湯浦(ゆのうら)小学校 [旧校舎跡] 芦北町
『湯浦(ゆのうら)小学校 [旧校舎] 跡』は、熊本県葦北郡芦北町の湯浦地区の子どもたちが通った小学校の旧校舎跡です。現在、湯浦小学校は、〒869-5563 熊本県葦北郡芦北町湯浦1396に移転しています。
旧校舎跡には、芦北町社会福祉協議会・老人ホーム「きずなの里」が建てられ再活用されています。
湯浦(ゆのうら)小学校は、いつ移転したの?
湯浦小学校は、1887年(明治20年)に芦北町大字湯浦1441番地で演武場内で創設されました。
1894年(明治27年)に校舎が新築され、さらに1908年(明治41年)には木造校舎1棟増設、1927年(昭和2年)に校舎を増築、1949年(昭和24年)には二階建ての木造校舎が新築されました。
1961年(昭和36年)には鉄筋コンクリートの校舎が建てられましたが、1985年(昭和60年)に校地移転と校舎の改築が決定し、1986年(昭和61年)の10月に湯浦小学校は移転し、新校舎の落成式がおこなわれました。
湯浦(ゆのうら)小学校の校歌
大関仰ぐ 湯の里に
友垣かたく 手を取って
学びの道に いやはげむ
母校 湯浦 湯浦小学校
2.歴史の流れ 湯の川の
輝くほまれ 受けついで
心豊かに 明日の日の
文化の花を 咲かせよう
母校 湯浦 湯浦小学校
3.緑が丘の 風清く
明るい窓に さす光
高い希望に 胸を張り
夢も大きい わたしたち
母校 湯浦 湯浦小学校
湯浦(ゆのうら)小学校跡 [旧校舎] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 湯浦小学校 [旧校舎] |
住所 | 〒869-5563 熊本県葦北郡芦北町湯浦1439−1 |
移転年月日 | 1986年(昭和61年) |
沿革 | 1873年(明治6年) – 旧演武場内で小学校の授業開始(芦北町湯浦1441番地)。 1887年(明治20年)- 湯浦尋常小学校設置。 1902年(明治35年) – 湯浦尋常高等小学校と改称。 1941年(昭和16年) – 湯浦国民学校と改称。 1947年(昭和22年) – 湯浦村立湯浦小学校と改称。 1951年(昭和26年) – 湯浦町立湯浦小学校と改称。 1970年(昭和45年) – 芦北町立湯浦小学校と改称。 1986年(昭和61年) – 現在地に移転 |
湯浦(ゆのうら)小学校 [旧校舎] がある場所
湯浦小学校の旧校舎跡は、熊本県葦北郡芦北町の湯浦の中心地「湯町」交差点を、西に進み「星野富弘美術館」を過ぎて、右手の現在「芦北町社会福祉協議会」「きずなの里」の場所にありました。また、1970年(昭和45年)に芦北町として合併されるまでは、湯浦町(ゆのうらまち)として自治体が存在していて、現在「湯浦保育園」のある場所に「湯浦町役場」があり、現在も門柱が残っています。
湯浦(ゆのうら)とは?
熊本県葦北郡芦北町にある「湯浦(ゆのうら)」は、温泉町として知られています。
浦(うら)とは、古くから海岸の集落(漁村・港町)をさす用語で、湯の浦ということで温泉がでる港町の集落という意味で名付けられたといいます。
このあたりは檜前(ひのくま)氏(大和時代に奈良に住んでいた豪族)を祖先とし、鎌倉時代には水俣一族の葦北七浦衆(津奈木氏・湯浦氏・佐敷氏・田浦氏など)として、それぞれの地域を統治し同名の土豪=どごう(室町時代から戦国時代にかけて出てきた新しい武士で、その土地の豪族)がいました。
湯浦に温泉が見つかったのが770年~780年(奈良時代)といわれ、弱アルカリ性の単純温泉として古くから、九州の幹線道路(本州から鹿児島まで)を行きかう旅人の宿場町として賑わいました。
江戸時代に入ると「薩摩街道(出水筋=西目筋)」が整備されさらに温泉宿場として栄えましたが、1790年(江戸時代・寛政2年)の大洪水で、湯浦川から八代海にぬける川沿いの温泉が破壊されてしまい、明治・大正に入って再び温泉開発により温泉町として復興したとあります。
近代1889年(明治22年)になると湯浦村が発足し、1951年(昭和26年)には町制施行で「湯浦町」となりましたが、1970年(昭和45年)葦北町と新設合併して、現在は芦北町湯浦となっています。
肥薩おれんじ鉄道の「湯浦駅」がある周辺に、「亀井荘」「湯浦温泉センター」「ヘルシーパーク芦北」「岩の湯」などの温泉が入れる施設があります。
また、湯浦中心部にはスーパー「湯浦ショッピングセンターペア」、「セブンイレブン芦北湯浦店」「ファミリーマート芦北湯浦店」、湯浦郵便局と飲食店では、「清水屋」「湯町ふくうら」「スナックまり」があり、
教育・医療機関は、芦北町湯浦児童館・湯浦小学校・湯浦中学校・湯浦保育園、芦北町立星野富弘美術館と溝部病院があります。