狩宿(かりじゅく)分校跡 [求名小学校] さつま町
狩宿(かりじゅく)分校は、鹿児島県薩摩郡さつま町にあった求名小学校の分校として、狩宿に開校しましたが2007年(平成19年)に休校となり、2010年(平成22年)に閉校しました。
狩宿分校の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 求名小学校狩宿分校 |
住所 | 〒895-2201 鹿児島県薩摩郡さつま町求名8202−2 |
閉校年月日 | 2010年(平成22年) |
沿革 | 1930年(昭和5年) – 求名小学校の狩宿分教場として創設。 1979年(昭和54年)- 創立50周年記念 1999年(平成11年)- 狩宿分校の校舎を改築。トイレ簡易水洗を設置 2007年(平成19年)- 狩宿分校が休校となる 2010年(平成22年)- 狩宿分校が閉校となる 2011年(平成23年) – 狩宿分校閉校記念式典 |
狩宿分校の動画
狩宿(かりじゅく)分校
狩宿分校は、求名村の狩宿集落の人たちの子どもが通っていた小学校です。
場所は、鹿児島県伊佐市とさつま町の町境・市境にあり、地域は求名村の中にありました。
目の前には国道267号線が走っており、幹線道路として活躍していますが、狩宿の昔の風景は実はその裏側の裏川内川の流れる付近になります。
国道ができるまでは、その裏川内川沿いの狩宿地区は上狩宿・下狩宿として2つに分かれ、古くからお殿様が通る宿場町として栄えていたようです。
現在は、さつまゴルフリゾートの周りを囲むように、田んぼが広がっていて史跡である上狩宿と下狩宿の田の神様の石像もあります。
狩宿簡易郵便局が、国道267号線沿いではなく裏側の田んぼの真ん中にポツンと建っているのも、当時の狩宿地区の集落の中心が、かつてそこであったことを想像できます。
狩宿には搦(からげ)という地名があり、狩りで獲ったものを搦げる(しばりつける、まとめる)場所であったということで、そこには七搦(ななからげ)という伝統的な苗字をもっておられる人が住まれています。
求名小学校狩宿分校の当時の様子は、MBC(南日本放送)が「あの日のふるさと」というアーカイブ番組において、2023年(令和5年)2月2日木曜日に、創立50周年の模様が放映されました。
分校創立50周年を記念して、狩宿分校の保護者・狩宿地域の住民のかたの手作りでアスレチック施設が建設されました。
1979年(昭和54年)の当時で、狩宿分校は小学一年生と二年生のあわせて7名おり、先生が2名の小さな学校として楽しく授業が開かれていたようです。
小学三年生になると、5キロ離れた本校である、求名小学校に通うことになっていました。