大軣(だいごう)小学校跡 [薩摩川内市]
大軣(だいごう)小学校は、鹿児島県薩摩川内市の祁答院町大軣地区にある小学校です。
大軣小学校の閉校はいつ?
薩摩川内市立大軣小学校の閉校は、令和6年3月でした。
2024年(令和6年)3月をもって閉校し、上手小学校・黒木小学校・藺牟田小学校と統合され新しく「祁答院小学校」としてスタートします。
大軣小学校の閉校式典はいつ?
大軣小学校の閉校式典は、2024年(令和6年)3月23日の土曜日、大軣小学校の体育館・正門付近で午前11時から行われました。
大軣小学校の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 大軣小学校 |
住所 | 〒895-1501 鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手974 |
閉校年月日 | 2024年(令和6年) |
沿革 | 轟(とどろ)小学校 1879年(明治12年)龍石小學校として創設 1886年(明治19年)龍石簡易小學校と改称 1892年(明治25年)轟尋常小學校と改称 1917年(大正6年)轟実業補習学校を併設 1920年(大正9年)尋常科6年制へ移行 1941年(昭和16年)轟國民學校と改称 1947年(昭和22年)轟小学校と改称大村(おおむら)小学校 1867年(慶応3年)第117郷校創設 1876年(明治9年)大村小學校と改称 1891年(明治24年)大村尋常小學校と改称 1901年(明治34年)大村尋常高等小學校と改称 1917年(大正6年)大村実業補習學校併設 1941年(昭和16年)大村國民學校と改称 1947年(昭和22年)大村小学校と改称 大軣(だいごう)小学校 |
大軣小学校の動画
大軣小学校の校歌
1.緑色濃き 城山のもと 映えて立つ
いま 清新の 学びやに
学ぶよい子に 幸あれと
願いをこめて 生まれたる
われらの われらの 大軣小学校
2.ふるさとの 瀬平の流れ 水清く
心豊かに 健やかに
真理の道を 求めつつ
楽し うれし 集いこそ
伸びゆく 伸びゆく 大軣小学校
3.はてしなく 大きくなれよ どこまでも
轟きわたれ 高らかに
やがて 栄えある 百年の
歴史築かん ともどもに
幸あれ 幸あれ 大軣小学校
大軣小学校の校舎
鹿児島県薩摩川内市にある「大軣小学校」の校舎は、2005年(平成17年)から2年にわたり大規模改修工事がされた鉄筋コンクリート二階建ての建物です。
大軣(だいごう)小学校とは
大軣小学校は、祁答院町大村下手の大村地区(川東・城北・川西・大村町・馬頃尾)と轟地区(下手中・菊池田)の小学生が通った小学校です。
もともと、大村地区の大村小学校と、轟地区の轟小学校が存在していましたが、1977年(昭和52年)に2つの学校は新設合併して、大軣(だいごう)小学校となりました。
大軣(だいごう)小学校の校舎の場所は、もともと大村の地頭仮屋敷が置かれていた場所です。
裏山には、当時の支配者が「大村城」というお城を築いた跡が残っています。
平成の時代の大軣小学校校区の戸数は、約472戸で、そのうち有児家庭数は40戸、兼業農家が多く近年共働きも増えてきていると、書かれていました。
大軣(だいごう)小学校の校章
大軣小学校の校章は、1976年(昭和51年)に公募の中から選ばれたデザインに、当時の先生が加筆修正して、できたものです。
描かれているペンは、勤労・向上心をモチーフにし、稲穂のデザインは米の生産をしている農耕民族の象徴をあらわしています。
大軣小学校がある大村地区とは?
大軣小学校がある、下手は祁答院町の大村(おおむら)地区の中にあります。
明治初期まで大村は、下手村(しもでむら)と上手村(かみでむら)として別々の自治体として、大村郷に属していました。
下手(しもで)地区は、薩摩川内市の東にあって、北部は田原(さつま町)、東部にかけては下手地区、黒木地区(薩摩川内市)、南部は大村地区(薩摩川内市)、西は久富木・宮之城(さつま町)に面しています。
大村大軣地区の風景
大軣小学校がある「大村地区」は、祁答院町の中心地です。
大村には、もともと大村城(おおむらじょう)という大事なお城が建てられいて、祁答院氏・島津氏の支配者が住んでいました。
大村城跡の場所は、新しい祁答院小学校の裏山です。
大村郷という古い呼び名では、黒木地区をはさんで、中津川地区の南方村・北方村も大村の一部になっていましたが、その後独立して中津川村となり、今はさつま町の中にあります。
大村とは大きな郷(村の集まり)ということで、北方・南方・大軣・下手という4つの村の集まりだったということです。
大軣小学校がある下手地区は、すでに江戸時代より上手と合わせて「大村」という記帳がされていたりと、大村の一部として2つの地区は協力し合っていたようです。
大軣小学校がある下手地区には、祁答院中学校・祁答院郵便局・薩摩川内市役所祁答院支所・体育館・生涯学習センター・保健センターがあります。
大軣(だいごう)の子どもたちと伝統文化
大軣小学校の子どもたちが住んでいる大村の下手地区には、馬頃尾(まころべ)の太鼓踊りと、轟の種子島踊りが有名です。
種子島踊り
1903年(明治36年)に、大村に伝承したといわれる、鹿児島県の南の島「種子島」の芸能です。
轟地区の菊池田の婦人によって、伝承されています。
太鼓踊り
一種の念仏踊りである「太鼓踊り」は、鉦(かね)と太鼓を打ち鳴らして、からだを激しく跳躍させます。
1465年(室町時代・寛正5年)ごろからはじまった、この太鼓踊りは、下手の菊池田・馬比尾・上手のそれぞれの神社の例祭で踊られています。
太鼓踊りの全体の流れは、戦いかの出陣から戦闘、凱旋にいたるまでの様子を表現しています。