鹿児島県の廃校・校跡

流水(りゅうすい)小学校 [令和4年閉校] さつま町立

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流水(りゅうすい)小学校は、鹿児島県薩摩郡さつま町の湯田(ゆだ)地区の子どもたちが通っていた小学校です。

流水小跡地には、さつま町シルバー人材センターが入って再利用しています。

⇒  公式ホームページ

流水(りゅうすい)小学校の閉校式はいつ?

さつま町立流水小学校は、2022年(令和4年)に閉校しました。

同年3月20日(日曜日)に、閉校式典がとりおこなわれました。

4月から、流水小学校校区の児童は、同年閉校した2代目鶴田小学校の児童とともに、さつま町神子の校地(鶴田中学校跡地)に新しく建てられた「新・鶴田中学校」へ通っています。

流水(りゅうすい)小学校の校歌
1.仰ぐ紫尾山 雲高く
はゆる平和の 朝日かげ
希望新たに はつらつと
進むわれらの 学園に
きょうも明るい 鐘がなる

2.水川内の 川波を
つきぬ真理の 音ときき
たゆまず磨く 知と徳を
理想にもえて こぞるとき
あすへあふるる 力わく

3.におう湯の里 あけくれを
愛とまことの 手を結び
豊かな土に みのる野に
栄えの文化を めざしつつ
いそしむ 流水小学校

流水(りゅうすい)小学校 [さつま町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 流水小学校
住所 〒895-1817 鹿児島県薩摩郡さつま町湯田1128
閉校年月日 2022年(令和4年)
沿革 1876年(明治9年) – 宮之城小学校湯田分校として創立
1879年(明治12年)- 校舎増築。宮之城村立流水小学校と改名し独立校となる
1881年(明治14年)- 二階建て木造校舎新築
1887年(明治20年)- 宮之城村立流水簡易小学校と改称
1890年(明治23年)- 宮之城村立流水尋常小学校と改名
1899年(明治32年)- 火災により校舎が全焼
1900年(明治33年)- 校地を清浄院の旧邸に定め校舎新築(工費1408円)
1919年(大正8年)- 校舎増築
1947年(昭和22年)- 流水小学校と改名
1951年(昭和26年)- 校歌制定
1954年(昭和29年)- 校舎新築
1959年(昭和34年)- 親子20分間読書運動開始
1961年(昭和36年)- 給食開始
1966年(昭和41年)- 標準制服制定
1972年(昭和47年)- 7月北薩集中豪雨による 川内川氾濫で宮之城温泉街が流される(全児童の44%被災)
10月 – プール竣工
1975年(昭和50年)- 通学服制定
1977年(昭和52年)2月 – 創立百周年記念式典 9月 – 米飯給食開始
1978年(昭和62年)- 兼久小学校(天城町)使節団来校交流始まる
2005年(平成17年)- 創立130周年記念流水フェスタ開催
2010年(平成22年)- 創立135周年・親子20分間読書50周年記念事業
2011年(平成23年)- 第100回卒業式
2022年(令和4年) – 新・鶴田小学校新設のため閉校

さつま町立流水小学校の校舎

流水(りゅうすい)小学校

正面からみた流水小学校

流水小学校は、紫尾山を北側にのぞむ鹿児島県薩摩郡さつま町の中心部、宮之城から北東に5km離れた川内川沿いの宮之城温泉街(湯田地区)にあった小学校です。

流水(りゅうすい)小学校

運動場側からながめた流水小学校

さつま町の観光名所である「湯田温泉郷」が古くからある地域で、鶴田村とは隣接していたものの宮之城村の湯田分校としてスタートしました。

流水(りゅうすい)小学校

花壇に花が咲き誇る流水小学校

流水小学校と改称したときの、流水についての由来ですが、中国戦国時代の儒学思想家「孟子」の言葉で、

流水のものたるや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。

から来ています。

流れ行く水というものは、途中にある窪みを1つひとつ満たさなければ、決して先へは流れていかない。

心ある立派な人が成人の道を学ぶことも同じで、1つひとつ区切りをつけて完成させなかれば、決して最後の目的に到達することはできない。

何かをやる場合は一つ一つ着実に進めなさいという意味です。

流水(りゅうすい)小学校

裏門から見た流水小学校

由来の中には、孟子の言葉の原泉混混として、晝夜を舎かず。といった「源泉」も登場し、湯田地区の温泉や、そばに流れる川内川の情景とあいまって、命名されたものと思われます。

流水(りゅうすい)小学校

流水小学校の最後の掲示板連絡

この流水小学校は、特に「親子読書」という習慣を、どの学校よりもはやく1959年(昭和34年)にはじめた発祥の地ということで、学校の誇りにしていました。

流水(りゅうすい)小学校

裏側の右横からみた流水小学校

流水小学校の生徒は卒業したあとは、隣の鶴田地区にある鶴田中学校に進んでいましたが、鶴田中学校も2019年(平成31年)に閉校となり、現在は、さつま町の中心部にある「宮之城中学校」へ進学しています。

流水(りゅうすい)小学校がある場所

流水(りゅうすい)小学校は、鹿児島県の北西部にあるさつま町の中心部から国道267号線を6km北上した川内川南側の湯田(ゆだ)地区にあります。

湯田地区は、さつま町の中でも紫尾(しび)温泉とならぶ、「宮之城(みやのじょう)温泉」があるまちとして知られています。

1818年~1829年(江戸時代・文政年間)に開湯され、湯治場として栄えてきました。

1932年(昭和7年)まで「湯田温泉」と呼ばれていましたがその後「宮之城温泉」に名称を変え、現在、温泉施設・旅館などが約10軒ほど並ぶ静かな温泉街となっています。

流水小校区の歴史

学校がある湯田地区は、江戸時代まで湯田(ゆだ)村として、宮之城郷のなかにあり、薩摩鹿児島藩の領下でした。

1889年(明治22年)の町村制施行によって、湯田村は屋地村・船木村・平川村・柊野村・虎居村・時吉村と合併し、「宮之城村」が誕生しました。

1919年(大正8年)、宮之城村が町制施行して宮之城町になりました。

1954年(昭和29年)、佐志(さし)村が宮之城町に編入されました。

1955年(昭和30年)、山崎町が編入され、あらためて「宮之城町」が発足します。

2005年(平成17年)、宮之城町がほかの鶴田町・薩摩町と合併して「さつま町」が誕生します。

現在、流水小学校のある住所も鹿児島県薩摩郡さつま町の湯田となっています。

流水小校区の伝統芸能

流水小校区の伝統芸能

湯田棒踊り(画像出典:公式ホームページ)

流水小学校の校区には、「湯田棒踊り(ゆだぼうおどり)」という郷土芸能があります。

はじまりは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の武士団の士気を高めるために踊ったとされ、その後、五穀豊穣と地域の発展を願って伝承されてきました。

湯田地区の名湯「宮之城温泉」の繁栄と、地区内の川内川の豊富な水の恩恵を受けた稲作の豊作をねがって、1977年(昭和52年)に復活されました(流水小学校創立100周年記念にて)。

毎年、10月の湯田八幡大祭で「湯田秋津島舞」とともに湯田八幡神社に奉納され、宮之城温泉街・ほのぼの苑などでも披露されました。

流水小学校の子ども達も、文化財の伝承に一役をかって、平成25年度までは毎年「秋季大運動会」で発表されてきました。

流水小閉校後は、伝統芸能をいかに継承していくのかを考えてあらたに「湯田棒踊り保存会」が発足しています。

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