に舞う「十二人剱」はみもので、真剣をもって踊る「剱舞」が多いのが、祓川の神舞の特色です。

同地区の「狭野神楽」については、狭野中学校のページで紹介しています。

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高原町とその地域 [宮崎県]
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