上手(かみで)小学校跡 [薩摩川内市]
上手(かみで)小学校は、鹿児島県薩摩川内市の祁答院町上手地区にある小学校です。
上手小学校は、1958年(昭和33年)全生徒数412人を最高に、児童数がじょじょに減少し、令和5年度は全校児童数が37名となりました。
他の祁答院町内の3つの小学校も児童数の減少が著しいため、祁答院町内の4つの小学校(黒木小学校・上手小学校・藺牟田小学校・大軣小学校)を2024年(令和6年)4月に統合し、「祁答院小学校」としてスタートすることになりました。
上手小学校の閉校はいつ?
薩摩川内市立上手小学校の閉校は、令和6年3月でした。
2024年(令和6年)3月をもって閉校し、大軣小学校・黒木小学校・藺牟田小学校と統合され新しく「祁答院小学校」としてスタートします。
上手小学校の閉校式典はいつ?
上手小学校の閉校式典は、2024年(令和6年)3月20日の水曜・祝日、午前11時から行われました。
場所は、閉校式は上手小学校の体育館で、記念碑除幕式は正門付近で執り行われその後、郷土芸能の「太鼓踊り」が春の嵐(強風)のなか勇ましく、踊られました。
上手小学校の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 上手小学校 |
住所 | 〒895-1503 鹿児島県薩摩川内市祁答院町上手578 |
閉校年月日 | 2024年(令和6年) |
沿革 | 1868年(明治元年)大明神=豊日孁神社東隅に学校を建て文武の道を学ぶ 1876年(明治9年)新学制により上手小学と称し、下等小学を置く 1878年(明治11年)校舎を大明神西部に建築。初等科・高等科を置く 1886年(明治19年)上手尋常小学校と改称 1887年(明治20年)上手簡易科小学校と改称 1893年(明治26年)新たに女子のための裁縫科を加設 1908年(明治41年)義務教育が六か年に延長され新たに図工科加設 1911年(明治44年)現在位置に校舎建築・学校移転 1924年(大正13年)三教室増築 1931年(昭和6年)運動場拡張竣工 1935年(昭和10年)校歌・校旗制定 1941年(昭和16年)上手国民学校と改称する 1947年(昭和22年)新学制により上手小学校と改称 1948年(昭和23年)学校給食を開設(ミルク・おかず) 1949年(昭和24年)創立70周年記念式挙行 1950年(昭和25年)運動場拡張 1952年(昭和27年)三教室増築 1954年(昭和29年)講堂建築 1959年(昭和34年)創立80周年記念式挙行・給食室新築 1966年(昭和41年)新校舎改築 1967年(昭和42年)プール新設 1969年(昭和44年)創立90周年式 1974年(昭和49年)音楽室・図書室整備 1975年(昭和50年)飼育舎・岩石園建設 1978年(昭和53年)創立100周年記念事業実施 1981年(昭和56年)屋内運動場落成 1981年(昭和57年)特別教室(5教室)落成・祝賀式挙行 1992年(平成4年)校舎大規模改修 1998年(平成10年)創立120周年記念式挙行 2004年(平成16年)薩摩川内市立上手小学校となる 2006年(平成18年)自校式学校給食終了 2018年(平成30年)創立140周年記念式挙行 2019年(令和元年)各教室クーラー設置 2020年(令和2年)校内Wi-Fi環境整備 一人一台タブレット配備・充電保管庫設置 2022年(令和4年)令和6年3月末児童数減少に伴い上手小学校閉校決定 2024年(令和6年)上手小閉校 |
上手小学校の動画
上手小学校の校歌
1.緑色こき 山合に
水白線を ひくところ
豊けき土の 恵うけ
わが学び舎は そびえたり
光うるわし 上手校
2.新しき世に 生れいで
自由の天地 開けたり
四海の友と手をとりて
強く正しく 堂々と
力と意気を しめさなむ
3.高きほこりに 輝ける
永き歴史を うけつぎて
わが学び舎に 集う子の
盛り上りくる 力もて
新しき道 開かなむ
上手小学校の校舎
鹿児島県薩摩川内市にある「上手小学校」の校舎は、1966年(昭和41年)に作られた鉄筋コンクリート二階建ての建物で、1992年(平成4年)に大規模改修がされました。
上手(かみで)小学校とは
上手小学校は、祁答院町大村地区の上手(上方限・中福良・上手中央・滝聞・中武)の小学生が通った小学校です。
上手(かみで)小学校の校章
上手小学校がある大村地区とは?
上手小学校がある、上手は大村(おおむら)地区の中にあります。
明治初期まで大村は、上手村(かみでむら)と下手村(しもでむら)として別々の自治体として、大村郷に属していました。
上手は、薩摩川内市の東にあって、東部は祁答院黒木、蒲生町漆(姶良市)、南部は蒲生町西浦(姶良市)、西部は祁答院藺牟田、西部から北部にかえては同じ大村の下手地区に隣接しています。
大村上手地区の風景
上手小学校がある「大村地区」は、祁答院町の中心地です。
大村には、もともと大村城(おおむらじょう)という大事なお城が建てられいて、祁答院氏・島津氏の支配者が住んでいました。
大村城跡の場所は、新しい祁答院小学校の裏山です。
大村郷という古い呼び名では、黒木地区をはさんで、中津川地区の南方村・北方村も大村の一部になっていましたが、その後独立して中津川村となり、今はさつま町の中にあります。
大村とは大きな郷(村の集まり)ということで、北方・南方・上手・下手という4つの村の集まりだったということです。
上手小学校がある上手地区は、すでに江戸時代より下手と合わせて「大村」という記帳がされていたりと、大村の一部として2つの地区は協力し合っていたようです。
上手地区には、岩屋観音磨崖仏や、西南戦争供養塔などの史跡があります。
上手(かみで)の子どもたちと伝統文化
上手小学校の子どもたちが住んでいた大村の上手地区には、伝統芸能として「俵踊り」があります。
上手の楠原地区が中心となって、踊り継がれている伝統文化「上手の俵踊り」ですが、どういった踊りなのでしょうか?
上手の俵祭りとは?
昔は、神社やお寺の落成式・祭典で「相撲」を奉納するといった文化があったそうです。
その催しにおいて、寄進(金品や土地などを寄付すること)された米俵を、土俵に積み上げて観客に見せた様子を、踊りにしたものです。
1996年(平成8年)祁答院町ふるさと祭りで、楠原小組合が「俵踊り」を披露することになり、上手の同地区の小中学生25人が練習をはじめ、その後楠原で踊り継がれてきました。
2005年(平成17年)に、上手俵踊り保存会が発足し、上手小学校区員を対象に団員をつのって、練習・発表をするようになりました。
学校の教育課程外の活動となるため、楠原地区の婦人会が指導者となり、上手地区コミュニティセンターで練習を重ね、毎年10月8日ごろに豊日孁神社に奉納されています。