鶴田(つるだ)小学校 [旧校舎跡] さつま町
鶴田(つるだ)小学校 [旧校舎跡] は、鶴田郷御仮屋跡に建てられた初代の鶴田小学校に続き、諏訪山の上に建設された2代目の小学校として、2022年(令和4年)まで校舎が使用されていましたが、その後、流水小学校との統合を機に、新鶴田小学校は旧鶴田中学校跡のさつま町神子に移転しました。
鶴田小学校 [旧校舎跡] の詳細
住所・閉校年月日・沿革
名称 | 鶴田小学校 [旧校舎跡] |
住所 | 〒895-2101 薩摩郡さつま町鶴田2880番地 |
閉校年月日 | 閉校ではなく、2022年(令和4年)に移転 |
沿革 | 1962年(昭和37年)旧鶴田小学校と旧神子小学校統合し、鶴田小学校 [旧校舎跡] として開校(鶴田教場12学級+神子教場8学級) 1963年(昭和38年)3月 – 校歌制定 7月 – 新校舎へ移転(17学級 児童数745名 職員数25名) 1964年(昭和39年)特別教室棟・屋内体育館完成 1965年(昭和40年)プール完成 1966年(昭和41年)幼稚園開設 1981年(昭和56年)鶴田町立鶴田幼稚園設置 1982年(昭和57年)統合20周年記念式典 1994年(平成6年)メダカの里小川完成 1996年(平成8年)屋内体育館完成 1997年(平成9年)第1、第2北西部大地震により、特別教室が甚大な被害。校舎解体作業 1998年(平成10年)新校舎完成 2003年(平成15年)第1回すくすくたけのこの集い 2005年(平成17年)鶴田町が、宮之城町・薩摩町と合併しさつま町立鶴田小学校に改称 2011年(平成23年)創立50周年記念式典 2022年(令和4年)流水小学校と統合のため、元鶴田中学校跡へ移転 |
鶴田小学校 [旧校舎跡] の動画
鶴田小学校 [旧校舎跡] の校歌
1.諏訪山清く 照りはえて
みどりの風は 朝をよぶ
かがやく窓に きょうもまた
ひとみ明るく 元気よく
学ぶわれらだ 鶴田校
2.名だたるダムの とどろきに
ゆたかな水は 幸をよぶ
手をとり肩を 組みあって
みんな仲良く 助け合い
励むわれらだ 鶴田校
3.仰げばはるか 青雲に
やさしい紫尾は 夢をよぶ
つばさも強く はばたいて
のぞみ大きく たくましく
生きるわれらだ 鶴田校
鶴田(つるだ)小学校〈2代目〉
このページで紹介するのは、1962年(昭和37年)旧鶴田小学校(つるだ同朋子ども園の場所)と旧神子小学校が統合されてできた「鶴田村立鶴田小学校 [旧校舎跡] 」です。
1963年(昭和38年)には鶴田村から鶴田町に町制施行し新校舎ができて移転。なんと17学級の児童数は745名もいました。鶴田町立鶴田小学校に改称。
鶴田(つるだ)小学校〈2代目〉があった場所は、鶴田町の中心部より、手前(鶴田ダム側から)のJA北さつま鶴田支所がある地区の諏訪山の上です。
小高い丘の上を切り開いた土地には、鶴田幼稚園も併設され、小さい子どもを持つ親御さんには、送り迎えなど1回で済むありがたい環境にありました。
残念ながら、1997年(平成9年)にさつま町を襲った第1、第2北西部大地震により、校舎が被害に遭い解体せざるを得ませんでした。
1998年(平成10年)3月には、総工費約6億8千万円をかけたモダンな木造校舎が完成、さつま町の特産品である竹の子をイメージしたデザインで幼稚園ともども統一感があって、素晴らしい建造物です。
鶴田地区は、もともと鶴田村からの鶴田町として自治体が機能していましたが、人口減少が続き、平成17年(2005年)3月22日に 宮之城町・鶴田町・薩摩町が合併してさつま町が発足しました。さつま町立鶴田小学校に改称。
2021年(令和3年)には、鶴田小学校 [旧校舎跡] は児童数94名に減少、流水小学校と統合することになり、2022年(令和4年)に、再編事業と閉校記念式典がおこなわれ、元鶴田中学校跡にあたらしく鶴田小学校〈3代目〉校舎が建設されました。
新しい鶴田小学校は、校歌も新しく変わったようなので、1962年(昭和37年)から2022年(令和4年)にかけて鶴田小学校を卒業された皆さんは、こちらの諏訪山の上にある校舎のほうが懐かしいかもしれません。