徳光(とっこう)小学校 [令和3年閉校] 指宿市立
鹿児島県の廃校・校跡

徳光(とっこう)小学校 [令和3年閉校] 指宿市立

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『徳光小学校』は、鹿児島県指宿市の山川「徳光小校区(野元・清水・岡児ケ水東・岡児ケ水西・今村・大石・中央・徳光・西道・東道・野道・高尾)」の子どもたちが通っていた小学校です。

徳光小では、「徳光スイカのせり体験」や郷土教育「利右衛門音頭・棒踊り・つげ櫛づくり」などの特色ある教育体験ができました。

徳光は、「とくみつ」と発音せず「とっこう」と読みますが、同じ姓の徳光和夫(とくみつかずお)アナウンサーが司会を務める日本テレビ系『ズームイン!!朝』(1988年・昭和63年1月1日放送)において、この地区の「徳光神社」から正月特番が中継されました。

現在、小学校跡地は、指宿市初のクラフトビールの醸造所「いぶすきブルワリー」として活用されています。

徳光(とっこう)小学校 の閉校式はいつ?
徳光(とっこう)小学校 の閉校式はいつ?

徳光小閉校記念碑

指宿市立徳光小学校は、144年の歴史があり、1960年(昭和35年)には児童数525人を記録しましたが、令和2年には55名となり、2021年(令和3年)3月31日で閉校になりました。

同年2月27日(土曜日)には、さきがけて閉校記念式典がとりおこなわれました。

閉校式

1.開式の辞
2.国歌斉唱
3.市長式辞
4.児童代表のことば
5.校歌斉唱
6.校旗返納
7.学校長あいさつ
8.閉式の辞

記念碑除幕式

1.開式のことば
2.実行委員長あいさつ
3.記念碑除幕(記念撮影)
4.閉式のことば

惜別の会

1.開式のことば
2.実行委員長あいさつ
3.ありがとう徳光小
4.記念品紹介
5.校歌斉唱
6.閉式のことば

2021年(令和3年)4月から、徳光小校区の子どもたちは、同年閉校した大成小・旧山川小・利永小校区の児童と一緒に、新しく再編された新「山川(やまがわ)小学校」へ通っています。

新・山川小学校の校舎は旧大成(たいせい)小学校の建物を改築して利用しています。

徳光小学校の校歌
徳光小学校の校歌

徳光小 の校章

1.開聞岳の 空明けて
みどりの風は 朝をよぶ
明るい窓に きょうもまた
言葉正しく 元気よく
よい子が学ぶ 徳光小学校

2.利右衛門翁の 名を今に
伝えてしのぶ 児が水
平和の里に 肩くんで
みんな仲よく 助け合い
よい子が励む 徳光小学校

3.長崎鼻の 朝な夕
とどろと寄せる 黒潮に
あすへの夢を はぐくんで
のぞみ大きく たくましく
よい子が伸びる 徳光小学校

徳光(とっこう)小学校のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 徳光小学校
住所 〒891-0513 鹿児島県指宿市山川岡児ケ水218
閉校年月日 2021年(令和3年)
沿革 1876年(明治9年)- 創立 児ケ水小学校と称す(西村ニオ小屋)
1886年(明治19年)- 児ケ水簡易小学校と改称
1892年(明治25年)- 徳光尋常小学校と改称
1897年(明治30年)- 旧徳光神社東部に移転新築落成
1921年(大正10年)- 高等科設置・徳光尋常高等小学校と改称
1924年(大正13年)- 現敷地に移転改築落成
1941年(昭和16年)- 徳光国民学校と改称
1947年(昭和22年)- 山川町立徳光小学校と改称・西校舎一棟新築
1950年(昭和25年)- 東校舎補修工事完了
1952年(昭和27年)- 西校舎(5教室・裁縫室)完成
1957年(昭和32年)- 創立80周年記念式典举行・旧德光中学校敷地・校舎讓渡
1962年(昭和37年)- パン工場設置(徳光小・利永小のパン) 製造開始
1963年(昭和38年)- 校歌制定
1964年(昭和39年)- 鉄筋校舎(4教室)新築落成
1965年(昭和40年)- 鉄筋校舎(本校舎) 新築落成・築山・池工事完成
1966年(昭和41年)- 鉄筋校舎(理科室,図書室)新築落成・創立90周年記念式典・記念植樹・プール落成式
1968年(昭和43年)- リングトンネル築造・砂場及び鉄棒改築
1969年(昭和44年)- 給食室新築使用開始
1971年(昭和47年)- パン工場撤去・県学校給食優良賞
1976年(昭和51年)- 創立100周年記念式典・屋内運動場落成式,機関車動輪設置
1977年(昭和52年)- プール更衣室兼柔道場落成
1979年(昭和54年)- タイヤ塔、モンキーブランコ設置
1982年(昭和57年)- 小山設置(山坂達者)・砂場移転
1985年(昭和60年)- 2階ベランダ・水洗トイレ・体育倉庫・ジャングルジム完成
1988年(昭和63年)- ツマベニチョウ飼育ビニールハウス設置
2006年(平成18年)- 指宿市立德光小学校に改称(1月1日3市町合併)
2021年(令和3年)2月27日 – 閉校記念式典。3月 – 山川地域小学校学校再編により閉校

