![四ツ浜(よつはま)小学校 [平成6年閉校] 瀬戸町立](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2025/03/yotsuhamachugakko1.jpg)
四ツ浜(よつはま)中学校 [平成6年閉校] 瀬戸町立
『四ツ浜(よつはま)中学校 』は、愛媛県西宇和郡伊方町の「川之浜小・大久小・田部小・神崎小」校区の小学生が卒業後に通っていた中学校です。
四ツ浜中の跡地は、校舎は解体され「大久保育所」の建物が新しく建っています。
四ツ浜(よつはま)中学校の閉校式はいつ?
瀬戸町立四ツ浜中学校は1994年(平成6年)3月に閉校式がおこなわれ、同月末で閉校になりました。
4月1日から、四ツ浜(よつはま)中校区の子どもたちは、伊方町三机にある「瀬戸(せと)中学校」に通っています。
四ツ浜(よつはま)中学校の校歌
白砂の辺の 学び舎に
まことのいわれ きわめつつ
自由の声も 高らかに
たたえてつどう 四ツ浜中学生
2.東雲の陽に てりはえる
宇和の山々 遠く見て
愛の教えに はぐくまれ
正義の道に つき進む
血潮はもゆる われら若人
3.向いが峰に ゆく雲の
彼方にわれらの 夢多く
四ツ葉のしるし はためいて
平和の光 でるところ
ここぞわれらの 四ツ浜中学校
四ツ浜(よつはま)中学校 [伊方町] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 四ツ浜中学校 |
住所 | 〒796-0612 愛媛県西宇和郡伊方町大久1391−1 |
閉校年月日 | 1994年(平成6年) |
沿革 | 1947年(昭和22年)- 四ツ浜村立四ツ浜中学校開校 1949年(昭和24年)- 新校舎落成 1956年(昭和31年)6月 – 町村合併により瀬戸町立四ツ浜中学校となる 1958年(昭和33年)- 校歌制定 1994年(平成6年)3月31日 – 瀬戸中学校へ編入のため閉校 |
四ツ浜中学校の校舎

四ツ浜中学校跡地に建てられた大久保育園【出典:グーグルストリートビュー】
瀬戸町立四ツ浜中学校(現・伊方町)の1949年(昭和24年)に建てられた木造2階建ての校舎は、今はもうありません。
校舎は解体され、跡地には「大久保育園」が入り新しく建物が建っています。
昔の四ツ浜中学校の校舎は、運動場が一段低くなっていたため、当時の生徒らが浜から砂を運んで運動場に入れて、校舎と同じ高さにしたそうです。
四ツ浜(よつはま)中学校があった場所

四ツ浜中校区から瀬戸中校区までの地図 [出典:校区マップ]
大久は、1956年(昭和31年)まで、四ツ浜村(よつはまむら)の中心地として栄え、川之浜小学校・大久小学校・田部小学校・神崎小学校の子どもたちが卒業したあとに、この大久にある「四ツ浜中学校」に通いました。
1994年(平成6年)「四ツ浜中学校」閉校後、校区の子どもたちは、伊方町三机にある「瀬戸(せと)中学校」に通っています。
大久(おおく)とは?
愛媛県の「大久(おおく)」は、江戸時代には大久浦(おおくうら)とよばれていた集落で、佐田岬半島の中央部に位置し、宇和海側に面しています。
戦後すぐ、大久から少し離れた見晴山(標高395m)の麓にある高茂(こうも)に開拓団が入植し、肉牛の飼育をはじめ1953年(昭和28年)には最大の肥育牛の産地となり、大久にも牛市の施設がありたいへん賑わいました。
伊方町大久地区の北部は田部(たぶ)地区、東部は川之浜、西部は大森山(標高:291m)を越えて旧・三崎町の釜木地区に隣接し、南部は宇和海に面しています。
大久の歴史

伊方町大久の町並み【出典:グーグルストリートビュー】
愛媛県西宇和郡伊方町にある「四ツ浜」は、江戸時代に「大久浦(おおくうら)」と呼ばれ、宇和島藩に属し田部浦と同じく三崎浦(みさきうら)の枝浦でした。
中世には、宇都宮房綱の家臣「大久主馬範貞」がこの地を治めていましたが、1571年(室町時代・元亀2年)大久主が三崎土居城に移ったために田部と大久だけ少しはなれた三崎浦に属するようになりました。
1889年(明治22年)に入ると町村制が施行されて三机浦の枝浦であった「神崎浦」と「川之浜浦」に三崎浦の枝浦である「田部浦」とともに、大久浦も合併し「四ツ浜村 (よつはまむら)」が誕生し、役場は大久に置かれました。
四ツ浜村の中心地として
旧・四ツ浜村の中心地としての「大久(現・伊方町)」は、大正時代より佐田岬半島最大の牛市=ぎゅういち(牛を売買する市)が開かれ、商業的機能があるまちとして栄えました。
また、昭和30年代に入ると大久の東端に国際電電の中継所が置かれ、たくさんの職員がそこで働きました。
1956年(昭和31年)6月1日、四ツ浜村は「三机村(みつくえむら)」と合併、同時に町制施行し「瀬戸町(愛媛県)」となり、中学校も瀬戸町立四ツ浜中学校と改称。
1994年(平成6年)に四ツ浜中は閉校となり、子どもたちは旧・瀬戸町の中心部にある三机の「瀬戸中学校」へ通うことになりました。
2005年(平成17年)4月1日、瀬戸町は三崎町・伊方町と合併し、新設「伊方町」が発足しました。
大久(おおく)地区にある有名なもの
大久のしゃんしゃん踊り

大久のしゃんしゃん踊り【伊方町】
伊方町の指定無形民俗文化財の「しゃんしゃん踊り」は、大久に300年以上前から伝わる伝統の踊りで別名「八朔踊り」といわれ、大久の地元民は「イヤシャン踊り」と呼んでいます。
1722年(江戸時代・享保7年)大久浦に女性の水死体が漂着しました。その後、疫病・災害が相次いで起こったため、この女性の祟りかもしれないということで亡くなった女性を「お幾世」とし、その霊を慰めるため「於幾世里大明神」として祀り、九州五島列島(大分の豊後踊りの説もあり)からシャンシャン踊りを習って「大久」集落に持ち帰り、慰霊のために奉納したところ、それ以来「たたり」がピタリと止まったとされ、300年以上続いています。
風流踊りとして歌が残され太鼓を中心に、踊り子が横にならび扇を美しく使うのが特徴で、現在は保存会の皆さんが毎年9月1日に開催されています。
夕方になると、まず最初にお幾世様の供養のために「長松寺(ちょうしょうじ)」で踊り、次に「おきよさま」と呼ばれる於幾世里大明神のある「前の浜」で踊って、続いて明神さんと呼ばれる感浦大明神の前の浜で踊りを奉納して、終了となります。
大久海水浴場
細かい砂が1㎞ほど続いた澄んだ海水のもとで泳げる海水浴場です。
出典:愛媛県生涯学習センター・伊豫の隅々