東桜島(ひがしさくらじま)小学校 [令和8年閉校] 鹿児島市立
鹿児島県の廃校・校跡

東桜島(ひがしさくらじま)小学校 [令和8年閉校] 鹿児島市立

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『東桜島(ひがしさくらじま)小学校 』は、鹿児島県鹿児島市の「東桜島小校区(野尻町・持木町・東桜島町・古里町・有村町)」の子どもたちが通っている創立146周年の歴史ある小学校です。

桜島の南側に位置し、学校から間近に火山活動を続ける桜島を見ることができ、東桜島小の校庭には大正大噴火を記した「桜島爆発記念碑」が建立されていて、年間を通して観光客の観光が多いです。

また、東桜島小学校の特色のある学習体験は、特産物である「桜島大根」の栽培と競り市への出荷・眼下の錦江湾での「望岳遠泳」・火の島太鼓・島廻り節などがあります。

令和7年度の全校児童数は、21名です。

東桜島(ひがしさくらじま)小学校の閉校式はいつ?

鹿児島市東桜島小学校は、2026年(令和8年)3月31日で閉校になります。

さきがけて、閉校記念事業として東桜島小の5年生・6年生が2025年(令和7年)11月20日に湯之平展望台所をゴールにした桜島登山にチャレンジしました。

また、3年生と4年生は、桜島一周見学を最後に展望所に立ち寄って、5年生・6年生と合流して「桜島」をバックに全員で記念撮影をしました。

桜島小学校の閉校式は、2026年(令和8年)3月24日(火曜日)に、卒業式と同時に開催します。

2026年(令和8年)4月から東桜島小校区の子どもたちは、同時閉校した桜島地域の他の3つの小学校(桜洲小・黒神小・桜峰小)の児童とともに、新設の小中一貫校「桜島学校」へ通います。

東桜島(ひがしさくらじま)小学校の校歌
1.あけゆく朝の 日にはえて
あおげば高い 南だけ
学びのまどに 今日もまた
ひとみ明るく 元気よく
学ぶ ぼくらだ わたしらだ

2.つぶらなびわの 実のかげに
かがやくみかんの 木のかげに
ふくつののち うけついで
みんな 仲よく 助け合い
はげむ ぼくらだ わたしらだ

3,きんこうわんの 空はるか
かいもんだけの さすところ
つばさも強く はばたいて
のぞみ大きく たくましく
生きる ぼくらだ わたしらだ

東桜島(ひがしさくらじま)小学校 [鹿児島市] のデータ

住所・閉校年月日・沿革
名称 東桜島小学校
住所 〒891-1543 鹿児島県鹿児島市東桜島町17
閉校年月日 2026年(令和8年)
沿革 1879年(明治12年) – 啓蒙小学校創立
1889年(明治22年) – 中央尋常小学校(所在地:東桜島村大字野尻)創立
1892年(明治25年) – 芝立尋常小学校(所在地:東桜島村大字湯之)創立
1915年(大正4年) – 桜島の大正大噴火によって流出した溶岩によって通学が困難となった西桜島村の桜洲小学校(現在の鹿児島市立桜洲小学校)の赤水集落(現在の桜島赤水町)の児童を一時的に受け入れ[3]。
1919年(大正8年) – 芝立尋常高小学校に高等科併置。東桜島尋常高等小学校と改称。
1921年(大正10年) – 中央尋常小学校と東桜島尋常高等小学校が合併し、現在地へ移転。
1941年(昭和16年) – 国民学校令により東桜島国民学校と改称
1947年(昭和22年) – 東桜島村立東桜島小学校と改称
1950年(昭和25年) – 東桜島村が鹿児島市に編入されたのに伴い、鹿児島市立東桜島小学校と改称。
1960年(昭和35年) – 全校児童数442名でピークに。2026年(令和8年)3月31日 – 小中一貫校「桜島学校」新設のため閉校。 [1]

[1] 出典:Wikipedia

鹿児島市立東桜島小学校の校舎

鹿児島市立東桜島小学校の校舎

東桜島小学校の校舎は、ツバキの花の生け垣がある坂を降りたところにある3階建てのかわいらしい鉄筋コンクリートの建物です。

鹿児島市立東桜島小学校の校舎

校舎側から見た運動場の風景です。

鹿児島市立東桜島小学校の校舎

東桜島小から、すぐ目の前に「桜島」の火口が見えます。

鹿児島市立東桜島小学校の校舎

校舎の裏側からは、錦江湾がのぞめる自然豊かなところです。

東桜島(ひがしさくらじま)小学校がある場所

東桜島小学校の場所は、鹿児島県鹿児島市の桜島の東桜島町にあります。

江戸時代まで、東桜島小学校校区の集落はそれぞれ「有村・脇村・瀬戸村・古里村・湯之村(現:東桜島町)・野尻村」と呼ばれていました。

1889年(明治22年)の町村制施行で、東桜島小校区の「有村・脇村・瀬戸村・古里村・湯之村・野尻村」と黒神小校区の「黒神村・高免村」が合併し、新設「東桜島村」が誕生しました。

1914年(大正3年)1月12日に桜島が大爆発(大正大噴火)し、同年5月には有村海岸が溶岩に埋まり、有村にあった東桜島村役場も移転となりました。

当時の東桜島村の人口は8000人ほどでしたが、約3325名が噴火によって移住することとなり、大正大噴火の教訓を後世に伝えるために東桜島小学校敷地内には「桜島爆発記念碑」が建立されています。

1946年(昭和21年)3月10日、桜島は再び大噴火(昭和噴火)をおこし、溶岩が黒神小校区の黒神集落を埋め尽くして4月には海岸まで到達しました。

その溶岩が分流して、東桜島小校区の有村海岸まで到達し、この際「有村」の集落は半滅の被害を受けました。

1950年(昭和25年)、東桜島村は鹿児島市に編入され、現在の東桜島小学校の住所は、鹿児島県鹿児島市で大字が東桜島町となっています。

1997年(平成9年)、東桜島小学校校区の古里町にある「改新小学校」が休校・2014年(平成26年)に閉校となったため、改新小校区の子どもたちはこの「東桜島小学校」に通っています。

東桜島町の特産品

東桜島町の名産は、桜島で有名な世界最小の柑橘「桜島小みかん」、「桜島大根」、そして火山灰地で育てられた「椿(つばき)油」とそれを活かした「椿チャンポン」などが有名です。

東桜島小校区の名所

東桜島小校区の名所

桜島爆発記念碑(画像出典:グーグルマップ)

櫻島爆發記念碑

桜島爆発記念碑(さくらじまばくはつきねんひ)は、桜島小学校の校地(敷地)内にあります。

石碑には、「住民は理屈や理論に頼らず、異変を感じたらすぐに避難の準備をすることが最も重要だ」と、100年前におこった桜島の大正大噴火の教訓が格言として刻まれています。

別名「科学不信の碑」とも呼ばれていて、1914年(大正3年)の大噴火の際に、噴火の前兆を軽視したため、避難が遅れたことへの無念さがここに伝わります。

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