串木野西(くしきのにし) [令和8年閉校] いちき串木野市立
鹿児島県の廃校・校跡

串木野西(くしきのにし) [令和8年閉校] いちき串木野市立

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『串木野西(くしきのにし)中学校 』は、鹿児島県いちき串木野市の春日町・旭町・元町・栄町・京町・汐見町・西塩田町・東塩田町・北浜町・本浜町・港町・西浜町・浦和町・新生町・小瀬町・三井・平江・野元・深田下・西薩町・まぐろ本町と「旭小学校」の通学区域(深田上・野下・金山下・金山・芹ケ野)、「荒川小学校」の通学区域(荒川)の子どもたちが小学校を卒業して進学した中学校です。

串木野西(くしきのにし)中学校の閉校式はいつ?

いちき串木野市串木野西中学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、2026年(令和8年)3月22日(日曜日)に「閉校記念式典」を串木野西中学校体育館にておこないます。

閉校記念式典

閉校式(いちき串木野市主催) 午前9時~9時50分
閉校記念式典(実行委員会主催) 午前10時10分~11時

串木野西中学校は、生徒数約122名の大きな学校ですが「串木野中学校」に統合のため、55年の歴史に幕を閉じます。

2026年(令和8年)4月1日から串木野西中校区の子どもたちは、同年閉校した「生冠中学校」「羽島中学校」の生徒と一緒に「串木野中学校」へ通います。

閉校するいちき串木野市の中学校一覧

⇒ 串木野西中学校
⇒ 羽島中学校
⇒ 生冠中学校

串木野西(くしきのにし)中学校の校歌
串木野西(くしきのにし)中学校の校歌

串木野西中の校章(串・西・中)の3文字がデザインされています。

1.清らかに 大気は澄みて
朝の陽が てり輝けば
淡紅色に 映える学び舎
串木野の 丘を仰いで
若人よ われらは集う

2.熱血の 脚ふみならし
すこやかに 体をきたえ
肩を組み 手をとりあって
ひたすらに われらは学ぶ
みんな皆 西中健児

3.グランドの 白いラインよ
まっ直な 明るい心
眉あげよ ロマンの海は
広々と 世界につづき
意気たかし われら西中

串木野西(くしきのにし)中学校 [いちき串木野市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 串木野西中学校
住所 〒896-0067 鹿児島県いちき串木野市平江20226−1
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 統合以前
荒川中学校
1947年(昭和22年) – 串木野町立第一中学校荒川分校として設置される。
1949年(昭和24年) – 本校の名称が変更されたのに伴い、串木野町立串木野中学校荒川分校に改称。
1950年(昭和25年) – 串木野町が市制施行し串木野市となったのに伴い、串木野市立串木野中学校荒川分校に改称。
1954年(昭和29年) – 串木野中学校から独立し、串木野市立荒川中学校を設置。
1970年(昭和45年) – 旭中学校と統合し、串木野市立串木野西中学校となり廃校となる。
旭中学校
1948年(昭和23年) – 串木野町立第一中学校旭分校として設置される。
1949年(昭和24年) – 本校の名称が変更されたのに伴い、串木野町立串木野中学校旭分校に改称。
1950年(昭和25年) – 串木野町が市制施行し串木野市となったのに伴い、串木野市立串木野中学校旭分校に改称。
1954年(昭和29年) – 串木野中学校から独立し、串木野市立旭中学校を設置。
1970年(昭和45年) – 荒川中学校と統合し、串木野市立串木野西中学校となり廃校となる。
統合後
串木野西中学校
1970年(昭和45年) – 串木野中学校の一部を分離,旭中学校・荒川中学校を統合し串木野西中学校を設置。串木野教場・旭教場・荒川教場として名目統合。
1972年(昭和47年)4月1日 – 串木野教場・旭教場・荒川教場を実質統合。開校式(17学級 生徒数678人)。
1973年(昭和48年) – 第1回卒業式。
1981年(昭和56年) – 創立10周年記念祝賀会・記念事業実施。
1990年(平成2年) – 創立20周年記念式典実施。
1999年(平成11年) – 台風18号通過・カンランの木他10本倒木・テニス部室全壊・体育館南側2階サッシ窓ガラス10枚破損・窓枠変形。
2000年(平成12年) – 創立30周年記念行事実施(ベニカナメ植樹他)。
2004年(平成16年) – 台風18号通過・体育館南側2階サッシ窓ガラス等破損。
2005年(平成17年) – 串木野市が市来町と合併しいちき串木野市となったのに伴い、いちき串木野市立串木野西中学校に改称。
2010年(平成22年) – 創立40周年記念式典実施。
2015年(平成27年) – 台風15号通過・体育館2階南窓・特別棟2階出入口ドアガラス等破損。
2026年(令和8年)3月31日 – 串木野中学校に統合のため閉校。 [1]