指宿市立徳光小学校の校舎

指宿市立徳光小学校の校舎

徳光小学校の校舎は、1965年(昭和40年)に建てられた鉄筋コンクリート造の2階建てです。

指宿市立徳光小学校の校舎

体育館は、創立100周年の1976年(昭和51年)に完成しました。

徳光(とっこう)小学校 がある場所

徳光(とっこう)小学校 がある場所

徳光小の校区(画像出典:指宿市移住ガイドブック)

徳光小学校の校区は、鹿児島県指宿市の山川町岡児ケ水・浜児ケ水地区(野元・清水・岡児ケ水東・岡児ケ水西・今村・大石・中央・徳光・西道・東道・野道・高尾)から構成されます。

薩摩半島の最南端・指宿市の南西部に位置し、校区には鹿児島県道242号線が縦断しており、その県道の南側から錦江湾(鹿児島湾)までに集落が集まっており、岡児ケ水地区には徳光公民館・慈光保育園・JA(農協)・西勝寺・徳光郵便局・徳光神社などの施設があります。

浜児ケ水地区には、区営温泉「浜の湯」があります。

岡児ケ水は、一般には「おかちょがみず」と呼ばれていて、郵便番号などの正式名称では「オカチヨガミズ」とヨが大きく表示、行政上は「おかちごがみず」とされています。

浜児ケ水は、一般には「はまちょがみず」と呼ばれていて、郵便番号などの正式名称では「ハマチヨガミズ」とヨが大きく表示、行政上は「はまちごがみず」とされています。

岡児ケ水(おかちょがみず)・浜児ケ水(はまちょがみず)という地名は、全国的にもとてもめずらしく、民俗学者「柳田国男(やなぎたくにお)」の著書「地名の研究(1936年・昭和11年発行)」の中でもとりあげられています。

もともと児水(ちごのみず)と書き、児(ちご=赤ん坊・幼児)の水が由来で、同区には「児ケ水漁港(ちょがぎょこう)」という名前の小さな港もあります。

ひとつの村を2つにする場合に、南北、東西、上下などで分けるのが一般的ですが、この地区では岡(おか)のほうと、浜(はま)のほう2つに分けたようで、徳光小学校がある場所は岡児ケ水(おかちょがみず)。

すぐ東側の地区が、「浜児ケ水(はまちょがみず)」です(現在:鹿児島県指宿市山川浜児ケ水)。

徳光小校区の歴史・徳光の地名の由来

徳光小学校がある地区は、江戸時代初期には「岡児ケ水(おかちょみず)村」と呼ばれ、頴娃(えい)郷の中にあり、薩摩鹿児島藩領下でした。

校区の、「浜児ケ水(はまちょがみず)」は指宿(いぶすき)郷のなかにあり、のちに山川(やまがわ)郷に編入された「成川・鳴川(なりかわ)村」の一部でした。

1650年(江戸時代・慶安3年)、岡児ケ水村も頴娃郷から「山川(やまがわ)郷」に編入されます。

1664年(江戸時代・寛文4年)に、郡村高辻帳から「岡児ケ水村」の村名が一時的に消え、大山村の一部(大山村岡児ケ水)とされた時代もあったようです。

1705年(江戸時代・宝永2年)、岡児ケ水に英雄が現れます。その人は「前田利右衛門(まえだりえもん)」という名前の商人で、琉球(現・沖縄県)からサツマイの種を初めて持ち込んだとされています。

琉球の荒れ地でも育っているサツマイモを見て、種を持ち帰り人々に栽培方法を普及したことによって、江戸時代の飢饉=ききん(何らかの要因によりその集落に住む住人が飢餓状態に陥ること)のときに、この地域の人たちは餓死せずにすみました。

前田利右衛門は、琉球に渡る際に遭難死しましたが、岡児ケ水村の村人がその貢献をたたえて、資金をだしあって供養堂を建てました。

これが、徳光(とっこう)神社の起源であり、この地区が岡児ケ水でありながら、別称「徳光」と呼ばれている由来です。

現在、岡児ケ水で、徳光と名前が残っているものは「徳光小学校」「徳光郵便局」「徳光温泉」「岡児ケ水区徳光公民館」などです。

1889年(明治22年)の町村制施行の際に、岡児ケ水村は、揖宿郡の大山村・成川村・福元村と合併し、山川(やまがわ)村が誕生しました。

1930年(昭和5年)、山川村は町村施行をして「山川町」になります。

1955年(昭和30年)、山川町は「利永(としなが)村」の大部分を編入します。

2006年(平成18年)、山川町はほかの旧指宿市・開聞町と合併し、新設「指宿市」が発足します。

現在、徳光小のあった住所は、鹿児島県指宿市山川の岡児ケ水となっています。

徳光小校区の伝統文化

徳光小校区の伝統文化

浜児ヶ水棒踊り(画像出典:鹿児島県ホームページ)

徳光小学校では、利右衛門音頭を「徳光神社夏祭り」などで披露していました。

また、「浜児ヶ水棒踊り(はまちょがみずぼうおどり)」は、1942年(昭和17年)に山川青年学校(現:山川高等学校)の創立4周年記念体育祭で、各地区の青年団が出場する際に浜児ヶ水区に棒踊りがなかったため、同山川の福元地区に習ってはじまったとされています。

その後、子ども会の一環として、徳光小学校の3年生から6年生までが「浜児ヶ水棒踊り」の保存・継承活動に取り組み、学校運動会などで披露していました。

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指宿市とその地域 [鹿児島県]
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