鶴田(つるだ)中学校跡 [さつま町]
鶴田(つるだ)中学校は、鹿児島県西北部に位置した旧鶴田町全体を校区とした中学校です。2019年(平成31年)をもって、閉校となり跡地には、新しい鶴田小学校の校舎が建設されました。
鶴田中学校の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 鶴田中学校 |
住所 | 〒895-2102 鹿児島県薩摩郡さつま町神子662番地 |
閉校年月日 | 2019年(平成31年) |
沿革 | 1947年(昭和22年)新学制により鶴田村立鶴田中学校開校 1948年(昭和23年)増築校舎落成し移転 1950年(昭和25年)鶴田村立宮之城組合立鶴宮中学校新設のため紫尾分校は鶴宮中分教場となる 1951年(昭和26年)ルース台風による校舎・住宅大修理 1968年(昭和43年)屋内体育館落成 1970年(昭和45年)宮之城町鶴田町学校組合立鶴宮中学校廃校により紫尾地区生徒収容する 1977年(昭和52年)新校舎竣工 新校舎へ移転 1989年(平成元年)特別教室落成 1997年(平成9年)3月 – 薩摩北西部地震により校舎・体育館・プール等に被害を受ける 5月 – 創立50周年記念式典挙行。地震により体育館等再度の被害を受ける 2005年(平成17年)さつま町立鶴田中学校 3町合併による新町誕生 2019年(平成31年)さつま町の4中学校である鶴田・宮之城・薩摩・山崎の各中学校再編のため閉校 |
鶴田中学校のなつかしの動画
鶴田中学校の校歌
1.朝日照る 紫尾の山脈
ゆるがぬ啓示 仰ぎつつ
御代新しく 創るべき
使命を受けて われら起つ
ああ 鶴田中学 力あれ
2.緑映ゆ 川内の流れ
祁答院うるおす心もて
信義友愛 ささげ合い
五百の生命 魂よせて
ああ 鶴田中学 栄あれ
3.限りなき 希望はるかに
三年の 学び道きわめ
若鶴の旗 かざしつつ
建設の途 われら進む
ああ 鶴田中学 光あれ
鶴田(つるだ)中学校
鶴田中学校は、もともと自治体であった鶴田村(のちに鶴田町)にあった中学校で、鶴田・神子・柏原・紫尾の4つの校区の小学生が、鶴田中学校へ入学しました。
鶴田中学校は、鶴田地区の中心部、元鶴田町役場(現・さつま町役場鶴田支所)の隣にあり、近くには鶴田中公民館と体育館、武道館と教育に恵まれた環境にありました。
鶴田中学校の場所は校区の柏原小学校・流水小学校・鶴田小学校から2㎞圏内にありましたが、紫尾小学校から鶴田中学校までは4km以上ありましたので通学は大変だったと思われます。(スクールバスが出ていたでしょう)
鶴田中学校があった地区は、現在は鹿児島県薩摩郡さつま町に属しておりますが、昔は鶴田村・鶴田町として独自のコミュニティを持っていました。
過去には、国鉄の宮之城線「薩摩鶴田駅」もあり、高度成長期時代には地元の人たちを旅客面で支えてきました。薩摩鶴田駅は鶴田中学校がある町の中心部より、南側、約1kmほどの場所にあったので歩くと少し遠いですが、昔のかたは足が丈夫で何キロも歩いて通っていたと聞きますので、駅から近いほうだったかもしれません。
鶴田地区の北側には、蛍が見れる鶴田ダムを擁し、その水が川内川を通ってさつま町の中心街の宮之城まで続いており、その自然の恩恵は町の特産である竹ぼうきづくりやタケノコに受けています。
鶴田中学校の生徒も「竹」を使ったふれあい竹ぼうきづくりという伝統行事を、何十年も続けてきました。これは、さつま町(鶴田地区)に伝わる手作りの技術を教えていただく、お年寄りとの大切なふれあいの場でもありました。
鶴田中学校の修学旅行は、広島・長崎・福岡・熊本などいくつかの都道府県を順番にめぐるツアーだったようです。福岡の太宰府天満宮や、広島の原爆ドーム・宮島の厳島神社、長崎のハウステンボスなど子どもたちは、鹿児島県以外のいろいろな場所で出会う新鮮な出来事に多くのことを学んだことでしょう。
鹿児島県薩摩郡さつま町も、人口減少から2019年(平成31年)町内にある4つの中学校(鶴田・宮之城・薩摩・山崎)を1つにし、宮之城中学校として再スタートすることとなり、鶴田中学校も同年閉校となりました。
鶴田中学校跡地は、校舎が解体され新しく、流水小学校・鶴田小学校の子どもたちが通う「鶴田小学校」として新校舎が建てられ、子どもたちの学ぶ声・遊ぶ声が朝や夕やと聞こえています。