高免(こうめん)小学校 [令和8年閉校] 鹿児島市立
鹿児島県の廃校・校跡

高免(こうめん)小学校 [令和8年閉校] 鹿児島市立

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『高免(こうめん)小学校 』は、鹿児島県鹿児島市の「高免町」の浦之前・東園山以外の1番地から399番地に住む児童が通っていた小学校です。

高免(こうめん)小学校の閉校式はいつ?

鹿児島市高免小学校は、1993年(平成5年)に児童数が2名となり、今後も新しい入学生がいないことを理由に休校となりました。

2026年(令和8年)4月から、桜島地域の5つの小学校と3つの中学校の計8校が統合してできた小中一貫校「桜島学校」が新しく開校するため、今まで休校していた「高免小学校も」同年、3月31日で閉校になります。

さきがけて、2026年(令和8年)3月11日(水曜日)午前9時15分から、同時閉校となる「黒神小学校」「黒神中学校」とともに、高免小学校も「合同閉校式」をおこないます。

2026年(令和8年)4月1日から旧高免小校区の子どもたちは、小中一貫校「桜島学校」へ通います。

高免(こうめん)小学校の校歌
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高免(こうめん)小学校 [鹿児島市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 高免小学校
住所 〒891-1402 鹿児島県鹿児島市高免町32
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1902年(明治35年)に宮原小学校(現在の鹿児島市立黒神小学校の前身)の分教場として開設。
1914年(大正3年)には宮原小学校の分教場から独立。
1950年(昭和25年)に東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い鹿児島市立高免小学校に。
1989年(平成元年)5月1日現在では児童数11名・学級数3。
1993年(平成5年)3月末より休校。
2026年(令和8年)3月31日 – 小中一貫校「桜島学校」新設のため閉校。 [1]

[1] 出典:Wikipedia

鹿児島市立高免小学校の校舎

鹿児島市立高免小学校の校舎

「高免小学校」の校舎は、鉄筋コンクリートの2階建てです。

昭和30年代から50年代ごろに、新しく建てられたものとおもわれる灰色のずしっと重いカラーで荘厳な雰囲気がでています。

高免(こうめん)小学校跡の史跡

運動場のコンクリートの壁には的が書いてあり、野球・サッカーなどを遊んでいたのではと当時が偲ばれます。

高免(こうめん)小学校跡の史跡

校舎の横に、かけあしなわとびの木製の看板が建てられていて、鹿児島県を一周するゲームのようなものを授業に取り入れていたのがわかります。

高免(こうめん)小学校がある場所

高免小学校の場所は、鹿児島県鹿児島市の桜島の高免町にあります。

江戸時代までは、高免(こうめん)村とよばれ、桜島の北東部に位置し、南は黒神村・西は白浜村と隣接して大隅国大隅郡の桜島郷の管轄におかれました。

1779年(安永8年)に桜島が大噴火をおこし(安永大噴火)高免村と古里村に火口が出現しましたが、死者がでずにすみました。

この安永大噴火によって、発生した「溶岩流」が固化してできた安永溶岩が、高免地区のほぼ全域を覆っています。

また、この安永噴火の際に新しい8つの島が、高免村の沖に隆起して誕生し「新島(しんじま)」をはじめとして4つの島が今も現存しています(安永諸島)。

1889年(明治22年)の町村制によって、高免村は近辺にある黒神村・瀬戸村・脇村・有村・古里村・野尻村・湯之村(桜島の東半分)と合併し、東桜島村になりました。

1914年(大正3年)の桜島大噴火では、高免の住民300人(戸数47戸)が、船で避難し、その後列車で吉松(現在の湧水町)まで移動し全員無事でした。

1950年(昭和25年)には、東桜島村が鹿児島市に編入され、鹿児島県鹿児島市の大字が高免町となりました。

高免町の名所・特産
高免(こうめん)小学校があった集落「高免」

高免避難港(12番避難港)

高免小学校の周辺は、高免集落と若宮神社・水神山神地神をまつるお地蔵さん・高免避難港(12番避難港)もあります。

椿油

高免地区では、桜島の噴火の降灰に影響をうけにくいツバキの花から抽出した「椿油」を生産しています。

高免小が休校後も、黒神小学校・中学校でも子どもたちの「椿油の学習」は続けられ、高免老人クラブの方々も協力しています。

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鹿児島市とその地域 [鹿児島県]
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