西太良(にしたら)中学校跡 [伊佐市]
西太良(にしたら)中学校は、大口市(当時)の曽木地区にあった中学校で、1970年(昭和45年)に、大口南中学校に統合となり閉校しました。
西太良中学校の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 西太良中学校 |
住所 | 〒895-2441 鹿児島県伊佐市大口曽木3164 |
閉校年月日 | 1970年(昭和45年) |
沿革 | 1947年(昭和22年) – 西太良村立西太良中学校が創立 1970年(昭和45年) – 大口市立大口南中学校に統合されるため、閉校。 |
西太良中学校の動画
西太良中学校の校歌(一部)
曽木の大滝 轟きて
世紀の朝を告ぐる時
希望にもゆる若人が
今はつらつと挙り立つ
西太良中学校 意気高し
西太良(にしたら)中学校
西太良中学校は、大口市(現在・伊佐市)の南側の西太良地区にあった中学校です(小字は曽木)。
太良(たら)という言葉に地元の人は、かなりの思い入れがあります。
この一帯は、古くから太良院と呼ばれた稲作のお米の貯蔵地として知られていました。
江戸時代のころ(薩摩鹿児島藩時代)は、曽木郷として里村・針持村が存在していましたが1869年(明治2年)に、本城郷と曽木郷が合併したとき、初めて太良郷が生まれました。
太良郷は現在よりも広く、さつま町の永野、旧菱刈町の下手・荒田・南浦・重留まで及びました。
1889年(明治22年)4月1日、町村制がしかれると太良郷は太良村となりましたが、1891年(明治24年)8月にそれぞれの地域性があった南浦・荒田・川南地区が東太良村を名乗り、もともとの曽木地区であった里・針持が西太良村として分割発足となりました。
その西太良村の中心部にあった中学校が、西太良中学校です。
1947年(昭和22年)に、西太良中学校が開校するまでは、1914年(大正3年)4月1日から曽木尋常高等小学校があり、1953年(昭和28年)11月3日まで、併設されていたようです。その後、曽木小学校として移転しています。
西太良中学校があった、西太良地区は、1937年(昭和12年)に宮之城線の駅として「西太良駅」が開業し、日本の高度成長期の人々の足として栄えました。
1987年(昭和62年)1月10日に、宮之城線が全線廃止となり西太良駅も、廃駅となりました。
西太良中学校跡のグラウンドには、毎年春になるとたくさんの桜が咲き乱れ、地域の方たちのコミュニケーションの場として現在も、利用されています。
校舎のあったすぐ隣には、現在は財宝グループ株式会社が運営する鹿農食品工業 大口事業所の工場があります。