宿利原(やどりはら)小学校 [令和7年3月閉校] 錦江町立
鹿児島県の廃校・校跡

宿利原(やどりはら)小学校 [令和7年3月閉校] 錦江町立

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『宿利原(やどりはら)小学校 』は、鹿児島県肝属郡錦江町の「宿利原小校区(笑喜・大尾・才原・命苫・厚ヶ瀬・落河・岩元・牧原・永吉・中萩)」の子どもたちが通っている小学校です。

宿利原小学校は、常時の学習のほか夏休みの寺子屋塾(鹿児島大学生との交流)や、「宿っ子田んぼ」のコメ作り、漬物用大根づくりなど農産物をはじめとした「食農教育」が盛んです。

少人数学級を活かして同じ錦江町内の「神川小学校」と「池田小学校」の3校を合わせた海・修学旅行、集団宿泊学習、春の校外学習などの交流があります。

また、地区住民が主体になり運営している「やどりはら秋まつり」、「宿利原大根」の大根やぐらライトアップイベントも、遠方から観光客が集まる人気のイベントです。

宿利原(やどりはら)小学校の閉校式はいつ?

肝属郡錦江町立宿利原小学校は2025年(令和7年)3月末で閉校となります。

宿利原(やどりはら)小学校の閉校式は、3月2日日曜日の15時からおこなわれます。

 閉校記念式典  15:00~15:45
記念除幕式   16:00~16:30
思い出を語る会 17:00~18:30

2025年(令和7年)4月から、宿利原小校区の子どもたちは近隣の池田小学校の生徒とともに「大根占(おおねじめ)小学校」へ通います。

宿利原(やどりはら)小学校の校歌
宿利原(やどりはら)小学校の校歌

宿利原小学校の校章【出典:公式サイト】

1.山脈とおくかがやいて
朝日に映える宿利原
学びのまどにきょうもまた
ひとみ明るく元気よく
通うぼくらだわたしらだ

2.豊かに光る黒土に
すくすくのびる若草に
手をとり肩をくみあって
みんななかよくたすけあい
励むぼくらだわたしらだ

3.はるかに仰ぐ開聞の
やさしく高いいただきよ
つばさもかるくはばたいて
のぞみ大きくたくましく
いきるぼくらだわたしらだ

宿利原(やどりはら)小学校 [錦江町] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 宿利原小学校
住所 〒893-2301 鹿児島県肝属郡錦江町神川7260
閉校年月日 2025年(令和7年)
沿革 1892年(明治25年)1月 – 宿利原簡易小学校設立。7月 – 宿利原尋常小学校と改称
1922年(大正11年)- 高等科併設
1941年(昭和16年)- 宿利原国民学校と改称
1947年(昭和22年)- 宿利原小学校と改称
1952年(昭和27年)10月 – 水道施設が整い通水式
1960年(昭和35年)児童数 355名
1964年(昭和39年)1月 – 初めての学校給食
1992年(平成4年)創立100周年記念碑建立
2021年(令和3年)9月 – 創立130周年
2025年(令和7年)3月 – 閉校、大根占小学校へ編入

宿利原(やどりはら)小学校がある場所

宿利原(やどりはら)小学校がある場所

宿利原小校区【出典:学区マップ】

宿利原小学校がある校区は、笑喜・大尾・才原・命苫・厚ヶ瀬・落河・岩元・牧原・永吉・中萩の集落を含む地区です。

鹿児島県肝属郡錦江町の宿利原(やどりはら)地区の人口は約281名(2017年時点)で、高齢化率は51.8%と少子高齢化が急速に進んでいます。

宿利原(やどりはら)とは?
宿利原(やどりはら)とは?

宿利原の寒干大根の風景

宿利原地区は、錦江町の市街地から北東へ10㎞の標高200mの高台にあり、その広い高台には、農耕地が広く拓かれていて10の自治会から構成されています。

農業が盛んな地区で、夏場はサツマイモ・生姜(しょうが)・葉たばこ、冬場は高菜・干し大根の生産など、1年間と通して農業が盛んです。

宿利原(やどりはら)の地名の意味とは?

宿利原(やどりはら)小学校がある場所

宿利原小校区 [出典:農業集落境界の閲覧]

宿利原とは、肝属郡錦江町(旧:大根占町)の神川の地名で、この名前を姓にもつ人もこの地区に集中しています。

宿利原(やどりはら)の地名の意味は、その名の通り「原の中に発生した宿場(泊まるところ)」という昔の宿泊地が語源となっています。

地元では、宿利原のことを「やどいばい」と発音します。

また、牧原も「まつばい」、才原を「せばい」、命苫を「めとま」、大尾を「う」など、宿利原小校区の地名は難読漢字が多くあります。

出典:錦江町広報

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