三体(さんたい)小学校 [令和7年閉校] 霧島市立
鹿児島県の廃校・校跡

三体(さんたい)小学校 [令和7年休校] 霧島市立

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『三体小学校』は、鹿児島県霧島市の牧園町の「三体地区」の子どもたちが通っていた小学校です。

三体小は、戦後まもない、1954年(昭和29年)に学校児童みんなでドングリを拾って、山間の地でくぬぎ苗5万本を3年がかりで育てて、その収益金・助成金を元にピアノを購入した物語「どんぐりピアノ」の舞台となった小学校です。

⇒  公式ホームページ

三体(さんたい)小学校 の休校式はいつ?

142年の歴史がある「霧島市立三体小学校」は、令和6年度の全校児童数が5人でしたが、2021年(令和3年)度に新入生がいないことと、3名が転校することが決定したため「休校」が決定し

同年3月25日(火曜日)に、休校式がとりおこなわれました。

霧島市は、今後3年を目途に三体小を「閉校」するかどうかを検討することになっています。

三体小学校の校歌
1.霧島山がくっきりと
双葉も両手をあげる朝
希望ふくらむ胸はって
みんな楽しく歌います
三体小学校

三体(さんたい)小学校 [霧島市] のデータ

住所・休校年月日・沿革
名称 三体小学校
住所 〒899-6502 鹿児島県霧島市牧園町三体堂1573
休校年月日 2021年(令和3年)
沿革 1883年(明治16年)- 田方小学校として創立
1899年(明治32年)- 中野地区に新設校舎を建築し移転する。
1901年(明治34年)- 牧園尋常高等小学校の中野分教場(分校)となる。
1913年(大正2年)- 三体尋常小学校と独立する。
1941年(昭和16年)- 三体国民学校と改称する。
1947年(昭和22年)- 牧園町立三体小学校と改称する。
1977年(昭和52年)- 運動場ナイター設備を設置する。
1983年(昭和58年)- 給食センターによる給食を開始する。
2005年(平成17年)- 国分市と姶良郡6町が合併、新設「霧島市」が誕生し「霧島市立」三体小学校に改称。
2021年(令和3年)3月 – 休校。

霧島市立三体小学校の校舎

霧島市立三体小学校の校舎

三体小学校の校舎は、2階建て鉄筋コンクリート造で、正門横に体育館が建っています。

霧島市立三体小学校の校舎

正門を入ってすぐ、左側には閉園した「三体幼稚園」の園舎がありました。

霧島市立三体小学校の校舎

学校内の真ん中に中庭があり、そこに動物の乗り物オブジェがいくつか置かれていました。

霧島市立三体小学校の校舎

校舎の非常階段からながめた、併設されている「三体幼稚園」の園舎とそれに続く屋根付きの連絡通路です。

右には、園児が遊ぶ遊具が置かれていました。

霧島市立三体小学校の校舎

運動場側から見た「三体小学校」の校舎です。

1968年(昭和43年)まで、この地に「三体中学校」がありましたので、校舎を再利用している可能性がありますね。

霧島市立三体小学校の校舎

校舎の廊下です。ドアも窓枠も教室側は木製なので、昭和30年代から40年代初期に建設されたものと思われます。

霧島市立三体小学校の校舎

なぜか、運動場側から校舎に入るまえに校門が再びありました。つまりは、敷地内で三体小学校と三体中学校が区分されていたことを意味しますね。

霧島市立三体小学校の校舎

中庭には、三体中学校の閉校記念碑も建立されていました。

霧島市立三体小学校の校舎

中庭から眺めた「三体小学校」の校舎です。左の棟はあとから増築したような感じですね。

三体(さんたい)小学校 がある場所

三体(さんたい)小学校 がある場所

三体小の校区(画像出典:学区マップ)

三体小学校がある場所は、鹿児島県霧島市の牧園町「三体(さんたい)地区」で、校舎は標高321.28mの高地に建っています。

三体地区は、牧園町の北東部に位置し、韓国岳(標高1700m)や新燃岳(標高1421m)などの霧島連山を近くにのぞむ、雄大な自然の中にあります。

標高が高い位置(高原)にあり、年間平均気温は15.5℃で、夏季はすずしく冬季は厳しい寒さにあります。

三体小校区の東端に石坂川、西端を三体川が流れていて、水量も豊富で春から夏にかけて、赤・白・黄色の花々が川辺に咲き誇り、秋にはすばらしい紅葉が見られます。

石坂川と三体川沿いは稲作が盛んで、その周辺では高原気候をいかして、お茶づくりや椎茸栽培、畑作に力を入れています。

学校の敷地内には、「三体幼稚園」も併設されていましたが、2021年(令和3年)4月に閉園となりました。

小学校のとなりには「三体地区公民館」があり、地域の教育・文化活動の拠点になっていて、三体合同運動会や夏まつりには校区民がここに集いました。

三体小校区の歴史

三体小学校がある地区は、中世時代より「三台堂・三代堂(さんたいどう)」と表記されていた場所で、すでに1162年(平安時代末期・応保2年)には台明寺文書に「三躰堂」が桑東(くわのとう)郷の田畠の四至=しし(耕作地・所領)として、地名が登場します。

江戸時代には「三体堂(さんたいどう)村」と呼ばれ、踊(おどり)郷のなかにあり、薩摩鹿児島藩の領下でした。

1889年(明治22年)の町村制施行によって、三体堂村は、ほかの宿窪田村・万膳村・中津川村・上中津川村・持松村と合併し、牧園(まきぞの)村が誕生します。

1940年(昭和15年)、牧園町村は町村施行をして「牧園町」になります。

2005年(平成17年)、牧園町は溝辺町・横川町・霧島町・隼人町・福山町・国分市が合併し、霧島(きりしま)市が誕生します。

現在、三体小のある住所は、鹿児島県霧島市牧園町の三体堂(さんたいどう)となっています。

三体小校区の伝統文化

三体小校区の伝統文化

三体棒踊り(画像出典:鹿児島県ホームページ)

三体棒踊り

「三体棒踊り(さんたいぼうおどり)」は、約140年前の西南の役の田原坂の戦いに敗れた「薩摩の兵」を弔うためにはじめられたといわれている踊りです。

昭和25年まで、毎年「地域行事」で披露されていましたが、昭和51年にいったん途絶え、昭和61年に敬老会と運動会で一時復活し、平成4年から現在までは再び活動が続けられるようになりました。

浴衣とはちまきを身に着け、5尺の棒と小太刀をもち、左右前後の者同士が入れ替わりながら、歌に合わせて掛け声をだし、棒を打ち合います。

平成10年には、三体棒踊り保存会が発足し、三体小校区の小学生を指導し、文化を伝承しています。

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霧島市とその地域 [鹿児島県]
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