高免(こうめん)小学校跡 [鹿児島市]
『高免(こうめん)小学校跡』は、鹿児島県鹿児島市の桜島にある高免地区の子どもたちが通った小学校跡です。
現在、高免小の校舎はかなり古く老朽化が進んでいるため、再利用されていません。
高免(こうめん)小学校は、いつ閉校したの?
鹿児島市立高免小学校は、閉校にはなっていません。
1902年(明治35年)に黒神小学校の前身である宮原小学校の分校としてスタートしましたが、1993年(平成5年)に児童数が2名となり、今後も新しい入学生がいないことを理由に、現在休校中です。
高免(こうめん)小学校の校歌
高免(こうめん)小学校跡 [鹿児島市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 高免小学校 |
住所 | 〒891-1402 鹿児島県鹿児島市高免町32 |
休校年月日 | 1993年(平成5年) |
沿革 | 1902年(明治35年)に宮原小学校(現在の鹿児島市立黒神小学校の前身)の分教場として開設。 1914年(大正3年)には宮原小学校の分教場から独立。 1950年(昭和25年)に東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い鹿児島市立高免小学校に。 1989年(平成元年)5月1日現在では児童数11名・学級数3。 1993年(平成5年)3月末より休校。 |
高免(こうめん)小学校があった集落「高免」
高免(こうめん)町とは、鹿児島県鹿児島市の町で、桜島の北側に位置しています。
もともと、江戸時代より「高免村」として存在し、大隅国大隅郡の桜島郷の管轄におかれました。
1779年(安永8年)に桜島が大噴火をおこし(安永大噴火)高免村と古里村に火口が出現しましたが、死者がでずにすみました。
1889年(明治22年)の町村制によって、高免村は近辺にある黒神村・瀬戸村・脇村・有村・古里村・野尻村・湯之村(桜島の東半分)と合併し、東桜島村になりました。
1914年(大正3年)の桜島大噴火では、高免の住民300人(戸数47戸)が、船で避難し、その後列車で吉松(現在の湧水町)まで移動し全員無事でした。
1950年(昭和25年)には、東桜島村が鹿児島市に編入され、鹿児島市高免町としました。
高免町の校区には、現在、鹿児島市立黒神小学校と、鹿児島市立黒神中学校があります。
高免(こうめん)小学校跡の史跡
休校中の「高免小学校」の校舎は、鉄筋コンクリートの2階建てです。
昭和30年代から50年代ごろに、新しく建てられたものとおもわれる灰色のずしっと重いカラーで荘厳な雰囲気がでています。
運動場のコンクリートの壁には的が書いてあり、野球・サッカーなどを遊んでいたのではと当時が偲ばれます。
校舎の横に、かけあしなわとびの木製の看板が建てられていて、鹿児島県を一周するゲームのようなものを授業に取り入れていたのがわかります。
こちらは体育倉庫と思われます。
高免小学校の周辺は、集落と若宮神社・水神山神地神をまつるお地蔵さん・高免避難港(12番避難港)もあります。
西へ行けば、桜島コーヒー&ベーカリー・カフェしらはまがある白浜町の集落があり、GANADAN COTTAGE(ガーデン・コテージ)では宿泊もできます。