黒木(くろき)小学校【令和6年3月閉校】鹿児島県薩摩川内市
鹿児島県

黒木(くろき)小学校跡 [薩摩川内市]

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黒木(くろき)小学校は、鹿児島県薩摩川内市の黒木地区にある小学校です。

黒木小学校の閉校はいつ?

黒木小学校の閉校はいつ?

黒木小学校の閉校記念碑【鹿児島県薩摩川内市】

薩摩川内市立黒木小学校の閉校は、令和6年3月でした。

2024年(令和6年)4月から、大軣小学校・上手小学校・藺牟田小学校と統合され新しく「祁答院小学校」としてスタートします。

黒木小学校の閉校式典はいつ?

閉校式典は、2024年(令和6年)3月16日の土曜日、黒木小学校と黒木地区コミュニティーセンターで、午前10時から午後2時半まで行われました。

黒木小学校の詳細

住所・閉校年月日・沿革
名称 黒木小学校
住所 〒895-1504 鹿児島県薩摩川内市祁答院町黒木123
閉校年月日 2024年(令和6年)
沿革 1871年(明治4年)永源寺跡に学館を設立し子弟を教育する
1872年(明治5年)旧領主館を校舎とし第78郷校と称する
1876年(明治9年)黒木小学と改称 上等・下等科を置く
1881年(明治14年)教育令の改正により初等・中等・高等の三科を置く。藤盛に簡易小学を設け初等科を置く
1883年(明治16年)木場分校を設立する
1885年(明治18年)黒木尋常小学校と改称し高等科は別科として教授する
1889年(明治22年)学校改築
1892年(明治25年)藤森簡易小学・木場分校を黒木尋常小学校に合併
1901年(明治34年)黒木尋常高等小学校と称し、尋常・高等の二科を置く
1908年(明治41年)小学校令の改正により、尋常6年・高等科2年となる
1921年(大正10年)桧山公園地を拓く(校外運動場)
1924年(大正13年)校舎移転拡張工事
1926年(大正15年)創立50周年記念式典を行う
1937年(昭和12年)校舎全焼
1939年(昭和14年)新校舎落成
1941年(昭和16年)黒木国民学校と改称する
1947年(昭和22年)学制改革により黒木小学校と改称
1953年(昭和28年)校歌制定
1955年(昭和30年)校章制定・講堂増改築・尊徳像再建
1957年(昭和32年)創立80周年記念事業を挙行
1958年(昭和33年)完全給食実施
1962年(昭和37年)付設幼稚園を置く
1965年(昭和40年)校旗制定
1967年(昭和42年)創立90周年記念式典を挙行
1971年(昭和46年)簡易プール完成
1977年(昭和52年)創立100周年記念式典を挙行
1979年(昭和54年)鉄筋新校舎(教室6・特別教室6・管理棟)落成
1980年(昭和55年)屋内運動場落成・裏山にアスレチック完成
黒木小学校の動画
黒木小学校の校歌

黒木小学校校舎

1.みどりさやかに希望を のせて
矢止めのむねは 朝を呼ぶ
燃えたつ理想 明るいひとみ
ともにいそしむ 学びやに
鐘が鳴る鳴る 誇りも高く
われらは黒木小学校

2.清いせせらぎ 野の歌そえて
大王川の水おどる
求めよ真理 磨けよ心
ともにたゆまぬ 学びやに
日に日におこる 自立の気風
われらは黒木小学校

3.薫るそよ風 雲ゆく果てに
次代をになう 決意湧く
花さく文化 築こう郷土
ともにつとめる 学びやに
世界をつなぐ 使命はのびる
われらは黒木小学校

黒木小学校の校舎

黒木小学校の校舎配置図

黒木小学校の校舎配置図【鹿児島県薩摩川内市】

鹿児島県薩摩川内市にある「黒木小学校」の校舎は、1979年(昭和54年)に作られた鉄筋コンクリート二階建ての建物です。

1階に一年生から六年生が学び、購買部・多目的室・校長室があり、右端が職員室と保健室で、離れて給食室・飼育小屋がありました。

2階は、家庭科室・理科室・音楽室・図工室・コンピュータ室・図書室が並んでいます。

黒木(くろき)小学校とは

黒木小学校

校門から見た黒木小学校校舎【鹿児島県薩摩川内市】

黒木小学校は、黒木地区(木場・矢立・浦・中・宮脇・本町・宇都・南・小牧)の小学生が進学して通った小学校です。

⇒ 黒木(くろき)とは?

黒木(くろき)小学校の校章

黒木(くろき)小学校の校章

昭和30年に制定された、黒木小学校の校章

黒木小学校がある黒木地区とは?

黒木小学校の歴史

領主御仮屋跡がある黒木小学校【鹿児島県薩摩川内市】

黒木小学校がある黒木地区は、祁答院町の東にあって、校区の境目はさつま町(旧宮之城町・旧薩摩町)、姶良市に隣接しています。

南側=矢止岳(やどめだけ)標高670mをはじめ、周囲に山がつらなる山林地帯です。

校区の中央=大王川流域を中心に、水田地帯となっており稲作が主な産業です。

黒木地区の風景

黒木小学校がある「黒木地区」は、古くから武家屋敷があった地域です。

場所的には、現在の薩摩川内市である藺牟田・大村(上手・下手)の地域と隣接しており、さつま町の中津川地区ともかかわりが深い町です。

1955年(昭和30年)に、祁答院町(けどういん)になった時は、元々自治体であった藺牟田村・大村・黒木村が合併してできたため、この3町は、今でも関係が深く、今回の黒木小学校の閉校にあたり、新しくできる「祁答院小学校」も、旧祁答院町の上手小学校・大軣小学校・藺牟田小学校です。

黒木(くろき)の子どもたちと伝統文化

黒木(くろき)の子どもたちと伝統文化

黒木地区の鷹踊り

黒木地区には、伝統芸能として「鷹踊り」があります。

街の中心部にある「大楠神社(大王神社)」で、毎年9月第3土曜日奉納されていた踊りです。

黒木鷹踊りの由来は、上層が行っていた鷹踊りを、庶民が芸能化したものがはじまりだと言われており、すててこ・笠・扇子・鷹を模した道具を持った「鷹匠役」が器用に鷹を操る様子が描かれています。

餌師は、笠と着ものを着て、棒を持ちながら「鷹の機嫌」を損ねないように補助の踊りを踊ります。

現在、黒木鷹踊りは30年以上の伝統を持ち、保存会が精力的に活動しており、中学生が小学生へと伝統をつなぐ、黒木の伝統文化になっています。

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