[1] 出典:公式ホームページ・Wikipedia

いちき串木野市立串木野西中学校の校舎

いちき串木野市立串木野西中学校の校舎

串木野西中学校の3階建て鉄筋コンクリートの建物は、1970年(昭和45年)開校当時のものです。

いちき串木野市立串木野西中学校の校舎

プールと体育館も、開校当時からあったようです。

いちき串木野市立串木野西中学校の校舎

三階建ての校舎の奥には、別棟で二階建て鉄筋コンクリートの建物があり、体育館との間には中庭もあります。

いちき串木野市立串木野西中学校の校舎

串木野西中の校舎の裏側です。焼却炉が設置されています。

串木野西(くしきのにし)中学校がある場所

串木野西(くしきのにし)中学校がある場所

串木野西中校区(画像出典:学区マップ)

串木野西中学校の場所は、鹿児島県いちき串木野市の平江にあります。

学校は、いちき串木野市のほぼ北西部に位置し、市街地をのぞむ高台からは「東シナ海」がのぞめる閑静な場所にあります。

校区は、いちき串木野市の春日町・旭町・元町・栄町・京町・汐見町・西塩田町・東塩田町・北浜町・本浜町・港町・西浜町・浦和町・新生町・小瀬町・三井・平江・野元・深田下・西薩町・まぐろ本町と「旭小学校」の通学区域(深田上・野下・金山下・金山・芹ケ野)、「荒川小学校」の通学区域(荒川)から構成され、

江戸時代まで、串木野町(西部)・荒川村があった地域に相当します。

もともと串木野中学校(当時:第一中学校)の分校としてスタートした「荒川中学校」と「旭中学校」が1970年(昭和45年)に合併してできたのがこの「串木野西中学校」ですので、

旧串木野町の東部にある上名・大薗・小薗・河内・浅山・麓・袴田・浜ヶ城・薩摩山・日出町・住吉町・高見町・桜町・大原町・昭和通・中尾町・曙町・御倉町・美住町と、照島(てるしま)小学校の通学区域(美住町65番地以降・東島平町・西島平町・長崎町・塩屋町・緑町・海瀬・八房・別府・照島・ひばりが丘・恵比須町)は、串木野中学校(旧名:第一中学校)の校区となっています。

つまり、高度成長期に人口が密集していた串木野市街地を東部と西部に分けて、それぞれ中学校が存在していたことになります。

1889年(明治22年)の町村制施行で、串木野町と荒川村は、下名村・羽島村・冠岳村・上名村と合併して「串木野(くしきの)村」が誕生しました。

1935年(昭和10年)串木野村が町制施行して、「串木野町」になりました。

2005年(平成17年)には、串木野町が隣町の「市来町」と合併して、新設「いちき串木野市」が誕生しました。

現在の串木野西中学校の住所は、鹿児島県いちき串木野市で大字が平江となっています。

串木野の特産品

串木野西中学校の校区には、市内最大の「串木野漁港」があり、遠洋漁業の基点としてマグロの水揚げが多いです。

その「まぐろまち」の復活を願い、有志が「まぐろラーメン共栄会」を立ち上げて、試行錯誤を重ねた結果「まぐろ」でとった出汁(だし)をスープにした「まぐろラーメン」を開発しました。

今では、「串木野まぐろラーメン」として定着し、趣向をこらしたスープとトッピングのラーメンを市内6店舗で提供しています。

また、カレーにポンカンのピューレを使った「いちきポンカレー」も甘酸っぱいポンカンの香りとさわやかな風味が口に広がるカレーとして人気を博しています。

串木野西中校区の名所

串木野西中校区の名所

焼酎甕を見守る、金の観音菩薩像(画像出典:グーグルマップ)

焼酎蔵 薩摩金山蔵

串木野西中学校校区の野下にある「焼酎蔵 薩摩金山蔵(旧名:ゴールドパーク串木野)」は、かつての薩摩藩の栄華をささえた「串木野金山」の坑洞(総延長120km)を活かして「濵田酒造」という酒造メーカーが焼酎・清酒の貯蔵・熟成をおこなっています。

また、施設内では「KINZAN@CAFE」で蔵見学ツアー(試飲付きコース)のテイスティングができ、お買い物処「蔵乃仲見世」では焼酎をはじめとした薩摩にこだわった商品が揃えられています。

「金山資料館」では、一時代を築いた串木野金山の歴史をふりかえれる豊富な資料を、見て触れながら学べます(体験型ミュージアム)。

そして、トロッコに乗ってもぐる地下坑道(要予約)では、金鉱山の説明と焼酎の製造工程も見学できます。

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いちき串木野市とその地域 [鹿児島県]
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