上原(うわばる)分校跡 [海路小学校] 芦北町
熊本県

上原(うわばる)分校跡 [海路小学校] 芦北町

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『上原(うわばる)分校跡』は、熊本県葦北郡芦北町の「上原地区」の子どもたちが通った上原分校の分校跡です。

現在、上原分校の校舎跡は校舎は現存していますが、再利用はされていません。

上原(うわばる)分校は、いつ閉校したの?

芦北町立海路小学校上原分校は1991年(平成3年)3月に休校となり、2022年(令和4年)の3月に閉校となりました。

上原の子どもたちは1991年(平成3年)3月休校後は「海路小学校」に通い、1994年(平成6年)3月に海路小学校閉校後は「吉尾小学校」へ通学となりました。2022年(令和4年)3月吉尾小学校閉校後は「大野小学校」へ編入となりましたが、休校の時点で上原地区に小学生の子どもがいたかは不明です。

上原(うわばる)分校の校歌

上原分校は分校なので、上原地区の小学校高学年の子どもたちは本校である「海路小学校」の校歌を歌いました。

1.球磨川深く 緑なす
谷間に集う 同胞は
正しく強く 朗らかに
磨き錬えて 光なす
雄々しく進む 海路小

2.紅葉の里に 唄う鳥
せせらぎ傍に 河鹿なく
吾等が目標 絶え間なく
磨き錬えて 光なす
平和を築く 海路小

上原(うわばる)分校跡 [芦北町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 上原分校
住所 〒869-6215 熊本県葦北郡芦北町上原258−1
閉校年月日 2022年(令和4年)
沿革 1880年(明治13年) – 大岩小学校上原分教場創立。
1881年(明治14年) – 吉尾小学校上原出張所と改称。
1889年(明治22年) – 海路分室と合して吉尾尋常小学校海路支校となる。
1913年(大正2年)- 海路尋常小学校上原分教場開校。
1941年(昭和16年) – 海路国民学校上原分教場と改称。
1947年(昭和22年) – 吉尾村立海路小学校上原分校と改称。
1955年(昭和30年) – 葦北町立海路小学校上原分校と改称。
1970年(昭和45年) – 芦北町立海路小学校上原分校と改称
1991年(平成3年)3月 – 休校。
2022年(令和4年)3月 – 吉尾小学校閉校と同時に閉校し、大野小学校へ編入。

上原(うわばる)分校があった場所

上原(うわばる)地区(旧吉尾村)の集落

上原地区の地理 [出典:農業集落境界の閲覧]

上原分校があった場所は、江戸時代には上原(うわばる)村として存在していた地域です。

熊本県南部の人吉盆地から、八代海(不知火海)にそそぐ一級河川「球磨川」の支流である「平谷川」を上流へのぼっていった標高400mの山間集落です。

JR肥薩線「海路駅(現在は運休)」のある海路集落から、曲がりくねった道を山の上へのぼっていき、途中いくつかの滝に遭遇しながら、平谷川上流付近に民家が集中しています。

⇒「上原集落」の詳細

上原(うわばる)地区の史跡・名所・施設
名水 上原の井川

熊本県葦北郡芦北町の上原(うわばる)集落にある「上原の井川」は、2010年(平成22年)に『熊本県平成の名水百選』に選ばれました。

⇒「名水 上原の井川」の詳細

上原のお堂

名水「上原の井川」の隣にあるお堂です。観音様が祀られています。

⇒「上原のお堂」の詳細

上原公民館

上原地区の住民が集まる公民館です。

権現の滝

権現の滝(ごんげんのたき)は、数十メートルの落差を持つ渓流瀑で、2段の構造をもっています。

平谷川の上流にある奇岩から激流が躍り落ちる瀑布(ばくふ)で、滝の上に「権現」と名のつく祠があるので、この名がついたといいます。

現在は、車道ができて滝はそこからは見えず旧道沿いにありましたが、かずかずの豪雨災害などで岩が崩落し旧道が通れなくなっているようです(写真は権現の滝ではなく車道からみえる平谷川の滝のひとつ)。

⇒「権現の滝」の詳細

嬰児淵

嬰児淵(あかごぶち)は、権現の滝の上流にある淵です。

平家の落人(戦争に負けて逃げてきた人)がこの上原の山深い幽谷の洞窟に身をひそめて暮らしていた。その家族に子どもができたため、身を隠れて暮らしているのに「赤ちゃんが泣く」と身の上がばれてしまうということで、心を鬼にして可愛い我が子を淵に投げたことから、この名前がついています。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

上原分校 [海路小学校] 跡

上原分校の校舎跡は、上原集落の中心部から黒岩方面へさらに400mほどのぼった場所の右側にあります。

少し民家から離れた小高い丘に木造平屋の小さな校舎はありました。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

反対側に校門らしきものがあります。こちらから入るのですね。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

割れたガラスから、校舎内が見え、教室らしきものを眺めることができました。

当時のまま残っているんですね。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

別棟につながる廊下も見つけ、校舎は小さい平屋のものが2つくっついていたようです。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

かなり、老朽化と草木が生い茂っていますが、下駄箱と子どもたちの水飲み場も残っていました。

上原(うわばる)分校跡 の史跡

木陰からみる校舎の入口です。

芦北町立海路小学校上原分校の子どもたち、低学年の子らがここで学びました。

高学年になると、平谷川をおりて球磨川流域の「海路小学校」へと山をくだって通っていきました。

⇒「海路小学校跡」を見る

上原(うわばる)分校跡 のなつかしの動画
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