![山野西(やまのにし)小学校 [平成24年閉校] 伊佐市立](https://retrojapan.jp/wp-content/uploads/2025/07/yamanonishisyogakko01.jpg)
山野西(やまのにし)小学校 [平成24年閉校] 伊佐市立
鹿児島県伊佐市の大口小川内にある『山野西(やまのにし)小学校 』は、熊本県水俣市との県境にある「山野西校区(上場・竹屋敷・吉原・新生・小川内地区)」に住む子どもたちが通っていた小学校です。
特に山野西小の秋の運動会は、ユニークな競技(牛の乳しぼり・ムベ採り=うんべちぎり競争)があることが有名で、校区以外の住民や街なかの大口東小の子どもたちが友情参加したりと、観光イベントもかねた人気・名物行事でした。
山野西小学校閉校後は、跡地には「山野西文化交流館」がおかれましたが、現在は閉業しています。
山野西(やまのにし)小学校の閉校式はいつ?

山野西小閉校式 [伊佐市]
閉校式は、同年3月22日(木曜日)に山野西小学校体育館で挙行され、卒業生や地域のかたがたが大勢集まり、地域の学び舎への思い出が募られました。
閉校式
式典 14時~15時30分
記念碑除幕式 15時30分~15時45分
惜別の会 15時45分~16時45分
山野西小学校は、1906年(明治39年)に「山野村立上場家庭教育所」としてスタートし、1959年(昭和34年)に、大口市立山野小学校の上場分校から「大口市立山野西小学校」へ独立。
閉校式までに、卒業生227人(第44回卒業式をもって)の児童を送り出し「53年」の歴史に幕を閉じました。
2012年(平成24年)4月1日から山野西校区の子どもたちは、「山野(やまの)小学校」へ通っています。
山野西(やまのにし)小学校の校歌

山野西小閉校記念碑 [伊佐市]
あおぐこの庭 この窓辺
耀くひとみ ほほえむ笑顔
みんな希望に はじみつつ
学ぶよ ぼくたち わたしたち
楽しい 山野西小学校
2.ここ北薩の ふるさとに
生きるこの幸 このほこり
明るい未来に もえたつわれら
みんな仲よく 手をくんで
進むよ ぼくたち わたしたち
楽しい 山野西小学校
山野西(やまのにし)小学校 [伊佐市] のデータ
住所・閉校年月日・沿革 | |
名称 | 山野西小学校 |
住所 | 〒895-2634 鹿児島県伊佐市大口小川内573−99 |
閉校年月日 | 2012年(平成24年) |
沿革 | 1906年(明治39年)- 山野村立上場家庭教育所として発足 1916年(大正5年)- 上場家庭学校と改称。木造校舎改築 1937年(昭和12年)- 公立学校(山野尋常高等小学校上場分校)として再発足 1952年(昭和27年)- 現在位置の小川内に校舎移転改築 1956年(昭和31年) – 児童数増加にともない3学級編成となる。運動場拡張工事 1959年(昭和34年) – 大口市立山野西小学校となる 1960年(昭和35年)- 6学級となる 1968年(昭和43年)- 学校給食完全実施 1978年(昭和53年)- プール建設 1980年(昭和55年)- 校舎改築落成式(鉄筋 420 ㎡) 1999年(平成11年)- 大口市小規模校入学特別認可制度の指定 2011年(平成23年)- 最後の運動会開催 2012年(平成24年)- 児童2名の卒業をもって閉校 |
山野西(やまのにし)小学校がある場所

標高500m付近(県境)に見える山野西小跡地への看板【出典:グーグルストリートビュー】
2012年(平成24年)に閉校した『山野西(やまのにし)小学校』は、国道267号線沿いの熊本県水俣市との県境(町境)の峠(標高473m)を、五女木(ごめき)の養鶏場をぬけて、南西へ5㎞入った場所にあります。
山野西小の所在地である「大口小川内」はふるくは、江戸時代より小川内(こがわうち)村と呼ばれていた集落で、地区内に旧道の大口筋=おおくちすじ(江戸時代の薩摩藩の主要道路)が通り、肥後(現:熊本県)と薩摩(現:鹿児島県)の県境にある亀嶺峠=きれいとうげ(標高:579.3m)の手前には「小川内関所」という薩摩三大関所がおかれ、通行手形がないものは通れない重要な番所(ばんしょ=警備や見張りのために設置された番人が詰めるために設けられた施設)として機能していました。
山野西(やまのにし)とは?
山野西(やまのにし)とは、鹿児島県伊佐市の北西部にある地区で、1954年(昭和29年)まで、山野町のなか小字が小川内の上場・吉原・五女木・高原(一部)・小川内と呼ばれる集落の総称です。
その後、大口町と合併し大口市→伊佐市となったため、現在も山野ではなく伊佐市大口小川内という住所になっています。
山野町であったときに、山野の西部ということで名付けられた「山野西」という校区名がそのまま小学校名や、「山野西文化交流館」としてその名残をとどめています。
畜産のまち
元山野西校区は、ファームテック大口・マルイファーム五女木ふ卵場・カミチクファーム伊佐農場・伊佐農場・(株)かいたく大口農場など、現在も地区内には牧場・畜産を主とした産業が多いです。
山野西校区(小川内地区)が標高500mをこえる高原地帯となっているため、冷涼な気候と広大な土地が牛や鶏などの家畜に適していることが、その理由にあげられます。
戦前・戦後の食糧難から、たくさんの開拓団が全国の高原地域に移住しました。鹿児島県の伊佐市内でも針持小校区の田代地区や、旧羽月北小校区がそれにあたり「山野西小」のすぐ近くの町境の出水市立「上場小学校校区」、県境の熊本県水俣市立「旧石坂川小学校」の石飛(いしとび)分校校区も開拓団の方たちのひらいた地区です。
1937年(昭和12年)に山野西小学校が山野小の「上場(うわば)分校」として発足したときも、地理的にはすぐ近くの出水市の「上場地区」とつながっており、この辺りの高原地の開拓団は共通のつながりがあったと考えられます。
山野西小学校のユニークな運動会

山野西小学校区の秋の大運動会(画像出典:MBCあの日のふるさと)
標高500mを越える山野西校区では、牧場・畜産関係の人が多いことからその高原地域をいかしたユニークな運動会がひらかれ、校区内外からたくさんの人がつめかけました。

山野小運動会のうしの乳しぼり(画像出典:MBCあの日のふるさと)
なかでも、「うしの乳しぼり」が名物行事(競技)で、乳牛のかたちをしたパネルの下に牛乳がしぼれる容器があり、競技者はその下に茶碗をおき、乳をしぼって茶碗いっぱいするというユニークなものでした。

山野西小運動会のムベ採り競争(画像出典:MBCあの日のふるさと)
他には、ムベ(アケビ・うんべとも呼ばれる)採り競争も人気のひとつでした。
大きく生ったムベを棒でつついて落として、自分のうしろに背負ったカゴに入れるという、これまたユニークなもので、このような珍しくて楽しい運動会が話題となり、校区以外の場所から観光がてら見に来る人たちも多かったといいます。