桜洲(おうしゅう)小学校 [令和8年閉校] 長崎市立
鹿児島県の廃校・校跡

桜洲(おうしゅう)小学校 [令和8年閉校] 鹿児島市立

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『桜洲(おうしゅう)小学校 』は、鹿児島県鹿児島市の「桜洲小校区(赤生原町・赤水町・小池町・武町・横山町)」の子どもたちが通っている桜島西部にある小学校です。

桜洲(おうしゅう)小学校の閉校式はいつ?

鹿児島市桜洲小学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、閉校記念イベントとして2025年(令和7年)11月8日に、「旧桜洲小学校通学路を歩こう」を実施しました。

およそ5kmの道のりを、生徒あわせて62名が参加し、当時の通学の大変さと自然を満喫しながら「思い出に残る」イベントとなりました。

また、同年11月14日には、65年続いた伝統の「湯之平登山」が最後をむかえました。これまでは小学3年生以上だけ登山する行事でしたが、今回が最後ということで、全学年で湯之平展望所をめざし、急な坂道を乗り越え4.5kmを歩きました。

そして、2026年(令和8年)2月21日(土曜日)9時半からは、桜洲小学校体育館にて「閉校式」がおこなわれます。

鹿児島市桜洲小学校は、1882年(明治15年)に開校し、鹿児島市桜島のなかでは最も児童数が多い学校ですが、桜島地域の5つの小学校と3つの中学校の計8校が統合して、小中一貫校「桜島学校」ができるため、創立143年の歴史をもって閉校となります。

桜洲(おうしゅう)小学校の校歌
桜洲(おうしゅう)小学校の校歌

桜洲小の校章

1.雲にそびゆる 島芙蓉
明日ににおう けだかさを
みよの栄えと あおぎつつ
胸に希望の 火はもえて
結びもかたき 桜洲校

2.かがみのごとき 錦江の
清き静けき 姿もて
ひとたびたてば 天をつく
海の心を 心にて
ちかいも固き 我らなり

桜洲(おうしゅう)小学校 [鹿児島市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 桜洲小学校
住所 〒891-1418 鹿児島県鹿児島市桜島小池町55
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1882年(明治15年) – 桜洲小学校創立
1914年(大正3年) – 大正大噴火により桜洲尋常高等小学校埋没
1915年(大正4年) – 現在地に再建
1939年(昭和14年) – 武(現在の桜島武町)を桜峰小学校区から桜洲小学校区に編入
1941年(昭和16年) – 桜洲国民学校に改称
1947年(昭和22年) – 西桜島村立桜洲小学校に改称
1973年(昭和48年) – 桜島町立桜洲小学校に改称
2004年(平成16年) – 鹿児島市立桜洲小学校に改称
2026年(令和8年)3月31日 – 小中一貫校「桜島学校」新設のため閉校。 [1]

[1] 出典:Wikipedia

鹿児島市立桜洲小学校の校舎

鹿児島市桜洲小学校の校舎

桜洲小学校の校舎は、鉄筋コンクリート2階建ての建物です。

鹿児島市桜洲小学校の校舎

正面玄関には、校訓である「協力・学力・体力・気力」の文字が大きく掲げられています。

鹿児島市桜洲小学校の校舎

桜洲小学校の体育館と、遊具です。

桜洲小学校の校舎

改修前の桜洲小の教室(画像出典:株式会社 環境設計ホームページ)

桜洲小学校の校舎は、2012年(平成24年)に、大規模改修(改造)されました。写真は、改修前の教室の様子です。

桜洲(おうしゅう)小学校がある場所

2026年(令和8年)に閉校する『桜洲(おうしゅう)小学校』は、鹿児島県道26号桜島港黒神線沿いにあり、周辺の地形は「桜島の大正大噴火」の影響で形成された「溶岩」による扇状地となっています。

桜洲小の所在地である「桜島小池町」は、古くは江戸時代より小池(こいけ)村と呼ばれていた集落で、同町には小池展望公園・小鳥神社・桜洲校区コミュニティ協議会などがあります。

1889年(明治22年)小池村は、横山村・赤水村・赤生原村・武村・藤野村・西道村・松浦村・二俣村・白浜村と合併し、「西桜島村」となりました。

1973年(明治48年)の町制施行によって、西桜島村が「桜島町」になりました。

大正大噴火以前は、桜島町横山にあった「桜洲小学校」でしたが、噴火により埋没したため現在地(小池町)に移転しました。

2004年(平成16年)、桜島町は鹿児島市に編入し、現在の桜洲小学校の住所は鹿児島県鹿児島市で大字が桜島、小字が小池町となっています。

旧桜島町・西桜島村地区

桜洲小学校がある校区(赤生原町・赤水町・小池町・武町・横山町)は、古くは「西桜島村」と呼ばれていた地域で、昔から暖かい水はけのよい土地を持つため「桜島小みかん・桜島大根・びわ」等の農産物の栽培が盛んでした。

ただ、昭和30年代頃から、度重なる桜島噴火による降灰で、農作物に被害がでたため専業農家さんは減少しています。

旧桜島町・西桜島村地区の人口は、ピーク時の1947年(昭和22年)で、7,975人でしたが、令和3年には2,755人となり、約35%減少の過疎化傾向にあります。

桜洲小校区の名所・伝統芸能

桜洲小校区の名所・伝統芸能

火の島太鼓(画像出典:Instagram 鹿児島市広報課)

火の島太鼓

桜洲小がある、鹿児島県鹿児島市桜島の校区(赤生原町・赤水町・小池町・武町・横山町)には、力強く火山のような響きをもつ太鼓演奏の「火の島太鼓」という伝統芸能があります。

桜洲小学校の子ども達も、地域ベントや学習発表会で披露するために、「火の島太鼓保存会」から練習時に指導を受けてきました。

桜島は「火の島」とも呼ばれるため、その活気と力強さを「太鼓の音」に表現しています。

小池島廻り踊り

桜洲小の桜島小池町には「小池島廻り踊り(こいけしままわりおどり)」という鹿児島市無形民俗文化財に指定された伝統芸能があります。

「小池島廻り踊り」のはじまりは、1668年(江戸時代・寛文8年)に島津光久が第19代薩摩藩主となったころ、春の彼岸の岳詣りと秋の彼岸の島廻りの豊年まつりの意味をもつ伝統行事からスタートしています。

その後、島廻り(しままわり)は、八丁櫓=はっちょうろ(明治時代まで活躍したオールが8本ある船)に40人前後が乗りこむ、青壮年の腕で優劣を競う競技に発展していきました。

まわりの船には着飾った女性が乗り、踊り・唄・太鼓・三味線で、男たちの奮闘を応援し、花を添えていましたが、1914年(大正3年)の桜島大噴火で瀬戸海峡が埋まったため「島廻り競争」ができなくなり、今では応援していた女性たちの「島廻り踊り」だけが、伝統を受け継ぎながら残っています。

躍り手が浴衣にずきんをし、漕ぎ手がはっぴを着てハチマキをして、手に持った扇や櫓=ろ(オールに漕ぐもの)を使って踊ります。

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